揺れる聖杯と、泥に咲く花
カイル兄様だった「肉塊」を見下ろしながら、ボクは自分の右手が黒く染まっていくような錯覚に陥っていた。
カイルの魔力、傲慢さ、そして最期の絶望が、ボクの「器」の中にドロリと流れ込んでいる。
(……もっと。もっと奪えば、ボクはもっと強くなれる……?)
一瞬、脳裏をよぎったのは、公爵家に関わるすべてを、父様も、長兄も、すべてを同じように「餌」にしてしまいたいという、どす黒い衝動だった。
「坊ちゃま。……アヴァン様」
バルトの声で、ハッと我に返る。
気づけば、ボクの周りには、恐怖で腰を抜かした重装歩兵たちと、それ以上に怯えた表情でボクを見つめる獣人の子供がいた。
「……あ、ううん。大丈夫だよ。ごめんね、怖がらせて」
ボクは「蒼銀の聖騎士」の装甲を解いた。
急激に冷えていく体。カイルから奪った魔力は、まだボクの中で暴れているけれど、この子を怖がらせたくはなかった。
「バルト、兵士たちは……殺さなくていい。彼らには、この村の復興を支える『労働力』になってもらう。逃げ出したり、裏切ろうとしたりすれば……その時は、兄様と同じ末路を辿ると伝えて」
「賢明なご判断です。……さて、お前たち。主は情けをかけられた。命が惜しくば、その剣を鍬に持ち替え、この村の開拓に励むがいい」
バルトの冷徹な一言で、50人の兵士たちは文字通り「死に物狂い」で村の瓦礫撤去を始めた。
それから数日、アヴァンは取り憑かれたように内政に没頭した。
カイルから奪った膨大な魔力を、破壊ではなく「創造」に注ぎ込むことで、内側から溢れ出す暗い衝動を抑え込もうとしていたのだ。
【内政スキル:聖杯の灌漑発動】
アヴァンの魔力を村の枯れた井戸に注ぎ込む。
カイルの火属性の魔力を、バルトの助言で「熱源」へと変換し、地下水を温め、村全体に温水を通す原始的なセントラルヒーティングを構築。
「……アヴァン様、これ、温かいです!」
獣人の子供が、修復された水路を流れる温水に触れて目を輝かせる。
その笑顔を見た時、ボクの胸を焼いていた暗い熱が、ほんの少しだけ和らぐのを感じた。
『……ふん、あんなゴミの力をこんな風に使うなんて。あんた、お人好しも大概にしなさいよ』
『いいじゃねぇか。リリ、こいつは「力」に呑まれてねぇ。ナリア様の息子だ。……小僧、いい村になってきたな』
ハンスとリリも、アヴァンの危うい均衡を見守っていた。
【領地ステータス:発展】
インフラ: レベル3(温水供給・防壁補強完了)
住民: 灰狼族16人、投降した兵士50人(監視付き)
アヴァンの状態: 【魔力汚染:軽度】(農民との交流により緩和中)
しかし、平和な時間は長くは続かない。
村の境界線に、バルトが仕掛けていた「霊体の目」が新たな客人を捉えた。
「坊ちゃま。……今度は軍勢ではありませんな。ボロボロの馬車が一台。……中には、公爵家の圧政に耐えかねて逃げ出してきた、近隣の『農民たちの代表』が乗っているようです」
アヴァンを「死神」として恐れる者と、「救世主」として縋る者。
アヴァンの「器」に、今度は「民の期待」という重圧が注がれようとしていた。




