残された時間は、短いらしい
お兄様と、これほど長く離れるのは久しぶりだった。物心がついてからは初めてかもしれない。
連れ去られて何日が過ぎたのだろう。それが1日なのか、1ヶ月なのか、私にはわからなかった。あの日、公爵家から離れてから意識がはっきりしている時間が、減ってきていた。
段々と、身体の重さは増していく。呼吸をするだけで、胸の奥がきしむ。起き上がると、視界が一瞬、白くなる。
「……」
私は、ベッドの縁に腰かけたまま、しばらく動けずにいた。
この部屋は、静かだ。
今までの部屋とは異なり、ひどく無機質で、温度も匂いも薄い。冷たい石の壁。窓はなく、外の景色も時間すらもわからない。
守られている、というより——管理されている。
「調子はどうだ」
声がして、視線を向けると、あの男が立っていた。
ヴァルシュタインの分家。赤い瞳。乾いた匂い。
「……見れば、わかるでしょう?」
正直に答えると、男は眉をひそめた。
「また、か」
苛立ちを隠そうともしない。
彼の背後で、別の吸血鬼が、小さく舌打ちをした。
「やはり、早すぎる」
「稀血は短命だと分かっていたが……」
「この反応は、想定より悪いな」
——短命。
その言葉が、遅れて胸に落ちる。
「……どういう、意味」
掠れた声で尋ねると、男は一瞬だけ口を閉ざした。それから、仕方がないとでも言うように、淡々と続ける。
「哀れだな。本当に、何も知らない。
君の身体が、もたないということだ」
「……?」
「稀血は、強すぎる」
言葉を選ばない、説明。
「その血は、吸血鬼に莫大な力を与える。だがな——平凡な吸血鬼がそれに耐えられるとは限らない」
別の男が、低く付け足す。
「耐えきれずに、死ぬ者もいる」
「吸う側が、だ」
室内の空気が、わずかに張り詰める。
「……だから、慎重になる必要がある」
最初の男が、視線を私に戻す。
「君が生きているうちに、最適な“器”を選ばなければならない」
「だが、その“うちに”が、思ったより短いらしい」
私は、膝の上で、指先を握りしめた。
身体が重い理由が、はっきりした。
気のせいでも、傷のせいでもない。
——私自身が、限界に近づいている。
「……私、どれくらい……」
問いかけは、最後まで言葉にならなかった。
男は、答えなかった。
それ自体が、答えだった。
「無理はさせるな」
背後で誰かが言う。
「衰弱が進めば、血の質も落ちる」
「死なせるわけにはいかないが……」
「かといって、時間をかけすぎれば、逃す」
小さく、苛立った溜息。
彼らの会話は、私を前にしているのに、私を見ていない。
“存在”として扱われている。
人としてではなく。
私は、ゆっくりと息を吐いた。
怖かった。
でも、それ以上に、胸の奥で、静かに広がっていく感情があった。
——だから、あんなに囲われていたのか。
ルカお兄様が。
公爵家が。
私を、外に出さなかった理由。
人に触れさせなかった理由。
吸血鬼。
「……」
公爵家での人々はとても優しかった。
閉じていたけれど、あたたかかった。
私の価値。
ここは、正しいのかもしれない。
「……時間が、ないんですね」
ぽつりと呟くと、男が初めて、はっきりと私を見た。
「理解が早いな」
「……はい」
胸の奥が、じくりと痛む。
「でも」
私は、顔を上げた。
「だからって、ここが“正しい”とは思えません」
一瞬、空気が止まる。
男は、少しだけ目を細めた。
「それでも、選択肢はない」
「君は、稀血だ」
その言葉に、私は、静かに首を振った。
「……私には、あります」
たったひとつ。
名前を、胸の中で呼ぶ。
寿命が短くてもいい。
力が危険でもいい。
それでも、あの人の腕の中で迎える夜のほうが、ずっと——
その瞬間。
胸の奥で、何かが、確かに疼いた。
遠くで、
とても遠くで。
血の匂いが、夜を裂く気配がした。
終わらない夜が、こちらへ向かっているのを、
私は、はっきりと感じていた。




