26、フラッシュバック
ジフ川戦線、リッダヴ橋の虐殺から数時間後。
日が昇り始め、光が差し込む戦場の陣地に、わずかな静けさが戻っていた。敗走した敵兵の掃討もほぼ終わっている。
反政府軍は、橋から後退し、川岸から少し離れた砲撃が届かない地点に、ひとまず陣を張ったらしい。一度部隊の再編をするつもりだろう。
血と硝煙の匂いはまだ風に漂い、橋の上には潰れた装甲車と、黒く焦げたかつて人だった肉塊が今も転がっている。
その死体群から鹵獲された物資は、666大隊の手によって分別と記録が進められていた。血で濡れた小銃、未使用の弾薬、携帯糧食。中には勲章まであった。
そのどれもが、宝の山であり、人間の最期の証。
「…………」
スカイ・キャリアベースは、並べられたそれらを無言で眺めている。
戦利品の山の中にあった、小さな子供が描いたと思われる絵を見つけて、思わず手に取った。
描いてあったのは兵士の絵と「パパ、がんばってわるいおうさまをやっつけて」という拙い文字で書かれた文。
胃の奥に何か重たいものが沈み込んできて、耐えられなくなった。
その時、手の中の絵を誰かにひったくられた。
犯人はナタリー・ラストーチカ。イーグル第1小隊所属の、腹違いの姉以外の家族を反政府軍に皆殺しにされ、復讐の為に志願した少女兵。
彼女は躊躇無くそれを細かく破り捨てた。
「……敵兵の家族の物なんて見るものじゃないよ」
「……ありがとう」
スカイは一言だけ、礼を述べた。
計算されつくした上で敷かれたキルゾーン。無策で突っ込んでくる敵兵。結果は分かりきっていた。その成果が、今、整然とビニールシートの上に並べられている。
それは勝利だった。間違いなく。だがスカイの心中は高揚感と、一方的な虐殺への罪悪感が混ざり合って不思議な気分だった。そしてそれは決して気持ちの良いものでは無かった。
「ブラッディ・ダラを思い出す……」
ふと、自分の愛銃、AKS -74Uの元の持ち主の事を思い出す。同じくらいの歳の少女兵だった。彼女を殺した時の記憶がフラッシュバックする。
銃剣で突き刺した時の感触が、彼女の鮮血が、恨めしげな最期の顔が、脳裏に蘇った。
「な〜に? 今更PTSD発症して、まともな人間ぶってるの? 1年で二万人以上ぶっ殺した天才ゲリラ指揮官様がよ♡」
「……」
「あのユリシアって子にも言われてたじゃん? 君は弱いものいじめが大大大好きな醜悪な本性を持ってるんだから、開き直って腹抱えて笑えば良いのに。今の状況」
「……黙れ」
「はいはい、出ましたいつもの「黙れ」。お望み通り黙ってますよ〜」
頭の中に響くのは、いつもの幼さが残る邪神の煽り声。だが、何故か反論出来なかった。
「気分転換、気分転換……」
彼はその場から離れ、補給隊のテントへ向かう。到着したばかりの物資コンテナがずらりと並んでいる。
「新しい補給か……」
なんとなく、ただ無目的に木箱の一つを開けた。
軍用のレーション、衛生用品、武器弾薬。アメリカ製が多い。……そして、雑誌。
明らかにうちの隊向けのものではない。手違いで紛れ込んだものだろう。表紙には、下品な笑顔の女と扇情的なタイトル。いわゆる「前線の娯楽」というやつだ。
「……他の部隊の男は、こんなもん読んでんのか」
思わず鼻で笑いながら、スカイはそのポルノ雑誌を手に取っていた。
表紙に惹かれたわけではない。退屈と、気分転換のつもりだった。
気まぐれで、パラパラとページをめくる。
途中手が止まる。そこに描かれていたのは、どこにでもあるようなエロ漫画だった。
だが――絵柄が、スカイの好みに刺さってしまった。輪郭線の柔らかさ。髪の流れ。笑った時の目尻の描き方。
ふと、引き込まれる。
内容はよくある話。
年下の女と、年上の男。ふざけあって、誘惑して、ベッドへ行って。
最初は軽い気持ちだった……というモノローグ。
だが、物語は途中から歪み始めた。
ヒロインが妊娠する。
男は「知らない、俺じゃない」と言い残して去る。
残された女が、部屋の隅で腹を抱えて泣いている。
スカイは――ページをめくる手を止めた。
呼吸が、突然浅くなる。
(……違う、やめろ。こんな話、読まなければよかった)
心がざわつく。指先が震える。漫画のコマの中で、ヒロインの目に浮かんだ涙が、
――スカイの記憶の中にある、母親の顔と重なった。
あの時、部屋の隅で、誰にも頼れず、ただひとりで泣いていた女。
「あなたは望まれた子じゃなかったの」
――そう言いながら、それでも捨てなかった母。
一方で記憶に鮮明に残っている「……こいつがいなければ私は……」という嫌悪と諦観の混じった瞳。
視界が揺れる。呼吸が速まる。
胸が苦しい。肺に空気が入ってこない。
「ッ……あッ、……は……!」
地面に膝をつく。背中が跳ねるように痙攣する。雑誌が指から滑り落ち、地面に落ちた。
「……どうしたの!?」
誰かの声が聞こえた。甲高く、驚いている。
メアリー・ファントム。ペリカン隊の隊長。たまたま物資の確認に来ていたらしい。
「殿下!? 殿下!? 大丈夫!?」
答えようとするが、喉が引きつって言葉にならない。
息を吸っても吸っても、全然足りない。自分の身体なのに、どうにもならない。
メアリーはすぐに察して、膝をついてスカイの背を支えた。
「深く吸わなくていい。ゆっくり吐いて。私の声だけ聞いて。ゆっくり、吐いて……いい? 私の声を聞いて。……大丈夫、敵は引いた、今は安全だよ」
メアリーの言葉は、不思議と静かだった。
戦場で幾人もの命を救ってきた衛生兵の、それはプロの声だった。
「大丈夫、大丈夫。深く吸わなくていい。少しづつ。少しづつ」
しばらくの間、スカイの不規則な呼吸音だけが響ていた。やがて、スカイの肩が少しずつ落ち着いていく。
目元に滲んでいた涙の跡を、袖で拭う。
メアリーは、何も言わずに彼を支えたまま、そっと言った。
「何があったの……? 殿下があそこまで狼狽えるなんて」
「……ああ……少し昔のトラウマがぶり返して……」
「……殿下だって、まだお若い。私よりも年下じゃない……。この1年、ずっと戦い続きだった。精神的に参っててもおかしくない。…………あのザマじゃ、しばらく敵は攻めてこれない。少し休もう?」
「……」
声にならない声。彼の中にある過去の傷が、また一つ、顔を覗かせた。




