表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/8

事故は突然 リクside

リクー!! 散歩だぞー!」


大好きなご主人の声が聞こえた瞬間、嬉しくて尻尾が止まらなかった。


私は勢いよく駆け出し、暴走機関車のような勢いでご主人の胸へ飛び込む。


「おっとっと!」


ご主人は笑いながら私を受け止めると、いつものように優しく頭を撫でてくれた。


「相変わらず元気だな、お前は。」


その手は温かくて、安心する匂いがした。


私は本当に幸せ者だ。


毎朝、ご主人と散歩に行く。


それが私の一番好きな時間だった。


道はもう全部覚えている。


だから私は少しだけ前を歩く。


「ほら、ご主人! こっちだよ!」


そんな気持ちで尻尾を振りながら歩く。


すると後ろから、ご主人が笑う。


「リク、ちゃんと道覚えてるんだな。えらいえらい。」


その一言が嬉しくて、私はもっと尻尾を振った。


もっと褒めてもらいたい。


もっと笑ってほしい。


そのことしか考えていなかった。


だから――。


横断歩道を渡っている時だった。


「やばい!!」


ご主人の叫び声。


私は何が起きたのかわからず立ち止まる。


振り返ると、猛スピードのトラックが目の前まで迫っていた。


体が動かない。


怖い。


そう思った次の瞬間。



ご主人が私を強く抱きかかえた。


そのまま勢いよく歩道へ投げる。


私は地面を転がりながら顔を上げた。


ドンッ!!


耳をつんざくような衝撃音。


目の前で、ご主人の体が宙を舞った。


「……え?」


何メートルも先の道路へ叩きつけられる。


頭が真っ白になった。


「ワン!!」


私は夢中で走った。


「ワン!! ワン!!」


お願い。


起きて。


起きてよ、ご主人。


鼻先で体を押しても動かない。


頬を舐めても反応がない。


返事をして。


いつものように笑って。


「リク、心配しすぎだって。」


そう言ってよ。


お願いだから……。


ご主人……。


目の前が涙で滲んでいく。


胸が苦しい。


苦しくて苦しくて、息ができない。


その時だった。


周囲の音が、突然すべて消えた。


人の悲鳴も。


救急車のサイレンも。


風の音さえ聞こえない。


世界が止まった。


「……。」


恐る恐る顔を上げる。


そこには、小柄な老人が立っていた。


真っ白な髭をたくわえ、優しい目をした不思議な老人。


「お前の願いは何じゃ。」


静かな声だった。


だけど、その一言はまっすぐ私の心へ届いた。


私は迷わず叫ぶ。


「ワン!!」


(お願いです……!)


(ご主人を助けてください!!)


老人は静かに頷いた。


「お前の願いは、主人を助けることか?」


(そうです……!)


(それだけでいいんです……!)


「違う。」


「……え?」


「それは”今”のお前の願いじゃ。」


「胸の奥にある、本当に叶えたい願いは別にある。」


私は首を横に振った。


(ありません……。)


(私はご主人が助かれば、それだけで……。)


老人はゆっくり目を閉じる。


「嘘をつくでない。」


その一言で、胸が大きく震えた。


「お前は何度も願ったはずじゃ。」


『人間だったら。』


『もっと近くで寄り添えたのに。』


『手を握れたのに。』


『言葉で大丈夫と言えたのに。』


『ずっと隣にいられたのに。』


次々と心の奥底にしまい込んでいた願いが溢れ出す。


涙が止まらなかった。


そうだ。


私は何度も願っていた。


ご主人が悲しそうな顔をするたびに。


人間だったら。


もっと支えられたのにって。


「……人間に……なりたい。」


震える声で呟く。


「ご主人の家族として……。」


老人は穏やかに微笑んだ。


「それがお前の本当の願いじゃ。」


「だから、二つとも叶えてやろう。」


「主人の命を救い、お前を人間にしてやる。」


私は顔を上げた。


(本当に……?)


「本当じゃ。」


「じゃが、一つだけ条件がある。」


老人の表情が少しだけ真剣になる。


「ワシは恋愛の神。」


「恋を司る神じゃ。」


「ゆえに、対価も恋でしか受け取れぬ。」


「対価のない奇跡は存在しない。」


「何かを得る者は、必ず何かを差し出す。」


「それが世界の理じゃ。」


私は息を呑んだ。


「一年。」


「一年以内に、主人がお前を一人の女性として愛し、『愛している』と伝えること。」


「それが奇跡の対価じゃ。」


私は言葉を失う。


(もし……叶わなかったら……?)


老人は静かに答えた。


「主人は、お前と過ごしたすべての記憶を失う。」


「そして、お前も主人との記憶を失い、人間として別の人生を歩む。」


「お前たちは、最初から出会わなかった存在になる。」


頭が真っ白になった。


そんなの嫌だ。


ご主人を忘れるなんて。


忘れられるなんて。


絶対に嫌だ。


「理不尽だと思うか?」


恋愛の神様は少しだけ寂しそうに笑った。


「じゃが、奇跡とはそういうものじゃ。」


「命も。」


「願いも。」


「恋も。」


「何一つ、対価なしには手に入らぬ。」


私はご主人を見つめた。


血だらけになって倒れている。


助けたい。


ずっと一緒にいたい。


その二つに迷いはなかった。


(……やります。)


(私は、ご主人を助けたい。)


(そして、人間になって……ずっとご主人の隣にいたい。)


神様は満足そうに頷く。


「よろしい。」


「契約成立じゃ。」


次の瞬間、神様はニヤリと笑った。


さっきまでの威厳はどこへ行ったのかと思うほど、楽しそうな笑顔だった。


「……まあ、難しく考える必要はない。」


「恋というものは、理屈でするものではないからの。」


「ワシは恋愛の神。」


「若い者同士が少しずつ惹かれ合っていく姿を見るのが何より好きなんじゃ。」


そして胸を張って高らかに宣言した。


「ワシにキュンキュンを見せてくれれば、それでよい!!」


思わずぽかんとしてしまう。


(……え?)


「ほれほれ、初々しい恋愛じゃ!」


「照れたり、嫉妬したり、手を繋いでドキドキしたり!」


「そういうのをワシは期待しとる!」


さっきまでの神々しい雰囲気はどこへ行ったのだろう。


でも、その姿を見て少しだけ笑ってしまった。


神様も笑う。


「安心せい。」


「ワシは叶わぬ恋を叶えるために存在する神じゃ。」


「だから、おぬしたちの恋も最後まで見届けてやろう。」


その言葉を最後に、世界はまばゆい光に包まれた。


そして私は――。


人間として、新たな人生を歩み始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