エピローグ:流れの果てで
魔王討伐からひと月が経った。
先代魔王さんの地位を簒奪して成り代わっただけでなく、帝国内でも暗躍して戦争を煽っていた魔王は密かにスケーナの街を訪れていた。けれどもその悪事の現場を抑えた四人の勇者の手によって遂に魔王は討たれたんだ。終わってみれば数年のことだったけれど、大陸中を巻き込んだ大動乱となった人魔戦争もようやく終結した。
そして……かく言う僕こそ、かの四勇者の一人である。だったのである。成り行き上のことだけど。
今でこそ落ち着いたものだけど、倒した直後はピンチだった。
英雄扱いどころかゴブリン帝国と内通する魔族のスパイを疑われて、危うく異端狩りさながらに吊し上げられるところだった。腹立つよね。
でも騎士団の皆が庇ってくれたのは本当に嬉しかったな。騎士団長なんて『私の部下を侮辱するとは何事か』ってすごく怒って前に出てくれたんだ。格好良かったなあ。
ただそれだけじゃ済まなくて、怒った崇さんと職人ギルドの皆さんまでハンマーを持ち出して来ちゃったもんだから僕は肝を潰したよ。危うくパニックになってる街の皆と大乱闘になる寸前だったんだ。
その時一番格好良かったのがレイだ。
敢えて学院の皆から離れて一人、揉み合う群衆の前に立って凛とした声を張り上げて、
『御一同、まずは各々の家へと戻られよ!!』
『既に帝都への使いは出された!
いずれ陛下の使者が訪れ、正当な裁可を為される!
しかし、この街に裁かれるべき者などいない!』
『もし、この街の誰であろうと、不当に裁きを下すというのであれば!』
『この私が! 皇帝陛下の姪、レイ・九曜・クジャーが皆の前に立つ!』
まさに鶴の一声だった。
辺りはしんと静まり返り、やがて互いにぼそぼそと言葉を交わしながら、紅茶の中で角砂糖が崩れていくみたいにゆっくりと散らばっていった。
レイは皆が欲しかった言葉を的確に選んだんだ。
誰も彼もが怖かった。大きな恐怖が突然取り除かれてもすぐ皆ハッピーにはならない。
むしろ押さえつけられていた不満が爆発して暴走する。
怖くて腹立たしくて、誰かを悪者にしなければ自分が悪者にされるような気持になるんだ。
人の心は弱くて、脆いから。
だから、レイみたいなに立派な人に守ってもらえると思えば一先ずは安心する。
僕だったらそういう怠惰で臆病で恥知らずな奴らを心底軽蔑するけど。
レイの立派な所はそうした人の弱さを否定しないことだ。事実、レイは皇帝陛下の使節団を出迎えて街の代表として矢面に立った。
とっても素敵だった。僕は生まれて初めて本物の貴族を見た気分だったよ。
その後ゆるゆると戦後処理が進められた。
いきなりトップを失った魔族達はすわ内戦一歩手前だったけれど、上手いこと規律を保っていたゴブリン達の王様のガインさんが手綱を取ってくれた。帝国との和睦を進めてくれたのもガインさんだ。
そして慌ただしい一ヵ月が過ぎて、ようやく面倒くさいアレコレから解放された僕はのんびりと休暇を過ごしている。
◆◇◆◇◆
僕は今、騎士団兵舎の隅っこの誰も使っていない部屋にいる。サボる時はこの部屋が一番だ。
部屋には業務机一つ、応接テーブルとソファが一つずつ、隅に鎧と剣が掛けられている。観賞用にしては武骨で飾り気が無い。けれどもいつでも使えるようにきちんと手入れされている。
手入れしてくれているのはスケーナ一、いや帝国一番の名工にして四勇者の一人であるところの崇さんだ。崇さんの不思議な力が作り出す武器が無ければとても魔王には敵わなかっただろう。
崇さんは騎士団の武具の大半を面倒見てくれているけれど、その中でもこの鎧と剣だけは特別にタダで手入れしてくれている。毎月必ず部屋まで直接取りに来てくれるので、僕は聞いてみた。
『この……特に、剣はね。実は俺の会心作なんだ。
でも、何でかな。誰にも使わせたくなかった。欲しがる人は多いんだけどさ。
どんな高名な剣士さんでも冒険者さんでも、なにか……『違う』って思っちゃう。
