第2節:後付けのセキュリティとしての「鋼の肉体」と「武士道」
前節において、三島由紀夫が自身の深層に潜む「平岡公威」という脆弱な初期オペレーティングシステム(カーネル)を隠蔽するために、『仮面の告白』という偽装のユーザーインターフェース(UI)を実装した過程を論じた。しかし、情報システムにおいて、言語や論理といった「ソフトウェア」のみに依存した防壁は、いずれ限界を迎える。なぜなら、言語とは本質的に多義的であり、他者(不特定多数のノード)による受信と解釈の過程で必ず「誤読」や「ノイズ」が生じる媒体だからである。どれほど精緻な言葉で自らを武装しようとも、外界の物理的な暴力や、社会という泥まみれの現実空間からの干渉を完全に遮断することはできない。三十代に差し掛かった三島は、このソフトウェアのみによる防衛の限界、すなわち「言葉の脆弱性」を強烈に自覚するようになる。自身の構築した完璧な論理空間(神話)を、物理空間の汚染から守り抜くためには、もはやソフトウェアの改修だけでは不十分であった。彼が次なる段階として選択したのは、生身の肉体そのものを改造するという、極めて物理的かつ強引な「ハードウェアの換装」、およびそれに伴う強力な「セキュリティプロトコル」の実装である。本節では、三島が後付けで導入した「鋼の肉体」と「武士道(葉隠)」という二つの装甲について、システム防衛の観点から解析を行う。
昭和三十年(一九五五年)頃より、三島由紀夫はボディビルディングによる本格的な肉体改造を開始する。この肉体への異常なまでの執着と移行の論理を、彼はのちに評論『太陽と鉄』(昭和四十三年・一九六八年)において克明に記している。彼は同書の中で、「言葉が先立って、肉体が後から来た」という自己の特異な形成過程を告白している。通常の人間がまず肉体を持ち、その後に言葉を獲得して社会に適応していくのに対し、三島はまず言葉による肥大化した観念の城を築き、その重みに耐えかねて後から肉体を構築しなければならなかったのである。この事実は、彼にとっての筋肉が、生物学的な自然成長の産物ではなく、極めて人為的に設計・実装された「工業製品」であったことを意味している。彼が求めたのは、老化し、病み、朽ちていく有機的な「平岡公威の肉体」の否定であり、太陽の光を反射する無機的な「鉄」のような、恒久不変のハードウェアの獲得であった。システム工学的に言えば、これはエラーを吐きやすい旧型の生体ユニットを廃棄し、外部からの物理的衝撃を跳ね返す強固なチタン合金の装甲へと換装する作業に他ならない。「鋼の肉体」は、彼の繊細すぎる精神を物理空間のノイズから保護するための、絶対的な防弾壁として機能することが期待された。
しかし、どれほど強固なハードウェア(筋肉)を手に入れても、それを物理空間においていかに駆動させるかという「行動規範」がなければ、システムは自律的に稼働できない。巨大な力を持った肉体を、無秩序な現実社会の中でいかに美しく、かつエラーを起こさずに制御するか。そのためのオペレーティング・プロトコルとして三島が採用したのが「武士道」であり、とりわけ『葉隠』の思想であった。昭和四十二年(一九六七年)に上梓された『葉隠入門』において、三島は「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一節を、自己のシステムの究極の行動原理として定義し直している。三島にとっての『葉隠』とは、単なる封建時代の道徳律ではなく、現実社会というバグだらけの環境を生き抜くための「例外処理」のマニュアルであった。現実社会において、自己の美学や論理が他者によって汚染されそうになった時、あるいは肉体が老いという不可逆の劣化(エントロピーの増大)を始めた時、システムはどう振る舞うべきか。武士道は、その問いに対して「死(システムの強制終了)」という極めてシンプルかつ絶対的な解決策を提示する。生への執着という複雑な計算処理(妥協、忍耐、変節)をすべて切り捨て、「名誉か、死か」というバイナリ(二進法)のコードに還元することで、三島は自己のシステムが外部要因によって論理破綻を起こすリスクを、物理的に未然に防ごうとしたのである。
