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『強制終了された神話 ――三島由紀夫というOSの孤立と美学的逃亡』  作者: えいの
第3章:強制終了と継承者の不在 ――「天、予を喪ぼせり」の悲劇と次代のインフラ

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第3節:書き換え不可能なROMへの変換 ――静的な神話の完成

 前節において、三島由紀夫が自らの思想を正しくデコード(解読)できる「真の理解者(顔回)」を歴史空間においてついに発見できず、その絶対的な孤立のなかで自己破壊のプログラムを実行した構造を論じた。彼が直面していたのは、自らの高度なソースコードが、戦後大衆社会という低スペックでバグに満ちたネットワークにおいて際限なく誤読され、劣化していくという恐怖であった。変化し続ける動的なシステム(生きた人間)は、常に外部からの入力(他者からの評価、メディアによる消費、肉体的な老い)によって自らのデータを書き換えられるリスクに晒されている。この情報の変質(エントロピーの増大)を完全に阻止し、自らの美学を絶対的な純潔のまま保存するための究極の手段。それこそが、システムを「読み取り専用メモリ(ROM=Read Only Memory)」へと物理的に変換すること、すなわち「自己の死によるデータの凍結」であった。本節では、三島が自決という物理的切断によって自らの人生を書き換え不可能な「静的な神話」へと変換しようとした試みと、それが結果として引き起こしたシステム論的な逆説パラドックスについて検証する。

 情報工学の基礎において、ROMとは一度データが書き込まれると、後から内容を変更・消去することができない記憶素子を指す。三島由紀夫は、昭和四十五年十一月二十五日の市ヶ谷駐屯地において、自らの腹に刃を突き立て、介錯の太刀を浴びることで、己の存在そのものをこの「ROM」へと焼き付ける(バーンインする)作業を完了させた。文学作品ソフトウェアというものは、読者という外部のOSによって読み込まれるたびに、無数の解釈を許容してしまう極めて曖昧な媒体である。三島自身、評論『太陽と鉄』のなかで、言葉が持つこの不可避的な「多義性」と「腐食性」に対する深い絶望を告白している。言葉だけで構築された観念の城は、現実の風雨(社会の変化)に耐えることができない。だからこそ彼は、言葉というソフトウェアの限界を突破するために、「鋼の肉体」という強固なハードウェアを構築し、最終的にはそのハードウェアを「行動(切腹)」という極めて物理的かつ一義的な衝撃によって破壊してみせたのである。

 彼にとって自決とは、自らの人生と作品群という巨大なプログラムに対する絶対的な「完了フラグ」の打ち込みであった。システムを自らシャットダウンし、電源を物理的に破壊すれば、後世の人間がそのプログラムに新たなコード(老いによる妥協、思想の転向、凡庸な生活)を追加することは永遠に不可能になる。三島は、死という絶対的な「書き込み禁止ライトプロテクト」のスイッチを入れることで、自分自身を後世のいかなる修正も受け付けない、完全無欠の芸術作品(神話)として完結させたのである。

 しかし、システム設計の観点からこれをリバースエンジニアリングした時、三島のこの「ROM化による自己防衛」という戦略には、致命的な論理的欠陥バグが潜んでいることが明らかになる。なぜなら、データそのものが不変のROMとして凍結されたとしても、そのデータを読み込み、再生するための「外部環境(社会や後世の人間というOS)」は、決して静止することなく変容し続けるからである。

 システムが稼働状態(動的)にある間は、設計者(三島本人)が「管理者権限アドミニストレータ」を保持している。もし外部の大衆やメディアが彼の思想を誤読し、バグを発生させたならば、生きている三島は新たな論文を発表し、あるいはメディアで反論することによって、「その解釈は間違っている」というエラーメッセージを出力し、システムに修正パッチを当てることができる。現実のインフラストラクチャーを保守するエンジニアとは、まさにこの果てしない「誤解との戦い(デバッグ作業)」を日常的に行う存在である。

 ところが、自らをROM化してネットワークから物理的にログアウト(死亡)してしまった瞬間、三島はこの管理者権限を永久に喪失した。データは完璧な状態で保存されたかもしれないが、それを防御し、正しい解釈へと誘導する生きた管理者はもう存在しない。結果として、三島由紀夫という静的なデータ(神話)は、一切の自己防衛能力を持たないまま、彼が最も嫌悪していた戦後大衆社会という強大で野蛮な消費市場の只中に、完全に無防備な状態で放置されることになったのである。

