2.困ったなぁ
――さて、どうしたものか。
スカイは目の前で、キラキラと輝く瞳でこちらを見上げてくるジョオン・ハインドと、しばし見つめ合っていた。整った顔立ち、快活な笑み、そして――正座。なかなかシュールな光景だ。
――いや、まずおかしいだろう。なんでこの人、クラリーチェ姉さんの彼氏の妹であり、姉さんの後輩でありながら、「弟君をください!」って言ってるんだ……。
頭の中で警報が鳴る。感情が追いつかない。
(というかそもそも……この人、僕のことそんなに知らないよね?)
確かに面識はある。クラリーチェの付き添いで何度か顔を合わせたことはあるし、学校の文化祭に姉と共に遊びに来た時に少し話した記憶もある。
だけど、それくらいだ。お互いの趣味も性格も性癖も、好きな食べ物すら知らない他人同士だ。
(つまり……これ、完全に一目惚れだ)
恐ろしい。可愛いけど恐ろしい。スカイに好意を向けている子は多いが、こんなにも理性をすっ飛ばしたアプローチは初めてだった。
(いや、僕もね? 愛が重い子、嫌いじゃないんだよ。むしろ大好きだよ? でもこれは……ちょっと重すぎる)
こっそりとクラリーチェをチラ見すると、彼女は紅茶のカップを握りしめたまま、明らかに、額に青筋を立ててた。笑ってはいるが、あれは完全に目が笑ってないパターンだ。
ニーナはと言えば、ソファにサザ〇ドラのぬいぐるみを抱えて座りながら、明らかに楽しんでいる。そのワクワク顔は明らかに「今度の配信のネタ、見つけた♡」という顔だった。
(さて、どうしたもんか……)
思考を切り替えて、スカイは周囲との人間関係を整理し始める。
まず、姉たちの反応。これはまぁ、最終的には認めると思う。クラリーチェは彼の決断には基本的に口を出さない。
ニーナも「弟よ、地雷を踏んだな」とか言いながらも、配信のネタにするタイプだが、表立って邪魔したりはしてこないはずだ。
でも、問題はそこじゃない。
最大の懸念――それは彼の周囲だ。
……レベッカ。まず間違いなく病む。いや、確実に病む。絶対ヤンデレ化する。
現時点でスカイに好意を寄せてくる他の女の子相手に「私は幼馴染で、彼の好きな食べ物から性癖まで、彼の事はなんでも知ってる」と心の中でマウントをとる事でギリギリ溜飲下げてる節があるし。下手すると刺してくる。
それくらい彼女の愛情は重い。スカイの大好きな幼馴染だ。だから分かる。レベッカはそういう子だ。
次にアリス。彼女はまだ冷静な方ではある。だけど彼女もまた、ヤンデレ気質だ。
スカイが「ぽっと出のよく分からない女」に奪われた、なんて知れた日には、部屋に引きこもって何を仕出かすか分からない。アサルトライフルでも作りかねない。
で、ちょっと読めないのがエレナ。彼女は表面上は政治思想強めの面白王党派だけど、内心は一途というか、極端というか……まぁ要するにスイッチが入ったら止まらないタイプ。しかも、実は彼女とジョオン、はとこ同士という事実がある。
(……初めて聞いた時はマジでビビったよ)
つまり、身内に手を出した形になる。エレナがこじらせたら、ハインド家の内戦になる可能性まである。いや、なんだこれ。
そうなると、スカイの先輩の1人であるアンヌマリー・シーキングに、ニーナの幼馴染で友達以上恋人未満なマイク・ハインド、ついでにエレナの従姉妹であるジュリアまで巻き込む可能性がある。
彼ら彼女らも親戚筋のハインド一族だ。しかし、旧貴族らしく、この一族、色んなところにいるな……。
もしも、100年前の市民革命で緩やかに貴族制が解体される方向にならず、未だに現存していたら更に面倒くさい事になっていただろう。
――結論。
現時点で首を縦に振るメリットが何一つ存在しない。
ジョオンは美人だし、情熱的で素敵な人かもしれない。でも、僕が今「はい、付き合います!」なんて言おうものなら、恋愛面も人間関係も何もかもが炎上確定だ。
レベッカが病んで、アリスが武装して、ハインド家で内戦が起こって、母ゾーイがゲバラTシャツ着ながら「スカイ、お前、もう助からないゾ♡」って言い出すまでがテンプレ。冗談抜きで、人生詰む。
スカイは恐る恐る、目の前のジョオンを見る。
その瞳は真剣で、まっすぐで――どこか狂気をはらんでいた。
(……困ったなぁ)
彼はそっと、膝に抱えたマリ◯リのぬいぐるみに手を伸ばし、その愛らしいフォルムを撫でながら現実逃避を始めた。
(あーもう、誰か助けて……いや、モテるくせにどっちつかずな僕の自業自得なのか? いやでも……これは詰みでしょ……?)
夕陽が窓から差し込む中、スカイの頭の中にはもう一つの可能性が浮かんでいた。
――何もかも捨てて夜逃げ……という選択肢があるのでは?
「……いやいや、いかんでしょ」




