氷姫の洗濯日和と、聖杯の休日
漆黒騎士団という不吉な影が迫る中、要塞ナリアには、奇妙なほどに穏やかで温かな時間が流れていた。
次兄カイルとの死闘、地下遺跡の異形との遭遇、そして姉セレスティアの帰順。休む間もなく戦い続けてきたアヴァンにとって、それは嵐の前の静けさのような、けれど何物にも代えがたい「家族」としての休日だった。
「……アヴァン。この、白い布を……どうすればいいの? 斬ればいいの? 凍らせればいいの?」
広場の中央、井戸の傍らで立ち尽くすセレスティアの手には、うずたかく積まれた洗濯物の山があった。
かつて公爵家で「氷の処刑人」と恐れられ、戦場を凍てつかせてきた彼女も、ここではただの「家事が一切できない不器用なお姉ちゃん」だ。白銀の髪を少し乱し、高級な旅装を腕まくりして戸惑う姿に、かつての冷徹な面影はない。
「姉様、それはね、まず水に浸けてから石鹸で洗うんだよ。ほら、そんなに怖がらなくて大丈夫。獣人の子供たちだって、もうあんなに上手に洗ってるでしょ?」
「アヴァン様、セレスティア様! お水、もっと持ってきたよ! ほら、冷たくて気持ちいいよ!」
灰狼族の子供たちが、ふわふわの尻尾を左右に振りながら、地下から汲み上げたばかりの透明な水を桶に運んでくる。セレスティアは、自分よりも小さな子供たちに囲まれ、教わりながら不器用に布を揉み始めた。
「……冷たくない。この水、不思議に温かいのね」
「アヴァン様が、地下遺跡の魔力を使って水路を温めてくれたんだよ! 冬でも手が凍えないようにって! アヴァン様はね、世界一優しい領主様なんだ!」
子供の無邪気な称賛に、セレスティアの唇がふわりと、春の陽光に溶ける氷のように綻んだ。
かつて彼女が周囲を拒絶するために放っていた殺伐とした氷の魔力は、今や村の食料を長期保存するための「天然の冷蔵庫」の動力として、住民たちに心から大歓迎されていた。彼女は初めて、自分の力が「破壊」以外に役立つことを知ったのだ。
「……バルト。見て、姉様が笑ってるよ」
「左様でございますな。公爵家という名の凍てついた檻から解き放たれ、ようやく『一人の女性』としての時間を刻み始めたご様子。……ですが坊ちゃま、のんびりしてばかりもいられませんぞ。村の西側、開拓を進めている林檎園のあたりから、少々奇妙な、それでいて『可愛らしい』報告が上がっております」
【領主の難題:迷い込んだ「精霊」のいたずら】
平和な休日に舞い込んだのは、敵の襲撃ではなく、一種の怪奇現象だった。
開拓中の果樹園で、植えたばかりの苗木が夜のうちに勝手に歩き回り、翌朝には元の場所とは違う場所に、まるでダンスでもしているかのような円陣を組んで整列しているというのだ。
「……苗木が、歩く? 呪いかな……それとも……」
アヴァンが調査に向かうと、そこにはリリが呆れ顔で、高い林檎の木の上から尻尾を揺らしながら見下ろしていた。
『アヴァン、こっちよ。呪いなんかじゃないわ。あんたの「聖杯」から溢れる魔力が心地よすぎて、森の奥から引き寄せられちゃったのね、こいつら』
リリが指差した木の影から、恥ずかしそうに姿を現したのは、手のひらサイズの小さな精霊――**「森の小人」**たちだった。
彼らはアヴァンの清浄な魔力に当てられ、興奮して「庭造り」の手伝い……のつもりのいたずらを繰り返していたのだ。
「……困ったな。追い払うのは可哀想だけど、このままじゃ開拓の計画が狂ってしまう」
アヴァンは考え込んだ。
力でねじ伏せるのではなく、共生する道を選ぶのが、彼が母ナリアから教わった「聖杯」の王としての在り方だ。
「……そうだ。バルト、彼らに正式に『庭師』の仕事をお願いできないかな? ボクの魔力を報酬にして、村の緑を整えてもらうんだ。それなら、彼らもお腹いっぱいになれるし、村も綺麗になるでしょ?」
【内政スキル:精霊との共生契約発動】
効果: 村全体の農作物の成長速度が30%向上。害虫被害が完全消滅。
報酬: アヴァンの聖杯から微量の魔力を、一日の終わりに「雫」として供給。
アヴァンが聖杯を掲げ、黄金の魔力の雫を地面に垂らすと、精霊たちは歓喜の声を上げて宙を舞った。一瞬にして荒れ地には色鮮やかな花が咲き誇り、苗木たちは嬉しそうに本来の定位置へと「歩いて」戻っていった。




