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再会は偶然で、独占は必然




 それから、何度か学校へ通ううちに、少しずつ空気が変わっていった。


 最初は、ただの視線だった。

 教室に入るとき。席に着くとき。廊下ですれ違うとき。

 じっと見られている、というほど露骨ではない。けれど、ふとした瞬間に視線が集まっていることに気づく。


 ――あれ?


 最初は気のせいだと思った。転入生だから。珍しいだけ。

 そう思うことにした。けれど。


「ねえ、アリア」


 昼休み、ミレイが声を潜めて話しかけてくる。


「最近さ……男子たち、ちょっと騒がしくない?」


「そう?」


 首を傾げると、ミレイは困ったように笑った。


「自覚ないのね」


「……何の?」


「アリアのことよ」


 そう言われて、言葉に詰まる。


「ほら。休み時間とか、視線、集まってるし」


 言われてみれば。

 教室の後ろの席から。廊下の向こうから。

 何かを探るような視線を感じることが増えていた。


 嫌な感じは、しない。怖くもない。

 ただ、少し落ち着かないだけ。


「……変かな」


「変じゃないわよ」


 ミレイは即座に否定した。


「綺麗だし。雰囲気も柔らかいし。それに、ちゃんとしてる」


 “ちゃんとしてる”という言葉が、少し不思議だった。

 私は特別なことをしているつもりはない。授業を受けて、話をして、帰るだけ。

 それでも、屋敷の外に出るようになってから、“見られ方”が変わったのは本当のことだろう。


「ねえ、アリア」


 ミレイが、さらに声を潜める。


「好きな人って、いる?」


「えっ……!」


 思わず小さな悲鳴が出た。顔が熱くなるのが自分でも分かる。

 そんな私を見て、楽しい話題だと察したのか、周りの女子たちがわらわらと寄ってきた。


 恋、という言葉を。

 こうして真正面から向けられたのは、初めてかもしれない。


「……好きな人?」


「そう。気になる人とか、憧れの人でもいいの」


「私は身長の高い人が好き」

「私はたくさん食べる人かな」

「私は穏やかな人がいいな」

「ねえ、アリアはどうなの?」


 興味深そうな視線が集まる。


 私は、左手の指輪にそっと触れた。

 ひんやりとした感触が、胸の奥を静かに落ち着かせる。

 その代わり、そこに触れた瞬間だけ、心が少し温かくなる。


「……お兄様みたいな人、かな」


 言ってから、頬が遅れて熱くなった。

 どうしてだろう。当たり前のことを口にしただけなのに。


 一瞬の沈黙。


「えっ?」

「お兄さんがいるの?」

「年の離れた?」


 矢継ぎ早の声に、私は少し慌てながら頷く。


「うん。年は……結構、離れてるけど」


「へえー!」

「どんな人?」

「優しいの?」


 どう説明すればいいのか分からなくて、少し考えてから答える。


「……静かで、落ち着いていて。あんまり多くは話さないけど、ちゃんと見てくれてる人」


 それを口にした瞬間、胸の奥がくすぐったくなった。


「それ、絶対素敵じゃない!」

「大好きなお兄さんなんだね」


 ミレイが笑う。


「うん」


 迷いなく、そう答えていた。


 好き、という言葉が、まだ恋なのかどうかは分からない。

 でも、大切で、特別で、離れて考えられない存在なのは確かだった。




 ⸻


 教室を出ると、廊下は帰り支度をする生徒たちで賑わっていた。

 校門の方へ向かいながら、私はいつものように迎えの馬車を探す。


 そのとき。


 校門の外が、ざわりと揺れた。


 ――空気が、変わった。


 視線が一斉にそちらへ向かう。

 私もつられるように顔を上げた。


 そこに立っていたのは、見慣れた黒髪と赤い瞳。

 背が高く、人混みの中でもひどく目立つ。


 ――ルカお兄様。


