第3節:ユーザーインターフェース(UI)の肥大化とリソースの枯渇
前節において、三島由紀夫が自身の脆弱な初期オペレーティングシステム(以下、カーネルとする)を物理空間の汚染から守るため、「鋼の肉体」と「武士道」という重装甲を後付けで実装した過程を論じた。しかし、情報システム工学の基本原則に照らし合わせれば、システムに対して過剰なセキュリティソフトや高負荷の装甲を実装し、それらを常時並行稼働させれば、ホストコンピュータの限られた計算能力(CPU)と記憶領域は必然的に逼迫する。三島由紀夫という構築されたシステムが直面した最大の危機は、外部からの攻撃による破壊ではなく、自己防衛のために実装した巨大なユーザーインターフェース(以下、UIとする)が自己増殖を始め、システム内部の精神的・肉体的リソースを完全に枯渇させてしまったという「内部崩壊」のプロセスであった。本節では、メディア空間と結合した「三島由紀夫」というUIがいかにして肥大化し、最終的に「平岡公威」という脆弱なホストを食い潰していったのか、その致命的な過負荷状態について検証する。
昭和三十年代後半から昭和四十年代にかけて、三島が構築した「文武両道の英雄」「憂国の士」というUIは、もはや彼個人の内面を隠蔽するための単なる仮面の域を逸脱し、マスメディアという巨大な外部ネットワークと結合することで、自立的な自己増殖を始めていた。ボディビルによる肉体の誇示、自作映画『憂国』(昭和四十一年)での切腹の熱演、自衛隊への体験入隊、そして私兵組織「楯の会」の結成と、彼が世間に提示する出力は、年を追うごとに過激かつ劇的なものへとバージョンアップを重ねていった。社会という不特定多数のユーザー(大衆)は、この華麗で過激な「三島由紀夫」というインターフェースに熱狂し、さらなる強い刺激と完璧な振る舞いを要求し続けた。
システム設計者としての三島は、この大衆からの要求に対して、一切の妥協や「エラー(凡庸さや弱さ)」を見せることを拒絶した。彼は、大衆の期待を上回る完璧なコードを書き続け、「決して隙を見せない強靭な男」として振る舞うために、常人にはおよそ不可能なレベルのマルチタスクを自分自身に強いたのである。深夜から早朝にかけての文学的創作活動(ソフトウェア開発)、日中のボディビルディングと剣道による肉体鍛錬(ハードウェア保守)、そして楯の会を通じた政治的活動。これら高負荷のプロセスを同時に、しかも一切のエラーなしに処理し続けることは、「平岡公威」という一個人の生身のハードウェアの耐用限界を遥かに超えるものであった。
この過負荷状態における悲劇は、三島自身が「ダウングレード(以前のバージョンへの回帰)」や「システムの休止」を自らに許さなかった点にある。一度「完璧な憂国の士」という高解像度のUIを社会に対してリリースしてしまった以上、それを維持し続けなければ、彼が最も恐れる「美の崩壊」と「大衆からの嘲笑」を招くことになる。肥大化したUIは、設計者であるはずの平岡公威の制御を離れ、彼自身を「三島由紀夫というアプリケーションを稼働させるための、単なる電源供給装置」へと貶めていったのである。
この異常な稼働状態によるリソースの枯渇と切迫感を、三島自身は晩年のエッセイにおいて「独楽」という極めて正確な物理的暗喩を用いて告白している。昭和四十五年(一九七〇年)、すなわち彼が自決する年の初頭に発表されたエッセイ『独楽』(「サンデー毎日」掲載)において、彼は自身の多岐にわたる活動(文学、演劇、ボディビル、楯の会など)について触れ、「私はこれらすべてのものを、一本の心棒のまわりに回転させている独楽のようなものだ」と述べている。そして、最も重要なのはこれに続く認識である。彼は「独楽は回転が速ければ速いほど静止しているように見える。しかし、回転を止めれば倒れてしまう」という趣旨の危惧を吐露している。