けど店で埃を被ってるのも勿体ないから、ここに飾ってもらってるんだよ。お得意さんだしね』
そう言って少し照れ臭そうに笑っていた。
このご縁で僕は自分の剣も崇さんにオーダーメイドしてもらった。僕の体格や握りに合わせた特別拵えだ。ちゃっかり奥さんに料理を教わったりなんかもしてる。
この部屋の不思議なことは他にもある。
例えば机の上に積まれている何通もの手紙。赤い綺麗な封蝋が押されていて、まだ一通も開けられていない。蝋の上に立派なハンコを押しているのは、なんとゴブリンの王様にして、四勇者の一人であるところのガインさんだ。ガインさんの指揮と親衛隊のエリート魔族の皆さんがいなければ魔王を追い詰めることは決してできなかった筈だ。
ガインさんは毎週欠かさず手紙を送ってくれる。ただ何故か宛先はスケーナ騎士団兵舎の誰も使っていないこの部屋。
相手が相手だから勝手に開けるわけにもいかないし、まして捨てるなんてとんでもない。扱いに困った騎士団を代表して僕がガインさんと文通をした。
『その手紙は、何と申しましょうか。説明が難しい。
内容自体は取るに足らないのです。
我々魔族の日々の暮らしの改善や、人族の皆様との新たな交流の試み等を取りとめもなく綴っております。
何故そちらへお届けするかについては、そうすべきだから、としかお答えできません。
国としてではなく、王としてではなく、私ガイン・ガジ一個人として、この御報告を必ず継続しなければならない、と強く感じているからなのです』
とても丁寧でこなれた筆致の共用語でそう綴られていた。あまりにちゃんとしたお手紙で、僕は自分の手紙が恥ずかしくなった。でも何回書き直したってガインさんみたいにちゃんとした手紙にならなかったんだからしょうがない。
手紙はできれば一両日中は部屋に置いておいて欲しいこと、溜まったら焼いて処分して構わないこと。ガインさんと僕はそうした約束を交わした。
お互いの近況を記した文通は今も続いている。
不思議なことはまだ続く。
他の空き部屋は物置同然なのに、この部屋だけはいつ来ても今すぐ新しい騎士団員が仕事を始められるくらいピカピカに掃除されている。だからサボるのにうってつけなんだけど、もちろん僕がサボり易いようにじゃない。見つかったら普通に怒られる。
掃除してくれるのは最近騎士団で新しく雇われたアリウスさんだ。
騎士団の皆は良い人ばかりだけど、はっきり言って人品が雑だ。掃除は下手だしお風呂にも入らないし、ベッドに南京虫がいても全然気にしない。ホント無理。耐えらんない。
と言うことで常々環境の改善を上申していたんだけど、最近になってようやくそれが通った。僕のお手柄で騎士団の予算がちょっぴり増えたんだって。
そこで内務員の募集をかけて採用されたのがアリウスさんだ。アリウスさんは外国から移り住んできたばかりで丁度お仕事を探してた。何よりお手入れの達人だった。あっという間に兵舎は隅々までピカピカになり、ネズミもゴキブリも残らず無慈悲な退去を迫られた。汗と垢でドロドロのぐちゃぐちゃだったブーツとグローブは毎日新品同然となり、取り換えられるシーツはいつもお日様の匂いがした。
今では騎士団長さんでさえ頭が上がらないくらいだ。僕のタイプじゃないけど中々の益荒男ぶりで、同じ内務員のマニさんなんか密かに思いを募らせているらしい。で、ついこの間『モジモジしてる二人を見てるとイライラするのでさっさとくっつけましょうの会』がやはり密かに発足した。
ともかくそんなプロフェッショナルな人だから空き部屋一つとして疎かにしたくないのだと思っていたのだけど、この部屋にはアリウスさんにも何か特別な思い入れがあるようだった。
『この部屋は、きっと皆さんもそうだと思うんですが、何か雰囲気を感じます。
誰か……とても大きな仕事を果たされた御仁がいらっしゃったような。そんな気配があります。