 心臓が跳ねた。


 いつもは護衛が迎えに来る。

 お兄様が直接姿を見せることなんてなかった。


「……え」


 小さく声が漏れる。


 周囲のざわめきが、一段と大きくなる。


「あの人、誰?」

「すごく……綺麗じゃない?」

「まさか、あれがお兄さん?」


 さっきまで恋バナをしていた子たちが、信じられないものを見るような目で私を見る。


 私は、思わず苦笑した。


 ――言った通り、でしょ。


 校門の外で、お兄様は静かに立っている。

 誰かを探すように視線を巡らせ――私を見つけた瞬間、動きを止めた。


 赤い瞳が、まっすぐにこちらを捉える。


 それだけで、胸の奥がすとんと落ち着く。


 私は人の波を抜けて外へ出た。


「……遅かったな」


 責めるような口調ではない。けれど、どこか硬い。


「授業が少し長引いて」


「そうか」


 それだけ言って、並んで歩き出す。


 その場を離れる瞬間、背中にたくさんの視線が刺さる。

 ひそひそと囁き合う声が聞こえた。


「毎回、迎えが来てるよね」

「体弱いって聞いたけど……」

「でも、あの馬車、ちょっと立派じゃない?」


 悪意は感じなかった。

 ただの好奇心。

 それでも、胸の奥に小さな違和感が残る。


 私は無意識に左手の指輪に触れていた。





 お兄様が校門まで迎えに来た日から、

 私は、少しだけ目立つ存在になってしまったらしい。


 それから数日。

 学校での居心地は、少しずつ変わっていった。


 前までは、ただの視線だったものが、最近は“話題”になっている気配を感じる。

 廊下を歩けば、ひそひそと声が止む。

 教室に入れば、空気が一瞬だけ張りつめる。


 直接何かを言われるわけじゃない。

 でも、視線の質が変わったのは、はっきり分かった。


「ねえ、アリア」


 昼休み、ミレイが少し困った顔で声をかけてくる。


「最近さ……噂、聞いてる?」


「……噂?」


「うん。アリアって、どこかの貴族の娘なんじゃないか、って」


 胸の奥が、きゅっと縮んだ。

 この学校の生徒にとって、貴族はあまりいい印象を持たれない。

 優しい人ばかりではない。強欲な人間も多い――それは、私が一番知っている。


「毎回、送迎が来るし」

「この前は、あんな綺麗なお兄さんが迎えに来てたし」

「体が弱いって話も、なんだか出来すぎてるって」


 ミレイは悪気のない声音だった。

 ただ、周囲の空気を伝えようとしているだけ。


「変な意味じゃないよ。でも……目立ってるのは、確か」


「……そう。うちはお父様が過保護なだけだよ」


 それ以上、言葉が出なかった。

 否定することも、肯定することもできない。

 どちらも、本当じゃない気がして。


 私は、無意識に左手の指輪に触れていた。

 ひんやりとした感触が、指先に伝わる。

 それだけで、胸の奥のざわめきが、少しだけ静まった。


 ――大丈夫。

 そう、自分に言い聞かせる。


 でも、その日から、学校は少しだけ“息苦しい場所”になった。




 ⸻


 そんな中で。


 変わらず話しかけてくれたのが、人がいた。


 教室の扉が、少し遅れて開いたのは、昼休みの終わり際だった。


「……あ」


 誰かが小さく声を上げる。


 入ってきたのは、明るいオレンジ色の髪をした男の子だった。

 ふわふわしていて、少し寝癖が残っているみたいな髪。


「遅れてすみません」


 そう言って頭を下げる仕草は、どこか慣れていない。

 担任が、軽くため息をついた。


「レオ。またか。今日はどうした」


「……祖母の具合が、少し」


 それだけ答えて席に向かう。

 その横顔を見た瞬間、胸の奥が微かにざわめいた。


 ――あ。

 見覚えが、ある。


 あの日。

 リュミエールの祭りで。

 人混みの中でぶつかって、慌てて一緒に逃げた、あの子。


