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第二部:アグニール逆侵攻編・プロローグ

――決意の朝、虚無への宣戦布告

『神を喰らうデウス・エクス』との激闘から一週間。

 かつて「ゴミ捨て場」と蔑まれた辺境の古城、要塞ナリアには、心地よい朝の静寂が戻っていた。


城壁の上で、アヴァン・アグニールは冷え切った石の感触を指先に感じながら、東の空を見つめていた。彼の右手に宿る「聖杯」は、今やかつての淡い輝きではなく、規則正しい鼓動のように力強い白銀の光を放っている。この光こそが、地下遺跡に眠る魔力炉と共鳴し、要塞全体を包む強力な結界の源となっていた。


「……アヴァン。またここで朝を迎えているのね」


背後から響いたのは、凛とした、けれど以前のような刺々しさが消えた柔らかな声。実の姉、セレスティアだった。

 彼女は白銀の魔導騎士装を纏い、弟の隣に並んだ。その頬には朝の冷気にさらされた赤みが差し、瞳には弟を見守る「生きた家族」としての確かな体温が宿っている。


「姉様。……空が、綺麗だね。公爵領の城で見上げていた空とは、全然違う」


「ええ。あそこは、奪うための計画と、誰かを踏みにじるための思考だけで満ちていた。……でもここは、みんなが『明日』を信じて笑っている」


セレスティアは視線を眼下の広場へと向けた。そこでは、ガラム率いる灰狼族の戦士たちが、元公爵家の兵士たちと肩を並べて朝の訓練に励んでいる。種族や過去の因縁を超え、アヴァンの掲げた「絆」という旗印の下に、人々が真の意味で結びつき始めていた。


コツ、コツ、と硬い靴音が石畳を叩き、二人の背後に一人の男が歩み寄った。


「坊ちゃま、セレスティア様。……あまり夜風に当たられますと、バルト殿に叱られますぞ」


冗談めかして笑いながら現れたのは、重厚な盾を背負った大男――ハンスだった。黄金の光を微かに放つその姿は、十五年前に処刑された「亡霊」であることを物語っているが、その眼差しは誰よりも人間臭い。


『へっ、ハンス。あんたが言うと説得力がないわね。自分だって、一晩中城門を見張ってたじゃない』


ハンスの肩から、風の渦と共に小さな人影が飛び出した。灰狼族の少女、リリだ。彼女もまた、この地に魂を繋ぎ止められた守護霊の一人。二人の亡霊は、アヴァンの聖杯の光を糧に、この要塞の絶対的な守護者として君臨していた。


「ふふ、二人ともありがとう。……でも、バルトはどこ? いつもなら、もう紅茶を持ってきてくれる時間だけど」


アヴァンの問いに答えるように、今度は音もなく城壁の階段から、一人の老紳士が姿を現した。


「……お呼びでしょうか、坊ちゃま」


一分の隙もない燕尾服。完璧に整えられた銀髪。トレイの上には、湯気を立てる五人分のティーカップが載っている。

 筆頭執事、バルト。

 彼はハンスたちのような霊体ではない。アヴァンが幼い頃からその成長を支え、共に辺境へと下った「生身の人間」である。その指先には淹れたての茶の熱を操る確かな技巧があり、その歩みには長年武芸を練り上げてきた者特有の、大地を捉える重みがあった。


「お待たせいたしました。今朝は、精霊たちが育てたミントを添えた特別なブレンドにございます。……戦いの疲れを癒やすには、これが一番かと」


バルトが優雅な動作で、アヴァンとセレスティア、そして霊体であるハンスたちの前にもカップを置く。ハンスたちは実体化の魔力を使い、その香りを慈しむように吸い込んだ。


「……それで、バルト。報告があるんだろう?」


アヴァンがカップを置き、真剣な眼差しを向ける。バルトは表情を引き締め、燕尾服の内ポケットから一通の書状を取り出した。


「はい。……公爵領の北西、かつてナリア様に恩義を感じていた旧臣たちの領地で、『断罪』が始まったようです。首謀者は、公爵家直属の断罪官。……逆らう者は村ごと『虚無』に飲み込まれ、生存者どころか、建物の破片すら残らぬ地獄絵図となっております」


「……父上は、まだそんなことを」


アヴァンの表情が、一瞬にして領主の冷徹なそれへと変わる。バルトの報告は、アグニール公爵が『神を喰らう者』を失ったことで、より直接的、かつ残虐な手段に出始めたことを示していた。


「公爵は、失われた魔導兵器の穴を埋めるべく、領民の魂を直接削り取る禁忌の術式を展開し始めました。……彼にとって人間はもはや、世界を無に帰すための『燃料』に過ぎない。このままでは、アグニール領そのものが消滅の渦に呑み込まれるでしょう」


「……行かなきゃ。助けを求めている人たちがいる」


アヴァンは城壁の端に立ち、右手を天へと掲げた。聖杯の魔力が解放され、要塞ナリアの中央塔から白銀の光柱が天を突く。それは、辺境に追いやられた「ゴミ捨て場」の叫びではない。世界を呪いから解放するための、高らかな宣戦布告の合図だった。


「バルト、ハンス、リリ、そして姉様。……ボクたちは、もう逃げない。……奪われるのを待つ時間は終わったんだ」


「ボクは、父上の『虚無』を否定する。……略奪の呪いに縛られたアグニールの歴史を、ボクたちの代で終わらせる。……これより、公爵領への逆侵攻を開始する!」


アヴァンの叫びに、要塞内の住民たちから地鳴りのような歓声が上がった。

 目指すはアグニール本城。かつて「無能」と捨てられた少年が、世界最強の仲間たちを連れて、冷酷な父への「報復」ではなく「救済」のための戦いへと赴く。


奪う力が支配する時代は、今この瞬間、終わりを告げる。

 絆の糸で編み上げられた「聖杯王」の進撃が、今ここに始まった。

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