【第43話 ガナックの反乱】
ルガ暦327年。
後世の歴史書によって語られる、この事変は――
その渦中の者たちには、当然知る由もなかった。
深い紺色の外套を身に纏ったガナックとヴェシュラは、
文院の勝手口から出ると、高い城壁を文律で飛び越えた。
文院の建つ脇には、急峻な斜面に林が生い茂っている。
「どこへ行かれるのですか?…このような獣道を通って。」
ガナックは、左の藪の中からの問いかけに応える。
ガナック「野盗のように身を潜めて、貴様らこそ何をしている?」
藪から姿を見せたのは、一人の文律師。
後方にも数人の影がある。
ガナック「ハリート・ルクイン。……セヴァルドの命令か?」
それは、文院の古株の一人、ハリートだった。
落ち着いた態度で、その声色に敵意は感じさせなかった。
ハリート「…お戻りください、ガナック様。」
ガナック「我々を捕えることはできない。」
ハリート「…力ずくでは、無理でしょう。」
ハリート「ですが、我々は言葉で理解し合えるはず。…どうか、ご無理をせず、対話の場へ。」
ガナック「…相変わらず穏便だな。――だから、何も変わらない。」
ガナックの背後にいたヴェシュラが、ハリートの方へ一歩出る。
ハリート「…少年の頃から、その眼差しは変わっていませんね。」
ハリートは、一歩踏み出す。
わずかに、間が空いた。
ハリート「…ええ、変わっていませんとも。……それでも、貴方は間違っている。」
ガナック「対話は不要だ。…ヴェシュラ。」
ヴェシュラが銀色の髪をなびかせ、さらにハリートへ近づく。
ハリート「…ヴェシュラ殿。……仕方ありません。」
ハリートが右手をわずかに上げた。
後方の文律師から言葉が放たれる。
「……発現。」
ガナック「…無作法な攻撃をする。」
ガナックの視線は、上空へ向いていた。
木々の隙間から複数の光弾が降り注ぐ様を、その目で捉えた。
ガナック「“ランバー”。」
ガナックの体の輪郭を縁取るように、白い膜が包み込む。
ヴェシュラは、落下するエンボルにも動じず、左手を突き出した。
ヴェシュラ「……“ヴァルド・ネア”。」
ハリート「!…いかん、飛べッ!」
周囲の空間が歪む。
その瞬間、踏みしめていたはずの感触が消えた。
周辺の地面が乱高下し、木々は暴れる。
近くに立っていた古く立派な城壁は、その暴力に耐え切れずに崩壊していく。
文院の内部。
ドレヴァ「!……地震…!?」
セヴァルド「…いや…違う。……これは……文律だ。」
ドレヴァ「!?」
それは、光景を目にせぬ者には、天災とも思わせる振動だった。
文院の建物は、その振動を甘んじて受けることしかできなかった。
再び、文院の外。
ハリートたちは、宙に浮かぶ。
“パイファー”によって、その直撃をなんとか免れた。
――が、その“震源地”には、もう彼らの姿を捉えることができなかった。
文律師A「い、いない…!」
文律師B「なんて威力だ。…指文律の芸当ではない。」
ハリート「まだ近くにいるはず。…探しますよ。」
ハリート「――あれが、ヴェシュラ・ジルクウェイ…。しかし…あれは……」
――王都エストルド、郊外。
レドは、まばらに家が点在する田園地帯で振り返る。
レド「……あれだ。」
足が止まる。
やがて、音の方へと静かに歩き出した。
――文院、“庭園”。
ゾラル「…騒がしいな。」
パラ「…奴を捕えられると思いますか?」
ゾラル「……彼らでは、無理だ。」
パラ「…“逃がしている”隙に、ジラ島を囲ってしまおうと?」
ゾラル「……必ず、ガナックは来る。」
ンカィ「王宮にも伝えましょう。…彼らは、よき力になる。」
ゾラル「…ああ。存分に使わせてもらう。」
モルトガ「大軍を派遣するわけにはいかぬ。あそこに“原基”があることが、明らかになる。」
パラ「…もちろん、指折りの精鋭たちに任せましょう。」
褪せた銀髪の老人が、口を開く。
ファイ「……いる。」
ゾラル「…なにか、お見えで?」
ファイ「…レドがいる。」
ゾラル「…!」
ンカィ「……ほう。」
ゾラル「ファイ様。……いずこに?」
ファイ「…近い。……この歪み方は、覚えている……」
ゾラル「…ただ、戻ってきたわけではあるまい。」
パラ「…のこのこと、今更出て来よって…何をする気だ?」
ゾラル「……私も、ジラ島へ行く。」
モルトガ「!……」
ンカィ「…なんですと?その体では、無茶できまい。」
ゾラル「…奴の力を頂くのは、私だ。」
ゾラルは、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
ゾラル「“骸管理部”から没収した“管理具”…。持っていくぞ。」
ンカィ「…万が一の為ですか?」
ゾラル「……ああ。」
パラ「…レドが、ジラ島へ行くとは限りません。」
ゾラル「……来る。…そうですな、ファイ様。」
ファイ「………」
ファイは、わずかに目を細める。
ファイ「…因果があれば。」
ゾラル「…十分だ。」
ファイ「……」
ルガ暦327年。
後世の歴史書によって語られる、『ガナックの反乱』――
その火蓋はすでに切られていた。
続く