ひょっとすると私もその恩恵にあずかっているかもしれない。
つい、そんな気分にさせられてしまうんですね』
そう言って毎日微に入り細にわたりお掃除してくれる。おかげで埃一つ無いソファで僕は毎日快適なお昼寝ができる。
そんなわけでこの部屋は、皆にとって特別で不思議な部屋なんだ。
僕は何とは無しに、机の後ろの窓を開けてみた。軽い風が頬を撫で、まだ低い太陽が投げかける日差しが目に染みた。
眩しいなぁ。
泣きたいくらい、眩しいよ。
ノックの音が無かったら、きっと泣いちゃってた。
僕はすぐ「どうぞ」と声を返す。相手は分かってるからね。
控えめにノブを回して入ってきたのはやっぱりレイだった。公爵家令嬢にして四勇者最後の一人。彼女の魔法が無ければ僕は最後の戦いでもう何回死んだか分からない。
「サボり?」
「失敬な。今日は非番なんですけど」
レイは「今日『は』ね…」と含み笑いし、涼しげに目を細めた。
あの最後の戦いの後、レイは正式に皇帝陛下から大使を任ぜられてガインさん達と頻繁に戦後処理の交渉に立ち会っている。そのため街を留守にすることも多いんだけど、戻って来る度にここへ立ち寄るから僕とレイはすっかり友達になった。
貴族なんてキライだったけどレイだけは別だ。綺麗で、優しくて、頭がよくて、勇気がある。僕の方がいっこ上だけど、僕もこんな格好良い女の子になりたいものだと常々思うのだ。
「聞いてよレイ。
いつものお菓子屋さんさー、職人さんが辞めてクッキーの味が変わっちゃったんだぜ」
「えーっ うっそ。ガッカリだな。どう?今のは」
「僕は前のが好きです」
レイと食べようと思って取っておいた最後の一箱を取り出して二人でお茶にした。お茶はもちろん僕が淹れた。
僕らはソファに並んでお互いに取り留めも無いことを話す。仕事であったヤなこと、新しく見つけた素敵なお店、周りには秘密にしてる夢や目標。ぷかぷか浮かんでは弾けるシャボン玉みたいな話をずーっとしていた。
初めてこの部屋で会ったときから僕とレイの関係はずっとそう。多分はっきりと意識してたわけじゃない。でもお互いに最後の戦いの話は口に出さないようにしていたと思う。
けど、今日のレイは何処かいつもと違う目をしていた。
お茶が無くなった後、彼女は口火を切った。
「ねえ、イクシラ。私達って……本当に魔王を倒したのかな」
「……魔王が、まだどこかで生きてるってこと?」
「あ、ちがう。ゴメン、言い方が悪かった、魔王はもういないよ。そうじゃなくって。その……
魔王は、本当に私達が倒したの?」
「……」
「変なんだ。私達四人、何か変だ。
知ってる? 最後の戦いで私達はね、皆自分以外の戦いぶりはよく覚えてるのに、自分の戦いぶりとなると極端に覚えが曖昧なんだ。絶対におかしいよ。
……いや!違う!
そうじゃない。私の言いたいのはそんなんじゃなくって……!」
レイは急に立ち上がった。切羽詰まって震えた目で僕を見下ろして、裏返った声で叫ぶように言った。
「【誰か】がいたんだ!!」
それは殆ど悲鳴だった。
「誰かが…絶対に誰かがいたんだよ。私を、私達を助けてくれた…ずっと傍にいてくれた誰かが!
私は信じられない。私が自分一人であんなことをしたなんて。
禁呪も、学院の主席も、まして学院の皆を味方につけるなんて大それたこと……私が?
嘘だ!!」
肩を震わせ、大粒の涙をぽろぽろ零しながらもレイは話すのを止めない。
「なのに……思い出せない……!
絶対にいたはずなのに……その人が……誰よりも大切だったはずなのに……!
名前も、声も、面影さえ思い出せないんだ!
何度記憶を掘り起こしても! 日記を読み返しても! 帝国中の記録を当たっても!
何一つ出てこない!
私は、私はその人を……愛してたのに!」
その最後の言葉がレイ自身の心の堰を切ってしまった。彼女はさっと両手で顔を覆ったけど、溢れる涙と嗚咽は堪えきれなかった。
僕はソファに蹲った彼女を膝に抱き寄せる。
「悔しい……!
