第3節:二つの美学 ――「芸術家」と「エンジニア」の断絶
前節において、三島由紀夫が本来の武士が持っていた「一族の生存とインフラの維持」という歴史的リアリズムを意図的に切断し、江戸期の泰平が捏造した「死のロマンティシズム(機能を持たない武士道)」を自らのオペレーティングシステム(OS)として採用した過程を検証した。彼がなぜ、生き残るための実用主義をそれほどまでに嫌悪し、退けたのか。その深層を解き明かすためには、彼の内部で起きていた「美の定義」を巡る決定的な対立、すなわち「芸術としての美」と「機能としての美」の衝突というシステム論的課題に踏み込まなければならない。本節では、三島という巨大な知性が直面した二つの美学の断絶と、彼が最終的にインフラストラクチャーを保守する「エンジニア(技術者)」としての道を放棄し、自らを絶対的な「芸術作品」として完結させる道を選んだ思想的メカニズムを解剖する。
三島由紀夫の文学と行動を貫く「芸術としての美」は、本質的に「静止」と「完結」を要求する。芸術作品というものは、キャンバスの枠であれ、小説の最終行であれ、何らかの境界線によって外界から切り取られ、時間的な変化を停止させられた時に初めて永遠性を獲得する。システムが稼働し、現実社会のノイズに晒され、変容していく動的なプロセスは、純粋な芸術の観点からは「美の汚染」に他ならない。この「絶対的な美と現実空間の非互換性」というテーマは、昭和三十一年(一九五六年)に発表された彼の代表作『金閣寺』において極めて明確な形で提示されている。主人公の学僧・溝口は、現実の金閣寺が時間とともに老朽化し、あるいは戦災の危機に晒され、俗世間の汚れにまみれていくことに耐えられなかった。彼が金閣寺に放火したのは、現実の物理空間における金閣を破壊することによって、自らの観念の内部にある「永遠に美しく、絶対に変化しない絶対的イメージとしての金閣」を抽出するためであった。三島にとっての芸術美とは、対象が物理的に機能すること(寺として存続すること)を否定し、灰に帰す(物理的破壊)ことと引き換えに、データの劣化を防ぐという極端な保存処理を意味していたのである。
これに対して、「機能としての美」とは、泥にまみれ、部品が摩耗し、エラーを吐きながらも、「システム全体が停止することなく目的変数を達成し続ける駆動そのもの」に見出される美しさである。国家という巨大なインフラストラクチャー、あるいは一族という共同体の維持を至上命題とする為政者やエンジニアにとっての美学は、ここにある。機械は博物館のガラスケースの中で静止している時ではなく、油に塗れ、振動し、熱を発しながら稼働しているプロセスにおいてこそ、その設計思想の正しさを証明する。生物学的な「種の保存」も同様である。個々の細胞は傷つき、老化し、死んでいくが、新陳代謝を繰り返すことで全体としての生命は維持される。機能美の視点に立てば、システムを維持するための「妥協」や「部品の交換」、あるいは「汚染の許容」は、決して敗北ではなく、むしろ過酷な環境下でシステムを生き延びさせるための極めて高度な「動的適応(パッチの適用)」として評価される。前節で触れた、主君を替えてでも家を存続させた戦国武士の実用主義は、まさにこの機能美の極致であったと言える。
三島由紀夫ほどの卓越した知性であれば、この「エンジニアの機能美」の構造とその重要性を、論理的には完全に理解していたはずである。昭和四十三年(一九六八年)に発表された『文化防衛論』において、彼は天皇を「文化の全体性の象徴」という絶対的な基準(ROM)として規定し、相対主義によってバラバラになりかけた日本というシステムの統合を図ろうとした。このアプローチ自体は、国家システムを俯瞰するマクロな設計者としての冷徹な視座に立つものであった。しかし、彼の知性がどれほどシステムの維持の必要性を理解していても、彼の深層に横たわる「平岡公威」という脆弱な初期OSは、泥にまみれてシステムを保守するという「プロセス」に対して、激しいアレルギー反応(拒絶)を示したのである。
エンジニア(あるいは真の政治家)であれば、システムを稼働させ続けるために、時に自分の書いた美しいソースコードを汚し、継ぎ接ぎだらけの修正プログラム(スパゲティコード)を許容しなければならない。戦後日本の保守政治家たちは、アメリカへの従属や経済至上主義という「美しくない妥協」を重ねながらも、日本という国家インフラを焦土から復興させ、国民の生存を担保した。彼らは泥にまみれたエンジニアであった。しかし、三島はこのような「妥協によって生き延びる機能美」を、精神の腐敗であり、絶対的な美(天皇というROM)に対する裏切りであるとして激しく憎悪した。彼にとって、コードが汚染された状態でサーバーを稼働させ続けるくらいならば、いっそサーバーごと物理的に破壊して、かつて存在した美しい設計図の純潔を証明する方が、美学的に遥かに「正しい」選択であったのである。
この「芸術としての美」と「機能としての美」の断絶は、システム論的に修復不可能な互換性エラーである。機能美は「時間の連続(持続)」を前提とするが、芸術美は「時間の切断(完結)」を前提とするからだ。三島は自らの人生と肉体を、一つの巨大な芸術作品(金閣寺)に見立てていた。ボディビルによって構築された「鋼の肉体」と、武士道という「死のロマンティシズム」は、この作品を最も美しい状態で永遠に固定するための額縁であった。もし彼が、自らの美学の矛盾を自覚した上で、それでもなお社会の泥濘の中に踏みとどまり、言論によって地道にインフラの修正(保守運用)を続ける道を選んでいたならば、彼は一人の偉大な思想的エンジニアとして歴史に名を残したかもしれない。しかし、それは「老い」を受け入れ、大衆からの誤解や非難という絶え間ないノイズに耐え続けなければならない、過酷で美しくないプロセスである。
三島は、この無限に続くエラー処理の連鎖(生存という苦行)に耐えきれず、自らが「システムの設計者」から「芸術作品」へと移行する道を選んだ。彼が市ヶ谷で自決へと向かったのは、狂気でも暴走でもなく、自らを書き換え不可能な絶対的データとして凍結するための、極めて理知的な「芸術的処理」の最終工程であった。彼は自らの命を消費して、永遠に変わらない「美しいモニュメント」を建造したのである。しかしその代償として、彼は「生き延びてシステムを駆動し続ける」という、設計者本来の泥臭い責務を永遠に放棄することになった。
三島由紀夫が機能美よりも芸術美を優先し、「生き残るエンジニア」であることを拒絶したというこの事実は、彼の行動がいかに華麗な装飾を施されていようとも、本質的には「過酷な現実空間(戦後社会)の保守運用からの逃亡」であったことを物語っている。彼が自らの命と引き換えに提示した「絶対的な美学」は、たしかに鮮烈な閃光を放ったが、それは残された現実のインフラを維持し、次世代へとバトンを繋いでいくための実用的なソリューション(解決策)にはなり得なかったのである。次節では、この「芸術美への逃避」という文脈を踏まえ、彼がいかにしてバグだらけの戦後社会から逃亡し、自らをアップデート不可能な存在として神話化しようとしたのか、その敗北主義的な側面に焦点を当てて論を進めていく。
【引用文献・資料】
・三島由紀夫『金閣寺』(新潮社、一九五六年)
・三島由紀夫『文化防衛論』(新潮社、一九六八年)
・橋川文三『三島由紀夫論集成』(深夜叢書社、一九九八年)
・松本徹『三島由紀夫――エロティシズムと美学』(小沢書店、一九八九年)




