32話 巨星墜つ
「かいもーんっ! 栄より早馬に御座る!」
固く閉じられた門の前で馬を棹立ちにさせ、使者が大声で口上を述べる。
門が半分開き、要件を質すために武装した門衛十名が出迎えに出た。同時に、屯所内の伝令が、カルラの住まいであり赤星の政務も行われている本屋敷――庁舎と呼ばれる建物へ向けて走り出す。
「カキヒサ・ヒラフが使者に御座る! 赤星のカルラ殿へ、至急の申し状これ有り! 罷り通るッ!」
馬上から要件が告げられると同時に、門が開け放たれ、門衛たちが道を開ける。それを見て「はっ!」と使者が鞭を入れると、馬は再びけたたましい勢いで駆け出した。すると、門の内側に設けられた警衛所から、すぐさま二人の兵士が飛び出し、使者の馬の左右を固めるようにして追走を始めた。
「何事だい、慌ただしいね」
門より放たれた先触れを受け、カルラは庁舎玄関に設えられた式台へと姿を現した。伝令は駆け寄るなり馬から飛び降り、カルラの前に立つゴンタのもとへ進み出る。
「ははっ! 主、カキヒサよりカルラ殿へ、火急の書状に御座りますれば」
そう言うや、懐に縫い込んだ革製の文袋から丁重に書状を取り出し、両手で掲げて差し出した。受け取ったゴンタが無言で主へ渡す。カルラは外包みを解き、中の折状を抜き取ると、手首を鋭く払って一息に開いた。
『急啓申し入れ候。本日、入道様俄に不例に御座候て、卒倒なされ候事。御年も御年に候えば、明日をも知れぬ危急の容体に御座候。一刻の猶予も無く候事。カルラ殿におかれては、万事を抛ち、直ちに栄の城へ御着城あるべく候。右、一重に願い上げ候。委細は拝謁の上、申し述ぶべく候。恐々謹言』
書状を両手に持って目を走らせたカルラは、読み終える間もなく言った。
「早船を出せ! 栄へ、ゴウケンに会って来る」
弾かれたようにシンザが外に向けて走り出し、ゴンタが屋敷の奥へと走る。コウメイが静かにカルラの隣に並ぶと、カルラは「みろ!」と書状を押し付けた。
「ゴウケン殿が……」
コウメイは目を見開いたまま、しばし言葉を失った。やがて静かに瞼を閉じ、深く息を吸い込み、ゆるやかに吐き出す。再び開かれた瞳には理性の光が戻り、目元にかすかな笑みをたたえて、まっすぐカルラを見つめた。
「こちらは万事、お任せ下さい。ショウカらと図って、進めておきます」
カルラはコウメイと視線を合わせ、一つ大きく頷くと、足早に外へ向けて歩き出す。屋敷から飛び出したゴンタが歩きながら器用にカルラの腰に太刀紐を巻きつけ、早掛けに結わえて太刀を佩かせる。続いて駆け寄った兵士が、カルラの鉄扇を重そうに両手で手渡した。
小袖に動きやすい騎乗用の馬乗袴という出で立ちのカルラは、そのまま足を速める。最後に瑠璃色の蝶が背中にあしらわれたマントを受け取り、大きく風を孕ませて羽織ると、久池井の港からシンザが手配した足の速い小型船、小早で一路、栄の城を目指した。
「エロジジイ! あたしが来てやったよ。安心して往生しな!」
多布施川の流れに任せて下り、ほどなく栄城へ着いたカルラは、供の二人を門の待合所に置いて一人で本丸御殿へ上がり込んだ。廊下をどかどかと無遠慮に踏み鳴らし、大声で品の無い言葉を投げかける。
あまりに礼を失する物言いだったためか、先導していた侍がぴたりと足を止め、目尻を怒らせて鋭い視線を向けてくる。すると、数間先の障子が音もなく開き、ヒラフが顔を出した。
「おぉ! カルラ殿、来てくれたか。こっちだ、こっち」
そう言って嬉しそうに手招きをする。カルラは目の前でしかめっらをしている眉毛の太い侍に向けて、しっしと手を振って追い払った。
「殿! カルラ殿がお見えですぞ!」
部屋の中からは、首を引っ込めたヒラフの声が聞こえた。ヒラフが顔を出した障子から部屋に足を踏み入れると、かつてカルラが贈った綿入りの布団の中に、しわくちゃの小さな老爺が目を閉じて横たわっていた。
「ヒラフ――死んでるじゃないか」
カルラはヒラフに責めるような視線を向ける。
「まだ生きておるわ、馬鹿者」
布団の中の死体……ではなく、死にかけの老爺が片目を開いて乾いた声を漏らした。
「お主、人が病に倒れたというのに、最初の言葉が『往生せい』とは……まったく、容赦がないの」
その横でヒラフは腹を抱えて肩を揺らし、必死で笑いをこらえていた。
そんなヒラフをちらりと見やり、カルラはゴウケンの枕元にどかっと腰を下ろす。そして、そっとその顔に手を伸ばし、皺だらけの頬を優しく撫でた。
「ジジイ、頑張ったな」
艶のある切れ長の目を優しく細め、慈愛のこもった瞳でじっとゴウケンを見つめる。
しかし、その心地よい掌の感触に抗うように、ゴウケンは微かに首を振った。
「お主のせいじゃぞ。お主との出会いが無ければ……あれらは死なずに済んだのだ」
慈愛に満ちていたカルラの目がスッと細められ、頬を撫でていた手が止まる。彼女はゆっくりとその手を引っ込めると、わざと突き放すような冷たい声を出した。
「ほぉ……人のせいにする気かい」
低くどすの利いたカルラの声。厳しい言葉を投げかけられ、ゴウケンは苦しげに顔を歪めた。布団から痩せ細った腕を這い出させ、何かを探り当てるように宙を震わせる。
「いや、すまぬ、カルラ……」
カルラは短く鼻で息を吐き捨てると、宙を彷徨う老爺の震える手を優しく両手で包み込んだ。
「いまさら迷うんじゃないよ、ジジイ」
その短くも力強い一言に合わせるように、先ほどまで肩を揺らして笑っていたヒラフがスッと真顔に戻る。彼は居住まいを正し、言葉を継いだ。
「そう、いまさらですぞ、殿。カルラ殿に、それを言うてはなりませぬ」
ヒラフの嗜めるような声に、ゴウケンは小さく息を吐き、自嘲するような、それでいてどこか誇らしげな笑みを深い皺に刻んだ。
「そうじゃな、そう……儂はいま、嬉しくてうれしくて、たまらんのだ」
ゴウケンの濁った瞳が、ふと天井の虚空を彷徨う。その目に映っているのは、眼前にある死の淵ではなく、遥か先の景色であるようだった。
「我が策は成り、優秀な後継を得た。カルラに見せてもろうた夢、新しい国造り、その道筋を付けた」
だが、その恍惚とした光は一瞬で翳り、老将の顔に再び苦悩の色がへばりつく。
「ただ……我が息子らの無念を思えば」
カルラはゴウケンの顔から目を逸らさず、握りしめた枯れ枝のような手を優しくさする。
「言うなジジイ……空しくなるだけだ」
ゴウケンの声は消え入るように小さく、湧き上がる感情を強引に押し殺すように震えていた。
「儂だけが、このような幸せのうちに死んでも良いものか……」
ゴウケンは、カルラに握られた手を微かに震わせ、喘ぐように懺悔懺悔の言葉を絞り出す。
「儂こそが、全ての元凶であり、外道畜生のごとき行いをした首謀者であるというのに」
ゴウケンは顔を顰めて嗚咽を漏らす……が、既に涙も枯れ果てたのか、その瞳は色を失っていた。ただ虚ろに空を見つめながら「ゆるせ……」と繰り返す。
「ヒラフ……しばらく二人きりにしてくれるか」
カルラは視線をゴウケンから外さぬまま、静かに告げた。もはや、持たない。いよいよ死がこの老人に迫っていることは、誰の目にも明らかだった。
「あ、ああ……それは良いが」
ヒラフは沈痛な面持ちで立ち上がると、部屋の中に控えていた護衛の侍たちに目配せをした。彼らが退室し、部屋に誰も居なくなったのを確認すると、カルラは帯に手をかけて衣服を一つずつ脱ぎ始めた。
そして一糸まとわぬ姿になって布団の中へと入り、ゴウケンの横にそっと身体を横たえる。そのままゴウケンの小さな頭を抱え込み、自身の豊満な乳房で柔らかく包み込んだ。
「カルラ……」
豊かな胸の谷間から、喘ぐようなゴウケンの声が漏れた。
「なんだい」
カルラは老爺の薄い白髪を優しく撫でながら、穏やかに応じる。
「いや……よい」
カルラの返事に、ゴウケンは躊躇うように口をつぐんだ。
「今際のきわだ、言いたいことはちゃんと言いな。じゃないと、残された者が苦しむじゃないか」
どこまでも温かいカルラの言葉。それに背中を押されるように、ゴウケンは微かに顔を動かした。
「そうか、そうだな……ならば――カルラ。儂はお主を、女として好いておった」
「知ってたよ、エロじじい」
即座に返ってきた言葉に、ゴウケンの喉が微かに鳴る。笑おうとしたのだろう。
「そうか、そうじゃな。お主はいつも、お見通しだ」
うちに秘めた恋心を告白したゴウケンは、震える両手を伸ばし、いったいどこに残っていたのかと思うほどの力でカルラの素肌に縋りつく。やがてその胸元へと深く顔を埋め、最後に大きく息を吸い込んだ。
そうして肺の奥まで彼女の匂いで満たし――そのまま、静かに動かなくなった。
……腕の中で、つい先ほどまで言葉を交わしていた老爺の体温が、未だ確かに残っている。カルラはそのぬくもりを抱きながら、ゆっくりと息を吐いた。
愛する者の温もりに抱かれて、穏やかに最期を迎える男もいる。その一方で、理不尽な暴力に打ち砕かれ、苦痛と屈辱に苛まれ、呪詛を吐き散らしながら地をのたうって死ぬ者もいる。
この理不尽こそが世間というものだ。人の世に平等などあるはずもなく、救いもまた、等しくは訪れない。幸せと不幸せ――これを分けるのは、結局のところ天の差配であり、運に任せるしかないのだ。
己の行動によって幸せに近づくことや、不運を遠ざけることは出来るだろう。だからといって、絶対はないのだ。できることをやって、後は天運に任せる。人事を尽くして天命を待つ姿勢こそが、理不尽な人の世をよりよく生きるためにできる、唯一の手段なのだ。
「幸せそうな顔をしやがって。最後の最後まで、世話の焼けるジジイだねぇ、まったく……」
満たされた顔で逝ったゴウケンを見下ろし、カルラはそっと目を閉じる。その瞼の裏には、鮮烈な血の記憶が焼き付いていた。
ゴウケンの息子、カドイエが残した、自らの血で書き殴った凄惨な漢詩。そして、腹を割いて腸を引きずり出し、そのまま投げつけたという、血染めの仏像――あの日の地獄のような光景と無惨な首なしの躯が、眼前にある穏やかな死に顔と重なるように、カルラの脳裏にまざまざと蘇っていた。
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