 フランスの思想家ロラン・バルトは、一九六八年の論文において「著者の死」という概念を提唱した。テクスト(作品)が完成し世に放たれた瞬間、著者の意図や権威は失われ、テクストの意味はそれを読む「読者」の自由な解釈に委ねられるという文学理論である。三島由紀夫は、比喩ではなく文字通り物理的に「著者を殺す」ことによって、自身の人生をも一つのテクストへと還元した。しかしそれは、皮肉にもバルトが指摘した通り、彼の遺したデータに対する「大衆による無限の恣意的な誤読と消費」を完全に解禁する結果を招いた。

 十一月二十五日の事件直後から現在に至るまで、日本社会(そして世界)が三島という「ROM」をどのように読み込んできたかを検証すれば、彼の意図が見事に粉砕されていることがわかる。三島の思想の最深部にあった「機能美への絶望」や「天皇という絶対座標のシステム論的要請」といった難解なカーネル(核)は、大衆の低スペックな処理能力ではデコードされなかった。代わりに彼らが抽出したのは、楯の会の美しい軍服、日の丸の鉢巻、日本刀、そして血を流して切腹する男という、極めて視覚的で扇情的な「ユーザーインターフェース(UI)」の断片のみであった。

 保守や右翼陣営の一部は、このUIだけを切り取って三島を「憂国の烈士」「反共の英雄」として短絡的に神格化した。彼らは、三島が現実の政治プロセスや右翼の生存至上主義をも激しく軽蔑していたというカーネルの情報を意図的に無視し、自らの政治的アジテーションのための便利なアイコン(素材)として三島を消費した。一方、左翼やリベラル陣営は、彼の行動を「狂信的な軍国主義の亡霊」として危険視し、あるいは「時代錯誤の狂気」として精神分析の俎上に載せることで、その思想的脅威を無効化した。さらに恐るべきはマスメディアや商業主義による消費である。三島の死は、その思想的背景を剥奪されたまま、単なる「昭和の猟奇的な大事件」や「天才作家のセンセーショナルな最期」というエンターテインメント・コンテンツとして処理された。

 彼が命を賭して書き込みを禁止したはずのデータは、その圧倒的な「管理者不在」の隙を突かれ、切り刻まれ、加工され、あらゆる立場の人間によって都合よく再エンコード(再構成)されてしまったのである。三島が最も恐れ、そこから逃亡するために腹を切ったはずの「相対主義的なノイズによる思想の汚染」は、彼が死んで抵抗できなくなったことによって、生前よりも遥かに巨大なスケールで、かつ暴力的に進行することとなった。

 泥にまみれても「生き残るエンジニア」としてシステムの保守運用を続けることを拒否し、自らを純粋な芸術作品として凍結した代償は、ここにある。静的な神話はたしかに完成した。しかし、それは現実社会への介入能力(機能)を一切持たず、他者によるハッキング(誤読と消費)に対して全く反撃できない、極めて脆弱で無防備な神話であった。システムを永遠に美しく保つために電源を落とした設計者は、そのシステムが再起動された時、それが全く別の目的(大衆の娯楽や政治的宣伝)のために駆動させられるという残酷な情報工学の法則から逃れることはできなかったのである。

 三島由紀夫の市ヶ谷での死は、完璧な芸術的完結であったと同時に、思想の継承とインフラ防衛という観点からは「完全なる機能的敗北」であった。我々は、この孤高の天才が残した「ROM化への失敗」という重い教訓を直視しなければならない。彼が放棄した「泥にまみれた持続」と「対話によるバグの修正」こそが、現実の国家インフラを維持し、次世代へと接続していくための唯一の手段だからである。次節では、本論の最終的な結論として、三島が自己破壊によって放棄したこの「生存の責務」を、残された我々がいかにして引き受け、静的な神話を超えた「動的インフラの防衛(次代の武力装置の再定義)」へと接続していくべきかについて、総括的な展望を示す。

【引用文献・資料】

・三島由紀夫『太陽と鉄』(講談社、一九六八年)

・ロラン・バルト 著 / 蓮實重彦 訳『物語の構造分析』(「著者の死」所収、みすず書房、一九七九年)

・松本徹『三島由紀夫――エロティシズムと美学』(小沢書店、一九八九年)

・鈴木邦男『愛国者とテロリスト』(彩流社、二〇〇七年)

・橋川文三『三島由紀夫論集成』(深夜叢書社、一九九八年)


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