私はリクです!!
「……ここは……どこだ……?」
ゆっくりと瞼を開ける。
真っ白な天井が視界いっぱいに広がっていた。
鼻をつく消毒液の匂い。
規則正しく鳴り続ける電子音。
体を動かそうとした瞬間、全身に鋭い痛みが走り、思わず息を呑んだ。
「っ……!」
俺は今まで何をしていたんだ……?
そうだ。
リクと散歩に行って――。
あのトラックが突っ込んできて……。
「リク……!」
反射的にその名前を叫ぶ。
事故の瞬間が頭の中で何度も繰り返され、胸が締め付けられる。
リクは……無事なのか。
不安と恐怖が一気に押し寄せ、呼吸が浅くなる。
すると――。
「ご主人……!!」
震えた声が耳に届いた。
視線を向けると、一人の美少女が俺の手を両手で包み込むように握っていた。
ゴールドベージュの柔らかなロングヘア。
透き通るような白い肌。
涙で潤んだ大きな瞳が、今にも泣き出しそうに揺れている。
まるで人形のように整った、息を呑むほど美しい少女だった。
「ご主人……本当に……目を覚ましてくれた……。」
その声は震え、涙がぽろぽろと頬を伝って落ちていく。
俺は困惑しながら口を開いた。
「すみません……あなたは……?」
少女は目を大きく見開き、唇を震わせる。
そして涙を必死に拭いながら、小さく首を横に振った。
「私は……。」
一度大きく息を吸う。
「私は、ご主人とずっと一緒に暮らしてきたリクです……!」
「……え?」
思考が止まる。
何を言っているんだ。
目の前にいるのは、誰が見ても人間の女の子だ。
俺の相棒のリクは、犬だ。
そんなこと、絶対にありえない。
すると少女――いや、リクは俺の表情を見て悟ったのだろう。
涙をこらえながら、必死に言葉を紡ぎ始めた。
「ご主人は甘いものが大好きです……。」
「毎日一回は甘いものを食べないと我慢できなくて、コンビニで新作スイーツを見つけると必ず買ってきます。」
「朝は弱くて、私が顔を舐めたり飛びついたりしないと全然起きてくれません。」
「寝る前は必ず私の顎の下を撫でて、それから胸元の毛を優しく撫でて……最後には『今日もありがとう、リク。大好きだ』って笑ってくれるんです……!」
息継ぎも忘れたような勢いだった。
その瞳からは涙が止まらない。
「お願いです……。」
彼女は俺の手をさらに強く握った。
「信じてください……。」
「私はずっと、ご主人のそばにいたリクなんです……!」
その震える声を聞いた瞬間、胸が締め付けられた。
俺には家族はいない。
友達もいない。
この家での生活を知っている存在なんて、一人しかいない。
……リクだ。
「……。」
頭では理解できない。
犬が人間になるなんて、そんなことあるはずがない。
だけど――。
目の前の少女は、俺しか知らない日常を、一つ残らず知っている。
そして何より。
俺を見るその瞳は、毎日俺を見つめていたリクそのものだった。
「……ごめん。」
ようやく絞り出せた言葉だった。
「まだ頭が追いつかない。正直、何が起きているのか全然わからない。」
「でも……。」
俺は彼女の目を見つめる。
「君が嘘をついているようにはどうしても思えない。」
その言葉を聞いた瞬間。
リクは安心したように大きく息を吐いた。
「……よかった。」
涙を流しながら、それでも花が咲いたような笑顔を浮かべる。
その笑顔を見た途端、不思議と胸の奥の緊張が少しだけほどけた。
「混乱させてしまってごめんなさい。」
「ご主人は今、目を覚ましたばかりです。無理に全部理解しようとしなくて大丈夫です。」
「まずは……ゆっくり休んでください。」
優しく頭を下げる彼女に、俺は小さく頷いた。
「……ありがとう。」
その一言しか出てこなかった。
それでもリクは嬉しそうに微笑んだ。
ふと疑問が浮かぶ。
「そういえば……俺はどれくらい寝ていたんだ?」
リクの表情が曇る。
「……五日です。」
「え……?」
「ご主人は頭を強く打っていました。それに……全身の骨が何か所も折れていて、お医者さんからは目を覚ますかもわからないって……。」
最後まで言い切る前に、彼女の声は震えた。
「私……怖かったんです……。」
「もう二度と、ご主人とお話できないんじゃないかって……。」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
俺の手を握る力は、小さく震えていた。
五日。
そんなに長い間、俺は眠っていたのか。
事故の記憶も曖昧なまま、そんな時間が過ぎていたなんて信じられない。
体中の痛みが、それが夢ではないことを嫌でも教えてくる。
リクは涙を拭うと、無理に笑顔を作った。
「本当は……お話したいことがたくさんあります。」
「でもお話はご主人が元気になってからにします。」
「だから今は、何も考えずに休んでください。」
「……うん。」
その返事をした瞬間、まぶたが急に重くなる。
安心したせいなのか。
薬の影響なのか。
意識がゆっくりと沈んでいく。
最後に見えたのは、俺の手を大切そうに握り続けるリクの姿だった。
(……リク。)
その名前を心の中で呟きながら、俺は再び静かな眠りへと落ちていった。




