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【第28話 賢王】

 王都エストルド。

 この地に遷都されて、二百年余り。

 セピウ海に面した湾には、港と造船所が並び、

 緩やかな丘陵には家々がひしめいている。

 その奥に、この国家を統べる者の城があった。

 国王の名は、ウィガロ・ルガ・シグラム。

 ある者は、彼を“賢王”と称えた。


 ウィガロの待つ一室に、一人の王府官が扉を開けて入る。


ファルド「……陛下、執筆官殿がお見えです。」

ウィガロ「……入れ。」


 ウィガロは、整えられた白髪を後ろで束ね、

 落ち着いた面持ちで椅子に座していた。


ガナック「ガナック・エギング。お待たせいたしました。」

ウィガロ「ファルド。……そなたも同席せよ。」

ファルド「はっ。」


 ガナックとファルドは、それぞれ席に着く。


ウィガロ「……文書は読んだ。あの“森”は――想定の範囲内だ。」

ガナック「はい。あの地が国外にありながら自然林を保っていること、かねてより新たな居住区として期待されていることは承知しております。」


ガナック「しかし、調査団の報告は、文書に記した通りにございます。」

ウィガロ「……“原基”は、無いのだな?」

ガナック「……残念ながら。少なくとも、ジラ島に存在するようなものは確認できませんでした。」

ファルド「マリカナの森は、文律の影響も極めて薄いと聞きます。環境さえ整えば、我らにとって理想的な地となりましょう。」


ウィガロ「……現状では、汚染が残り、人は住めぬ。」

ガナック「浄化にも、やはり文律の力が必要となります。」

ウィガロ「……左様だ。」


ウィガロ「……それで、別件だが。」

ガナック「はい。」


ウィガロ「……最近、ローダ地方が随分と騒がしいようだな。」

ガナック「……はい。“ダイガナの牙”が、各地の集落や都市を襲撃しております。」

ファルド「オングステート領最大都市、トラウダンも攻撃されたと聞きます。」

ガナック「あの地には文院の集積所があり、ローダおよびキールバン両地方にとっての要衝です。」


ウィガロ「……ガナック。」

ガナック「はい、陛下。」


ウィガロ「……茶番は、よい。」


 ウィガロの視線は、机の上に落ちたままだった。


ウィガロ「私とて、愚かではない。」

ガナック「……さすがは陛下。“賢王”の御名に違わぬご慧眼にございます。」

ウィガロ「……私が、おぬしを執筆官に推した意図は分かるな。」

ガナック「……もちろんにございます。」


ウィガロ「文院……いや、ルンド・バルゴアは、“血”を持て余している。あれを、何に使うつもりか。」

ガナック「推し量ることはできません。ただ、彼らは我々とは異なる理の中に生きているように見受けられます。」

ウィガロ「……笑えぬ比喩だな。」


ファルド「……やはり、“牙”の裏で糸を引いているのは文院なのですか?」

ガナック「ファルド殿。その言い方には、やや語弊があります。」

ファルド「……と、申しますと?」

ガナック「……“操っているつもり”なのです。」


ガナック「だが、奴らは狂犬。いずれ、飼い主に牙を剥くでしょう。」

ファルド「……それが、トラウダンの件と?」

ガナック「その可能性は高いと見ております。」


ウィガロ「……文院の一人芝居、か。」

ガナック「はい。まさに。」


ウィガロ「……私はな、ガナック。」

ガナック「……?」


ウィガロ「その野心に、期待しているのだ。」


ガナック「……。」

ウィガロ「おぬしの父、エフガルは優れた王府官であった。」

ウィガロ「……だが、踏み込みすぎた。――そして、消された。」


ガナック「……はい。」

ウィガロ「そしておぬしは、その命と引き換えに得られた真実を知った。」

ガナック「……仰る通りです。」


ウィガロ「……この歪んだ世を、共に正そうではないか。」

ガナック「……はっ。」



 ――オングステート領トラウダン。

 半壊した民家のベッドに、ユリックは静かに眠っている。


ライネス「…君のお陰だ、レド君。」

レド「…いえ、応急処置が良かったんです。」

ライネス「少し休んでくれ。ずっと働き詰めだろう。」

レド「……彼は、昔の僕なんです。」

ライネス「…」

レド「…でも、僕なんかより、よっぽど素質がある。」

ライネス「…その言葉は、ユリックが起きてから、本人に言ってくれ。きっと、喜ぶ。」


レド「…まだ、瓦礫の下に埋まっている人がたくさんいる。」

ライネス「君は、すでに相当文律を使っている。…休んだ方がいい。」

レド「…大丈夫です。」


 レドは、ライネスの制止を振り切って、崩れた瓦礫の奥へと進んでいった。


ライネス「……並外れた文律師…。」


ライネス「………怖いくらいに。」



 レドは、ガルドとテスが引いてきた馬車の下へ駆けつける。


ガルド「デインラムからの食糧だ。配るのを手伝え。」

レド「お疲れ様です。…了解です。」

テス「…レド。」

レド「どうしました、テスさん。」


 テスは、一拍置いて静かに話した。


テス「…“ダイガナの牙”には、私の姉がいる。」

ガルド「…」

レド「…はい。」

テス「……私にとっては、今では唯一の家族だ。」

レド「…」

テス「それだけだ。…お前にも、知っておいてほしかった。」

レド「…わかりました。」


レド「あの…うまくは言えませんが…」

テス「…大丈夫。」


テス「それより、レド…。ガルドから聞いたが…“牙”は、文院と繋がっているのか。」

レド「…そのようです。…何が目的か、僕たちには分かりませんが…」

テス「だが、その為なら…たくさんの罪の無い人の犠牲を厭わない。」

レド「…はい。」


テス「私は…それが許せない。」

レド「……」


テス「……レド。」


テス「迷う必要などない。…お前は、お前の思うまま生きろ。」

レド「…テスさん」


レド「…ありがとう。でも、僕は…」


レド「この人たちの…力になりたいんだ。」

テス「……」


レド「今は、少しでも多くの人を救いましょう。」

テス「…そうだな、レド。」


 その言葉に、迷いは無かった。


続く


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