31話 策は成れり
「姉さまー! お体をお拭きしましょう!」
ここに至るまでに、幾度も不毛な問答が繰り広げられたのであろう。浴場の控えに置かれた腰掛けに座り、死んだ魚のような目をしたカルラが、シズネにされるがまま身を任せていた。
湯上がりの火照った肌に浮いた水滴が、それこそクソが付くほど丁寧に、上質な絹の浴布で拭い清められていく。
大きく張り出した胸元から続く、丸みを帯びた双丘。シズネが背後から脇の下へ手を入れて前に回し、その小さな掌には到底収まりきらない豊かな乳房を、下から持ち上げるようにして水気を拭き取っていく。
シズネの細い指が沈み込み、ゆっくりと柔らかく形を変えるその肉の塊は、同性である女ですら理性を揺さぶられるほどの艶めかしさであった。
「それよりもカルラ様。先ほどお話のあった、あの……セイエン様の還俗のお相手の件で御座いますが」
ふと、遠慮がちに口を開いたのは、初めて会った時に婆や呼ばれていた女だ。三十路をいくらか越えた年頃の、豊満な肉体を持つ年増女。名を、ツナといった。
「なんだい。あんたがやりたいとでも言うのかい」
絶望に染まっていたカルラの瞳に、スッと鋭い光が戻る。ぎろり、と効果音でも鳴りそうな動きで、鋭利な視線をツナへと向けた。
「ええ、まぁ……はい」
たじろぎながらも頷いたその顔をよく見れば、なかなかどうして、愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしている。カルラやシズネのような、美しく整った美人というわけではない。だが、見る者を安堵させるような、柔らかく温かみのある魅力が溢れていた。
品定めをするようなカルラの視線を感じたツナは、そわそわとしながらもすっと立ち上がり、おもむろに帯を解き始めた。小袖を滑り落とし、薄衣の襦袢をはだけて、カルラの前にその豊かな肌を惜しげもなく晒す。
釣鐘のような形をした、張りがありながらも重みでたわんだ柔らかそうな乳房。ふっくらとしつつも酷く抱き心地の良さそうな、丸みを帯びた曲線。なるほど、溢れんばかりの母性を感じさせながらも、男好きのする肢体の持ち主であった。
「ふぅん……男は好きだろうね、そういう柔らかそうな身体」
カルラは長い睫毛に縁どられた切れ長の瞳を細め、値踏みするように上から下へとゆっくり視線を這わせた。その言葉にツナは少しだけ頬を染め、改めて小袖を羽織り直すと、そそくさと帯を締めて身なりを整えた。
「聞けば、セイエン様は既に、祝言の日取りも決まっているそうで御座います」
ゆっくりとした所作でカルラの前で膝を付き、正座をして両手を腿に乗せ、すっと背筋を伸ばすツナ。
「もし、若い女子をあてがい、万に一つでも情が通じ合っては一大事で御座います。かといって、とうの立った年増ではお可哀想にございますれば」
その間にも、シズネが上半身を拭き終え、下腹の茂みの奥へと無遠慮に手を伸ばそうとした。カルラはその手をパシンと叩いて浴布を取り上げる。シズネは頬を膨らませて露骨に不満げな顔をしたが、カルラは構わず残りの水気を自らの手で拭き取っていく。
「確かにね。亭主を殺されて数カ月。ただでさえ辛い思いをしている所へ、お家のためとはいえ他の女に情を残した男をあてがうのは――さすがに酷ってもんだ」
カルラは納得したように頷いた。その後ろでは、シズネが衣紋掛けからカルラの襦袢を手に取っていた。
「その点、私は見ての通りの年増では御座いますが、この体はまだ枯れてはおりませぬ。それに、容姿が特段優れているわけでも御座いませんので……」
そう言って、ツナは少し恥ずかしそうに伏目になった。
「まあ、年は食ってるけどね。でも、見た目はそんなに卑下するもんじゃないよ。好きな奴なら、とことんハマりそうな容姿じゃないか」
カルラの評価に、ツナは意を決したように顔を上げ、言葉を継いだ。
「こう見えても……若い頃から『たたら場』の男たちを相手にして参りました。そちらの作法も、ある程度は心得ている……と、自負しております。セイエン様にも、きっとご満足いただけるかと」
カルラはゆっくりと目を閉じ、腕を組んだ。しばしの沈黙ののち、ゆっくりと目を開ける。カルラは両足を大きく開き、膝の上に肘を乗せて前のめりになった。
不意に迫ったカルラの顔。その体勢によって、ツナの視界には彼女の妖艶な女の武器が剥き出しとなって飛び込んできた。
「なんだい、やけに積極的じゃないか。普通なら赤の他人に抱かれるなんて、自ら好んで名乗り出ることじゃないと思うんだけどね」
カルラの瞳に射すくめられ、ツナは朱に染まった頬を隠すように顔を伏せた。
「そ、その……実を申しますと、セイエン殿のあれは人並外れて大きいと聞き及んでおりまして、その……」
顔の赤みはさらに増し、もはや茹で上がったタコのようだ。ツナは誤魔化すように視線を左へと逸らしたが、その瞳は潤み、隠しきれない期待に微かに揺れていた。
「婆や……私には『はしたない』だの何だの言っておいて、あんたって人は……」
シズネがじっとりとした視線をツナに向けながら、ぼそりと呟く。
「い、いえ! ほら、大きすぎるとなれば、ですよ? 未婚で、子を産んだこともない女子では、さすがに辛い思いをするかと。その点、私なら四人も産んでおりますし……子の頭より大きいということは、ありますまいし……」