 視線が合った。


 一瞬、きょとんとした顔。

 それから、ゆっくりと目を見開く。


 口元が、少しだけ緩んだ。


 ――気づいた。


 でも、何も言わない。

 それが、なぜだか、ほっとした。


 授業が終わり、廊下に出ると、後ろから軽い足音が追いついてくる。


「……もしかして」


 振り返ると、あのオレンジ色の髪が目の前にあった。


「やっぱり。あの時の子だよね」


「……うん」


 声が、自然に柔らぐ。


「怪我、大丈夫だった?」


「全然。もうとっくに治ってる」


 にっと笑うその表情は、あの日と変わらない。


「助けてくれて、ありがとね。あんな高そうなハンカチ、びっくりしたよ」


「気にしないで」


 気づけば、周囲のざわめきが少し遠のいていた。

 話しやすい。構えなくていい。

 理由は分からないけれど、彼のそばでは肩の力が抜ける。


「ねえ、名前を教えて。あの日、教えてくれなかったでしょ?」


「……あなたが聞かずにいなくなったのよ」


「ははっ……覚えていた?」


 レオはイタズラそうに笑う。


「でもね、実は名前、知っているんだ

 ……アリア」


 あっさりと言われて、少しだけ頬が熱くなった。


 そのとき、レオが無意識に襟元へ手をやった。

 指先が、胸のあたりで何か小さな硬いものを確かめる。

 布越しに、金属が微かに触れ合う音。


 ――指輪。


 ほんの一瞬、見えた。

 革紐に通された小さな輪が、彼のシャツの隙間から、ちらりと。


 気のせいじゃない。

 あの時、路地裏で探した――あの指輪に、形がよく似ていた。


「……それ」


 思わず口を開くと、レオは一瞬だけ固まってから、照れたみたいに笑った。


「ばれた?」


 襟元を軽く引き、指先で小さな輪をつまむ。

 安い金属の鈍い光。それなのに、扱いは不自然なくらい丁寧だった。


「形見みたいなもんだからさ。……大事にしてる」


 さらりと、でも嘘のない声。

 胸の奥が、少しだけ温かくなる。


「……よかった」


「ん?」


「なくしてたら、悲しいでしょ」


 レオは目を瞬かせてから、ふっと表情を和らげた。


「……うん。だから、助かった」


 短い言葉。

 でも、それだけで十分だった。


「貴方はレオっていうのね。やっと名前を知ることができたわ」


「今さら?」


 笑いながら、レオは肩をすくめた。




 ⸻


 その日の帰り。

 校門の外に、お兄様の姿があった。


 この前と同じように、静かに立っている。

 でも――私の隣にいるレオを見た瞬間、空気が音を立てずに冷えた。


 赤い瞳が、こちらを見る。

 いや。正確には――“彼”を、見ていた。


 視線が、鋭い。


 私は、思わず一歩前に出る。


「ルカお兄様」


 呼びかけると、ようやく視線が私に戻る。


「……行くよ」 


 短い言葉。

 でも、その声は、いつもより低かった。


 並んで歩き出した背中から、はっきりと機嫌の悪さが伝わってくる。


 馬車に乗り込む直前、お兄様が低く呟いた。


「……君は、人を信じすぎる」


 ぎくり、と胸が鳴る。


「え……?」


 一拍置いて、赤い瞳が私だけを捉える。


「ああいう連中は、簡単に顔を変える」


 “連中”。

 誰を指しているのか、聞かなくても分かった。


「……気をつけて」


 それだけ言って、口を閉ざした。


 理由は、分からない。

 レオのことを、まだ何も知らないはずなのに。


 私は指輪に触れながら、小さく息を吸った。


 胸の奥に、理由のわからない、ほんの少しだけの寂しさが広がる。


 ――どうして、そんなふうに言うのだろう。


 胸がちくりと痛む。


 その答えを、私は、まだ知らない。


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