第4話「証明」
翌朝、鑑定所の扉を開けると、ノアはすでに作業していた。
昨日と同じ場所。同じ姿勢。
まるで帰っていないみたいだった。
「来たか」
顔を上げない。
「約束だろ」
「座れ」
椅子に座る。
テーブルの上に、昨日より羊皮紙が増えていた。
「昨日の続きだ」
ノアが一枚を手に取る。
「お前の能力について、一晩考えた」
「結論は」
「まだない」
「じゃあ何を考えてたんだ」
「仮説だ」
ノアは羊皮紙をこちらに向けた。
数式と図が並んでいる。俺には読めない。
「コミュニケーション能力をSSSに固定する、理論上の方法が一つだけある」
「なんだ」
「相手の『欲しい言葉』を無意識に選び続けた結果、それが能力として定着した場合」
俺は黙った。
「……心当たりがあるか」
「……あるかもしれない」
ノアの目が細くなった。
「詳しく話せ」
話した。
全部じゃない。でも——嫌われるのが怖くて、
相手の望む答えを出し続けてきたこと。
それだけ話した。
ノアは途中で口を挟まなかった。
ただ、羊皮紙に何かを書き続けていた。
「……なるほど」
話し終わると、それだけ言った。
「分析できるか」
「仮説の精度が上がった」
「答えは」
「まだない」
「……お前、それしか言わないな」
「データが不十分なうちに結論を出すのは誤りだ」
俺は少し笑いそうになった。やめた。
「昨日の話」
ノアが羊皮紙を置く。
「セラという少女に届かなかった件」
「ああ」
「一つ聞く。お前はあの時、何を見て言葉を選んだ」
「……本音が浮かんだ。また信じてもらえないかもしれない、って」
「本音が見えた」
「ああ」
「でも届かなかった」
「……ああ」
ノアはしばらく黙った。
「見えることと、届くことは別だ」
「……分かってる」
「分かっているなら問題ない」
「分かってても、どうすればよかったか分からない」
また沈黙。
今度は少し長かった。
「……それは」
ノアが珍しく、言葉を止めた。
「私にも分からない」
初めてだった。
ノアが「分からない」と言ったのが。
「お前の能力の範囲外だ。
そしてたぶん——能力の問題でもない」
「じゃあ何の問題だ」
「人間の問題だ」
窓の外で、鳥が鳴いた。
「……そんな当たり前のこと言うのか、お前」
「当たり前のことが一番難しい」
俺は何も言えなかった。
「もう一度、実演しろ」
しばらくして、ノアが言った。
「今度は私を対象にしろ」
「……お前を?」
「そうだ。昨日は第三者だった。今日は私に直接使え」
「断ったら」
「帰れ」
断れなかった。
ノアを見る。
いつもの感覚を、意識的に使う。
表情。視線。声のトーン。呼吸。
何かが、浮かぶ。
でも——
ぼやけてる。
昨日の少年の時より、ずっとぼやけている。
見えてはいる。でも輪郭が掴めない。
「……怖い」
気づいたら、言っていた。
ノアの手が止まった。
「何かを、怖がってる」
「……根拠は」
「ない」
「では」
「でも、そう見えた」
沈黙。
ノアは俺を見ていた。
長い間、何も言わなかった。
「……偶然だ」
でも声が、昨日より小さかった。
「もう一度やれ」
「さっきより当てる自信ない」
「なぜ」
「ぼやけてる。お前の場合、輪郭が掴みにくい」
「……それは」
ノアが羊皮紙に何かを書く。
「興味深いデータだ」
「データって言うな」
「事実だ」
「……お前、自分が怖がってるって言われてどう思った」
ノアの手が、一瞬だけ止まった。
「……感想は関係ない」
「関係ある」
「なぜ」
「俺の能力が当たってたかどうか、お前にしか分からないから」
また沈黙。
今度は長かった。
「……正答率の話をしているなら」
ノアはゆっくりと羊皮紙を置いた。
「外れていない」
それだけだった。
認めたわけじゃない。でも——否定しなかった。
「明日も来い」
「毎日来るのか、俺は」
「データが必要だ」
「俺はデータじゃない」
「今のところはそうだ」
俺は立ち上がった。
「……なあ、ノア」
「なんだ」
「お前、何を怖がってる」
ノアは答えなかった。
羊皮紙に視線を戻した。
でも——耳が、わずかに赤かった。
「明日来い」
それだけ言った。
鑑定所を出る。昼の光が路地に差していた。
「……見えても、分からないことはある」
呟く。
ノアの本音は見えた。
でもなぜそう感じているのかは、分からなかった。
セラも同じだった。
「届くことと、分かることも——別なのかもしれないな」
空を見上げる。
どこかで、赤い髪を探している自分がいた。