ここで極めて重要なのは、三島が規範とした『葉隠』が、機能的な「生存の論理」を持った本来の武士の思想とは決定的に異質であるという歴史的リアリズムの視点である。鎌倉時代や戦国時代の武士にとって、最も重要な責務は「一族(共同体)の生存」であり、生き残るためならば泥にまみれ、主君を替えることすら厭わない実用主義(インフラの保守運用)がその本質であった。対して『葉隠』は、戦闘が消滅し、武士が実質的な官僚へと変質した江戸時代中期の泰平の世において、佐賀鍋島藩の山本常朝が口述した「実用性のない死のロマンティシズム」の産物である。本来の武士が持っていた「生き延びてシステムを維持する」という泥臭いリアリズムを喪失した平和な物質世界において、仮想現実として捏造された極端な美学――それこそが『葉隠』の正体である。三島由紀夫ほどの卓抜した知性であれば、この歴史的誤謬を見抜けなかったはずはない。にもかかわらず、彼が生存を目的とする実戦的な武士道ではなく、機能主義を否定した『葉隠』に心酔したのは何故か。それは、彼が求めていたのが「現実社会を生き延びるための実用OS」ではなく、「自らの脆弱なカーネルを最も美しい状態で破壊(完結)させるための、自己破壊プログラム」だったからである。生存という泥まみれのメンテナンス作業を嫌悪した三島にとって、『葉隠』の非実用性こそが、むしろ自己の芸術的完結を保証する至高のセキュリティであったと言える。
このように検証していくと、「鋼の肉体」も「武士道」も、平岡公威という生身の人間から自然発生したものではなく、危機感に駆られた設計者が後から必死に取り付けた「非ネイティブな拡張機能」であったという自己矛盾が浮き彫りになる。生来の武人ではない彼が、ことさらに右翼的な軍国主義や尚武の精神を声高に叫び、楯の会という私兵組織を結成して軍服というUIを身に纏ったのは、その内側に守るべき「恐怖に震える脆弱な少年」が依然として存在し続けていたことの何よりの証左である。要塞の壁の厚さは、その内側に隠されたものの脆弱性に正比例する。三島の構築した「武士道と筋肉」という防壁が常軌を逸して分厚く、かつ過激であった事実そのものが、逆説的に彼の初期OSがいかに現実社会との摩擦に耐えられない、脆いものであったかを証明しているのである。
そして、この後付けの過剰なセキュリティシステムは、最終的にホストコンピュータ(平岡公威自身)を破壊するに至る。元来脆弱なカーネルの上に、重厚すぎるハードウェア(筋肉)と、極端な例外処理プロトコル(葉隠)を無理に実装した結果、三島由紀夫というシステムは、その状態を維持するだけで膨大なエネルギー(精神的・肉体的リソース)を浪費するようになった。老いや衰えというハードウェアの経年劣化が迫り来る中、「絶対にエラーを起こしてはならない」「絶対に美しくあらねばならない」というセキュリティソフトの監視は日増しに厳格化し、ついには少しでもシステムにノイズが走る前に、自らの手で電源を引き抜く(自決する)ことだけが、唯一の防衛策となってしまったのである。次章において詳述するように、この「生存プロセス」に対する徹底的な拒絶と、静的な美への逃亡こそが、三島由紀夫という類稀なる設計者が犯した最大の論理的敗北であった。彼の構築した完璧なる防壁は、外部の敵から彼を守るのではなく、彼自身を内側から密閉し、窒息させるための巨大な棺に他ならなかったのである。
【引用文献・資料】
・三島由紀夫『太陽と鉄』(講談社、一九六八年)
・三島由紀夫『葉隠入門――武士道は生きてゐる』(光文社、一九六七年)
・山本常朝 口述 / 田代陣基 筆録『葉隠』(江戸時代中期)