ゎたっ…私は、悔しいんだよイクシラ……!」
こんなに取り乱したレイを見るのは初めてだった。僕に出来るのは彼女の背中を撫で続けることだけだった。温かい涙が僕の膝を濡らし、そこから彼女のとめどない想いが僕の中にも広がるような気がした。
レイもずっと悩んでたんだ。そしてきっと、崇さんやガインさんのような折り合いの付け方をまだ見つけられていない。
そしてそれは多分、僕も。
何かが顎を伝って滴る感触に気付いて、思わず頬に手をやった。そこでようやく自分の眦から流れているものに気付いたぐらいなんだから。
僕らはソファに並んでお互いにしがみついてた。今確かなものを必死に放さないようにして。
◆◇◆
「……格好悪い所、見せちゃった」
「僕らの仲でしょ。
気にしない気にしない」
僕はレイが落ち着いたところで改めて健康に良い薬草茶を淹れてあげた。
レイは口に含むなり噴き出した。
「何このコレ……なに!?」
「クソ不味いでしょ」
「分かってたんなら出すな!こんなの!!」
口直しにクッキーをムシャムシャほうばるレイ。
元気になったみたいでよかったよかった。
僕も一口舐めてみる。相変わらずエグくて苦くて渋くて、ひどい味だ。
こんな劇物を日常的に啜るなんて信じられない。
レイはちびちびとお茶を舐める僕をじっと観察している。その目は珍しい動物でも見てるようだった。
「一応聞くけど、美味しい?」
「クソ不味い……」
「分かってるならやめなよ……」
そう言われたが僕はちびちびと舐め続けた。呆れたように僕を眺めるレイの前で、とうとうカップ一杯飲み干してしまった。
口の中が気持ち悪い。
「……不味さが、クセになってる、とか?」
「いんや、うーん……違う。
なんて言うかね……」
僕は薄緑色に濡れたカップの底を見つめる。見つめるうちに次第にその底は深く深く、奈落のように落ち込んでいく気がした。
けれどもやはり、奥の奥に底があった。それは空っぽの穴ではなく、春の草原のような淡い萌黄色の希望が満ちていた。
「多分、僕すごい変なこと言うんだけど」
「教えて?」
「多分……これを好きだった人がいるんだ。
こんなクソ不味いものを態々好き好んで日頃から飲んでた人がこの部屋に居たんだ。
そして多分、僕もこれをその人と飲んだことがあるんだ」
レイが息を呑む気配が伝わった。だけど、突然の希望に戸惑う彼女が言葉を選んでいるうちに、僕は頭を振った。
そこから先は、多分言葉にしない方がいいから。
一度言葉にしてしまったら、僕らはもう歩けなくなるかもしれない。せっかくここまで辿り着いたのに、また蹲ってしまうかもしれない。
だから僕は代わりにこう言った。
「ねえ、レイ。やっぱり魔王を倒したのは僕らだよ。
もちろんレイの言うことも分かるよ。信じられないもんね。それは僕も同じ。
だからこう思うんだ。あれは一つの【奇跡】だったんだって」
「【奇跡】……」
「そう。
奇跡だから当てにしちゃいけない。
奇跡だから儚く過ぎ去ってしまう。
奇跡だから誰の心にも尾を引く。
僕たちが今生きていること。出会ったこと。
その一つ一つが奇跡であるように。
当たり前であるようで、二度と同じものは手に入らない。
……そういうものだったんだって」
レイはしばらく黙っていたけど、ちょっと困ったような顔で笑った。
「それじゃ何言ってるのか分かんないよ」
「僕も分かんなくなっちゃった」
僕らはケラケラと声を上げて破顔した。
それからまた他愛無い話をした。
僕もレイも、好きなものをたくさん増やそう。これからもこの世界で確かに生きていくために。
レイの夢は人族と魔族の両方が通える学校を作ることだ。
人族がただ蓋をして遠ざけておくだけだった恐ろしい禁呪の数々について、魔族は多くの神秘的な知識を持っていた。逆に魔族が低俗と軽視していた生活を豊かにする素敵な魔法の数々について人族は体系的な知識を持っていた。
彼女は早くも交換留学の事業を進めようとしている。
異なる種族が交わり、新たなものが生まれる場所をレイは作ろうとしているのだ。
それに比べれば僕のやろうとしているのは全く個人的な話なんだよね。
「イクシラは……いつ出発するの?」
「そろそろ行くつもりなんだ。来週くらいには。
大丈夫。手紙書くよ」
僕はこれから旅に出る。一人でこの世界の本当の姿を見て回る。
日の当たらない所、誰も訪れたことの無い所、その隅々まで。
先の分からない、本当の旅に出るんだ。
僕はレイと再会を誓った。
忙しい所に来てもらえて運がよかったな。
レイが帰ってから僕はクッキーの箱を仕舞って、一人ひっそりとした部屋を見回す。
そこへ急に風が部屋へ吹き込み、潮の香が鼻をくすぐった。僕は久しぶりにここが海岸に近い交易都市だったことを思い出した。
僕らは今、海岸に居た。先には果ての無い大海原が広がっている。
かつて、全ての流れを堰き止めるどうしようもない大岩があった。その先にはどんな流れも進めなかった。
けれどもそれは何処からか現れた嵐のような大渦によって吹き飛ばされ、飲み込まれ、消えてしまった。
そして僕らはここへと辿り着いた。
もうどんな流れも見えなかった。どこにでも泳いでいくことができた。
僕らはようやくここに辿り着くことができた。
流れの果てに。可能性の海に。
僕は新しく淹れ直した薬草茶を机に置いた。
そしてしばらく湯気を立てる湯飲みを見つめていたけれど、荷造りをしなきゃいけないことを思い出して部屋の外に出た。
ゆっくり扉を閉める間際、揺れるカーテンが見えた。
―――ねえ、そこにいるんでしょ―――
――――先輩――――
扉の隙間からもう一度風が吹いた。
その風に乗って、背中がくすぐったくなるような笑い声が聞こえた気がした。




