選ばれたのではなく、選んだ
お茶会が終わるころ、リリアーナ様は立ち上がり、私に微笑みかけた。
「アルベルトが、あなたに会いたいそうなの。
執務室まで一緒に行きましょう」
そうして案内された執務室は、静かで、落ち着いた空間だった。
アルベルト様は、昨日と同じように品のあるローブを羽織り、並べられた書類に目を通していた。甘い香りを連れて執務室にやってきた私たちに気がつくと、椅子から立ち上がり、穏やかに口を開いた。
「アリア。昨日は、よく眠れたかい?」
一瞬、言葉に詰まる。
「……はい。とても」
「不便なことは、なかったかな」
「いいえ……何も。たくさん、していただいて……」
自然と、頭が下がる。
感謝を伝えずにはいられなかった。
アルベルト様は、それを見て、少しだけ表情を和らげた。そして、ふかふかのソファへ腰掛けるように促した。アルベルト様とリリアーナ様と対面で座る。優しい眼差しに居心地の悪さは感じなかった。
「そうか。それを聞けて安心した」
短い沈黙のあと、彼は続ける。
「では、本題に入ろうか。
アリア、君にひとつ、提案があるんだ」
「我々は——この家は、君を正式に迎え入れたいと考えている」
一瞬、意味が分からなかった。
「……迎え、入れる?」
「養子として、だ」
頭の中が、真っ白になる。
——養子。
——公爵家。
繋がってしまった言葉に、思考が追いつかない。
「ヴァルシュタイン公爵家の、養女として」
やっぱり。
聞いたことのある名前。
貧困街でも、別世界の存在だった家。
どうして、私が……
そう思うのに、胸の奥では、もう答えが決まっていた。
その言葉が喉まで上がってきたけれど、口にしなかった。言葉にしようとした瞬間、自分でも驚くほど、胸が熱くなったからだ。
怖い。
でも、それ以上に——
ここを、失いたくない。
「無理に、とは言わない」
アルベルト様は、はっきりと言った。
「君の意思を、尊重したい」
リリアーナ様も、そっと微笑む。
しばらく黙り込んだ私を、責めることなく見守っていた。
「一緒に考えましょう。急がなくていいのよ」
優しい声。
でも、私は、ゆっくりと首を振った。
「……たい、です」
一度、言葉を探すように息を吸ってから、
「ここに……いたいです」
その瞬間、アルベルト様は、ほっとしたように息を吐き、リリアーナ様は、胸に手を当てて微笑んだ。
「ありがとう、アリア」
「歓迎しよう。今日から君は、ヴァルシュタイン家の娘だ」
その言葉が、胸に落ちてきた。
まるで夢を見ているようだった。
使用人に連れられて書斎を出て、部屋へ戻る。
昨日まで貧困街にいたのにこんなことになるなんて、現実じゃないみたい。
ふらふらと部屋にたどり着き、扉を開けた瞬間、思わず息を呑んだ。
部屋の中には、
色とりどりの新しいドレス。
光を受けてきらめくアクセサリー。
そして——
部屋の中央には、とびきり大きくて、ふかふかな、ぬいぐるみが置かれていた。
「……これ、は……」
「すべて、アリア様のものですよ」
使用人は、当たり前のように言う。
「すべて、旦那さまと奥様、そしてヴァルシュタイン家からの贈り物でございます」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、何かが崩れた。
こらえていたものが、
一気に溢れ出す。
涙が止まらなかった。
お母さんがいなくなってから
守ってくれる大人がいなくなってから
私はずっとひとりだった。不安だった。
でも、これからは違う。
部屋の中央に置かれた大きなぬいぐるみに抱きつく。ふわふわとやわらかく、あたたかい。両手で抱きしめても足りないほど大きな、私のくまさん。
私のためのくまさん。
嬉しくて。怖くて。
信じられなくて。
初めて、心から思った。
——私は、ここにいていいんだ。