もっともらしく並べ立てる言葉の端々から、熟れきった身体に滲む女の業が透けて見える。
カルラは呆れたように、長く重い溜息を吐いた。だが彼女もまた知っている。女という生き物に巣くう、どうしようもなく浅ましく、それでいて抗いがたい剥き出しの情欲というものを。
「そうかい、分かった。あんたに頼む。あとはそっちでうまくやっとくれ」
まったく、この主従は一体……喉まで出かかった悪態を飲み込み、カルラは片手で眉間を押さえた。
しかしまあ、これこそが男女の、そして人間の本質なのだろう。学者や仏が説く道徳や高潔な理念とて、生物の根源的な衝動には抗えるはずがないのだから。
――ならば。
子を産むことの叶わぬこの身に巣くう、この狂おしい感覚は何だ。カルラは、自らの内に潜む底なしの浅ましさと、それによって失うもの、そして引き換えに得られるであろう束の間の安寧とを、静かに心の秤に載せた。
そしてその夜――屯所の中に凄まじい女の声が、夜が明けるまで響き渡った。
翌朝、廊下ですれ違ったツナの顔は瑞々しい張りを帯び、五つ、いや十は若返ったのではないかと思える艶を湛えていた。
そして今――屯所庁舎の前に立つのは、還俗を終えたセイエン。名をリュウドウ・タカフジと改めた若武者が、侍としての新たな門出を迎えようとしている。
だが、その顔に生気はない。目の下には濃い紫の隈が刻まれ、頬もいくらか削げている。数え十七。本来なら生命力に満ちているはずの年頃だ。にもかかわらず、その佇まいには、すでに盛りを過ぎた中年男のような哀愁が漂っていた。
「カルラ殿……女子というものは、げに恐ろしいものでございまする」
絞り出す声に、かつての生意気な若造の面影はない。侍としての門出にふさわしくあろうと必死に胸を張るが、精根尽き果てたその瞳からは、年相応の若々しい光を感じられない。
「み、皆がそうという訳ではないと思うぞ……ま、まあ、その、なんだ。毒を知って薬を知ると言うじゃないか。若いうちに学べたのは、きっと悪いことではない。うん、悪くないはずだ」
カルラは引きつった笑みを浮かべながら一歩踏み出し、やつれた男の肩をそっと撫でた。
「才知に恵まれながら、女色に溺れて身を持ち崩した英雄の話なんてごまんとあるんだ……お前なら、もう大丈夫だろう」
こめかみに汗を浮かべながら、罪悪感をごまかすように言葉を続けた。
「貴女という人は、そこまで考えて俺にあの女を……かたじけない。俺は、姉貴の弟子として学ぶことができて、本当に幸せ者だ」
タカフジはそう言って、溢れる涙を隠そうともせずに男泣きに泣いた。カルラはそっと絹の布巾を取り出してその目元を拭うと、それを懐にしまい、両手でタカフジの頬を包み込むようにして顔を上げさせた。
そして、吸い寄せられるようにゆっくりと顔を近づけ、その唇に柔らかな口づけを落とした。
「あ、姉貴……? いや、カルラ――殿」
唇を離してもなお、カルラはその瞳をじっと見つめる。
「あたしの女が疼くような、いい男になりな」
艶を帯びた笑みが、かすかに揺れた。
「――ああ。俺はまだ、諦めてないぞ」
生意気に返す声に、カルラはもう一度、小さく唇を重ねる。
「『俺は』じゃない。『儂はまだ、諦めておらぬぞ、カルラ』だ」
そう言って手を離し、背筋を伸ばすようにして姿勢を戻した。
「そ、そうだ……儂はまだ、お主を諦めてはおらぬぞ、カルラ!」
タカフジは力強く言い直し、胸を張った。その顔には、先ほどまでの枯れたような翳りは微塵もない。大きく開かれた相貌には、若獅子のごとき不敵な光が宿っていた。
こうして還俗を終えたセイエン改めリュウドウ・タカフジは、寺を出て、山を下り、栄の町――栄城へと入った。
そこからは、まさに怒濤の慌ただしさである。代替わりと襲名の儀が立て続けに執り行われ、タカフジはまずゴウケンより分家当主の座を受け継いだ。続いて、粛清された宗家嫡男の未亡人、オトナ姫との祝言。
直系分家の男子として宗家に婿入りし、当主の座に就くことで断絶しかけた血筋を繋ぎ直す。さらに弟カドナカが十二で元服し、急ぎ分家の跡目を継ぐこととなった。
ゴウケンが存命のうちに――リュウドウ一族に絶対の影響力を持つ彼が目を光らせている間にと、十日足らずで一切の継承は滞りなく整えられた。
一方のカルラは、祇園原から連れてきた職人たちの差配をショウカに委ね、まずは住居と物資、当面の資金を与えて生活基盤を固めさせる。その上で新たな事業に向け、赤星の経済を担う者らと談合を重ねた。とはいえ、彼女は方針と技術の要点だけを示し、実務はすべてショウカに丸投だ。
そうして仕事をひと通り片付けると、あとは全て押し付けて知らぬ顔。彼女は、もとより根が怠け者なのだ。
空いた時間は酒を浮かべて湯に浸かり、手合わせと称して若い兵士をぶちのめし、夜は皆と酒を酌み交わす。時にはコウメイやシンザ、ゴンタらを寝所へ引き入れ、睦言に耽るという、タカフジとは対照的に悠々自堕落な日々を送っていた。
――そんなある日のこと。
栄から急を告げる早馬が門前で棹立ちとなり、土煙を上げて停止した。
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