11 野宿にて【前編】
「……野宿」
すっかり日が落ちた中で、私はその単語を咀嚼した。
ブラマの手前にある森の中。
ふかふかの布団も、風雨を凌ぐ屋根もない。
むき出しの夜が私を非情に包んでいる。
隣では、エリスが手慣れた様子で薪を組み上げていた。
「はぁ……予定では今頃、ブラマの教会で温かいスープを頂いているはずでしたのに」
「まったくです。これでは王都でのリッチな生活が遠のいてしまいました」
「誰のせいですの。マリー様がしっかり荷物をまとめなかったり、道中一歩ごとに立ち止まったりしていたからではありませんか」
「心外ですね。後半の追い上げは風と見まがうほどの速さを見せたはずですよ」
「最初からその風を吹かせてくださいまし! あのいっときのやる気だけでは、浪費した時間は取り戻せませんわよ」
エリスがうらめしそうにため息をつき、薪に向けて霊杖を構えた。
彼女は杖を持ったまま空いた手の指を交差させ、見えない糸を編み上げるように空間に聖印を組んでいく。
「母なる大地よ、凍える夜に灯火を、生命に暖かな守りを――」
厳かな詠唱とともに周囲の空気がざわりと揺れ、彼女の手もとへと吸い寄せられていく。
「――守護の灯火」
カッ、と杖の先が赤く輝くと、薪から細い煙が立ち上って火がついた。
「便利ですね。各教会に一人、エリスを常備しておきたいです」
「わたくしの祈りと活力が代償ですのよ。備品扱いしないでくださいまし」
「祈り、ねぇ」
私はゆらめきはじめた火を眺めながらなげやりにつぶやいた。
「教会の授業で奇跡の話は聞きましたが、あらためて見るとうさんくさいですよね。精霊にお願いしたらパッと火が出るなんて、まるでおとぎ話みたいですけど」
「おとぎ話と一緒にしないでくださいな」
エリスが心外そうに眉をひそめた。
「いいですか? この世界は大精霊様がもたらす霊素の恵みで満たされています。空気中にも、土の中にも、無数の精霊たちが漂っているのです」
「ふむふむ」
私は適当に生返事を返しながら、パンパンに張ったふくらはぎを親指でグイグイともみほぐした。
あの重量を背負っての山歩きで、私の足腰はもう悲鳴を上げている。
「わたくしたち人間は、亜人の方々のように感覚だけで霊素を操れませんわ。だから祈りと聖印で導き、自身の器で形を与える――」
エリスが指を折りながら力説する。
「感覚に頼らずとも奇跡を行使できる、人間が構築した確固たる体系なんですのよ」
「ふうん、面倒くさい」
足の裏は赤く腫れ、ぷっくりとした水ぶくれがいくつもできていた。
ジンジンと脈打つ熱を散らすようにさする。
……うう、痛い。
「……マリー様」
不意にエリスの話が止まった。
怒られるかと思いきや、彼女は私の足もとを見て小さな壺を手渡してきた。
「なんです、これ」
「特製の軟膏ですわ。水ぶくれによく効きますの」
「……へぇ」
蓋を開けると、スーッとする薬草の香りが鼻を抜けた。
「ありがとうございます。気が利きますね」
「勘違いしないでくださいまし。明日、足が痛いと泣き言を言って、また歩みを遅らせられては困るからですわ」
エリスはプイと顔をそむけ、薪を枝で突いた。
私は苦笑しながら、ひんやりとした軟膏を塗り込んでいく。
昼間はあれほど先を急かしたくせに、休憩中にはこうしてケア用品をさし出してくれる。
――口うるさいし生真面目だが、悪いやつではないのだ。
「そもそも、奇跡は誰にでも使えるわけでは……聞いていますの!?」
「聞いてますよ。その……奇跡の行使、でしたっけ」
「そうですわ! 生まれつき霊素を受け入れる器を持ち、長年の修行を経て術理を修めた者だけが許される特権なのです」
「なるほど」
「手順を暗記し、精神を研ぎ澄まし――それでも才能がなければ、一生かけても小さな光を灯すのがやっと。それほど厳しい世界なのです!」
「大変なんですね」
「……はぁ。一千人の候補生がひしめく中で、『白歴を紡ぐ聖女』の称号を勝ち取るのがどれほど過酷だったか。想像もつかないでしょうね」
「なんですか。その高そうな肩書きは」
「わたくしの聖女としての称号ですわ。このスヴェトリア王国において、建国以来の純潔と正道を象徴する、最も誉れ高いものですのよ」
エリスは自身の純白の聖衣の袖を誇らしげに、しかしどこか苦々しいまなざしで見つめた。
「教皇猊下から直接賜ったこの『白』こそ、『白歴を紡ぐ聖女』の証。貴女が着ている紺色の聖服とは、全く異なりますのよ」
「へえ。色に意味があったんですね」
「その通りですわ。精霊教会において、白い聖衣というものは厳しく制限されていますの」
エリスは小さく鼻を鳴らした。
「――ただその分、上層部の多くは快く思っていませんの。自分たちですら許されない『純白』を小娘が着ている……その事実だけで、彼らの反感を買ってしまうのですわ。わたくしが他国出身であればなおさら」
「そういえばエリス、別の国から来たんでしたっけ」
「ええ。南海通商連合の出身ですわ。わたくしのような肌の色は王国では珍しいのではありませんか?」
「なんかいつうしょう……?」
私が首をかしげると、エリスは信じられないものでも見るような目をした。
「知りませんの!?」
「知りませんよ。おいしいものがあるなら覚えますけど」
「この国の南に位置する、大陸最大の経済圏ですわよ!」
「南といえば、冬に渡り鳥が行くところですよね。じゃあエリスは鳥なんですね」
「人間です!!」
エリスは天を仰ぎ、頭を抱えた。
それからひとつせき払いをして、ゆらめく炎を見つめる。
「とにかく、課題は山積みでしたわ。作法ひとつとっても王国とは違うというのに、選抜試験の競争は凄まじく……筆記に実技、家柄の審査まで。少しでも気を抜けば蹴落とされる、息の詰まるような日々でしたの」
エリスはぽつりぽつりと語りはじめた。
「選ばれた後も、他国出身だと陰口を叩かれたり足を引っ張られたり……完璧な結果を出し続けなければ、すぐに居場所を奪われてしまいますの。本当に、気が休まる暇もありませんわ……」
たき火のはぜる音が、妙に寂しく響いた。
――エリートにはエリートなりの地獄があるらしい。この小麦色の肌の下に、彼女はどれほどの緊張を抱えているのだろう。
私があいづちを打とうとしたその時、エリスはハッとして首を振り、あわてて表情を取り繕った。
「……いけない。疲労のせいで、つい見苦しい愚痴をこぼしてしまいましたわ。忘れてくださいな」
「構いませんよ。おなかがすいていると、どうしても思考がネガティブになるものです。さっさと食事にして、カロリーで心を埋め立てましょう」
「……そうですね。食事にしましょう」
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