この「独楽の比喩」は、システムが限界ギリギリのクロック周波数(回転数)で稼働しており、少しでも処理速度を落とせばシステム全体が直ちにクラッシュする(倒れる)という、絶望的な内部状態の告白に他ならない。平岡公威というカーネルは、三島由紀夫という巨大なUIを支えるために休むことなく高速回転を強いられ、すでにオーバーヒートの寸前にあった。「静止しているように見える」完璧な表面の美しさを保つために、内部では摩擦熱が極限まで高まり、パーツの摩耗(精神的疲労)が修復不可能なレベルに達していたのである。彼にとって、老いや疲労によってこの回転数が落ちることは、構築した神話が無惨に崩壊することを意味した。ゆえに、独楽が自然に回転を落として倒れる(老衰や妥協による緩やかな死)前に、最も美しく高速で回転している最中に、自らの手で心棒を叩き折る(切腹による強制終了)しかなかったという論理的帰結がここに生じる。
システムの限界が近づくにつれ、強固に暗号化されていたはずの防護壁の隙間から、深刻な「エラーログ(弱音や絶望)」が漏れ出すようになる。前節でも触れた通り、彼は公的な場では弱音を吐く者を徹底的に批判したが、晩年の書簡においては、もはやその矛盾を覆い隠す余裕すら失っていた。昭和四十五年夏、すなわち市ヶ谷での決起の数ヶ月前、彼は長年の親交があった日本文学研究者のドナルド・キーン宛ての書簡において、次のように記している。「小生は毎日々々、日本といふ国に絶望しきつてをります。(中略)私の中では、政治的行動と芸術的創造とが、全く一つのものになつてしまひました」。
また、同じく昭和四十五年の七月に発表された評論『果たし得てゐない約束――私の中の二十五年』の結びにおいて、三島は有名な予言を残している。「私はこれからの日本に大して希望を繋ぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう」。
これらのテキストは、一見すると戦後民主主義社会や高度経済成長への「憂国の辞(政治的絶望)」として読める。しかし、アーキテクチャの観点からリバースエンジニアリングを行えば、この「日本への絶望」は、彼自身の内部で起きている「システムリソース枯渇への絶望」の外部投影であると言わざるを得ない。彼が批判した「無機的な、からっぽな」状態とは、まさに三島由紀夫という重厚なUIを稼働させ続けた結果、その内側にいたはずの平岡公威という生身のカーネルがすり減り、完全に空洞化してしまった彼自身の精神状態の正確な描写である。彼は日本国という巨大なマクロ・システムのバグを指弾することで、自らのミクロ・システムが直面しているメモリ不足と処理落ちの恐怖を、無意識のうちに告白していたのである。
三島由紀夫というシステムの悲劇は、設計者としての能力が高すぎたがゆえに、自ら設定した「完璧な実行環境」という要件定義に、自分自身の生身のハードウェアが追いつけなくなった点にある。「三島由紀夫」というUIはあまりにも強大で美しく、そして重すぎた。「文武両道」や「憂国」といったアプリケーションを同時実行し続けるための精神的電力は底をつき、外部のノイズ(大衆の誤解や無理解)を処理するための演算能力も限界に達していた。
システムが完全にフリーズし、あるいはエラーを連発して見苦しくクラッシュする(凡人として老いさらばえる)前に、設計者に残された選択肢は一つしかなかった。それは、UIが最も完璧に作動している瞬間に、システムの主電源を物理的に引き抜き、「稼働中の動的システム」から「書き換え不可能な静的データ(神話)」へと自らを永久保存することである。この肥大化したUIによるリソースの完全な枯渇こそが、彼を市ヶ谷駐屯地という「最終出力の舞台」へと追い立てた、最大の内部的要因であった。かくして、自己防衛のために作り上げられた仮面は、その内側にいる男の息の根を止める凶器へと変貌を遂げたのである。
【引用文献・資料】
・三島由紀夫『独楽』(「サンデー毎日」昭和四十五年二月 / 『蘭陵王』所収、新潮社)
・三島由紀夫『果たし得てゐない約束――私の中の二十五年』(「サンケイ新聞」昭和四十五年七月)
・ドナルド・キーン『思い出の作家たち 谷崎・川端・三島・安部・司馬』(新潮社、二〇〇五年)
・三島由紀夫・ドナルド・キーン『三島由紀夫未発表書簡 ドナルド・キーン宛』(中公文庫、二〇〇一年)




