22、母娘
午後のジフ川陣地。前線に敷かれた天幕の隙間を、春の生暖かい風が抜けていく。
レベッカ・シューティングスターは、歩く速度をわざと落としながら、己の胸中を整えていた。
足取りは重い。だが今、逃げるわけにはいかない。
(……ナナとの関係をどうしよう。きっと三角関係になるやつだよね)
彼女がスカイと関係を持ったあの夜以来、彼女――ナナ・デルタダートとは一度もまともに顔を合わせられていない。
(気まずいなぁ……ただでさえ、私はアリスと三角関係……というか、ナナ含めた恋敵が12人もいるのに)
息を吐く。よく考えるとどういう状況だ、これは。恋人の女癖の悪さは今に始まった事では無いが。
(でも弟子だから。師匠として、そしてスカイの正室として言うべきことは言わないといけない。喧嘩になっても)
そう思ったところで、近くの塹壕横でイーグル第3小隊の戦友達と談笑するナナの姿を見つけた。
「……ナナ。ちょっといいかな」
名前を呼んだ瞬間――
「師匠!」
ナナの表情がぱあっと輝いた。全力で嬉しそうに。
(……あれ? なんでそんな顔……?)
「私もお話したいと思ってました!」
弾かれたように立ち上がり、駆け寄ってくるナナ。その姿は、戦場に似合わないほど純粋で、レベッカはやや違和感を覚えた。
場所を移す。視界に遠くに建築中の敵陣地が見える小高い丘。もうじき、あの陣地には敵がウンカのごとく集まってくる。
レベッカは深く息を吸い、地面に腰を下ろした。
「……いい? 真面目に話すから」
「はい! 私も真面目です!」
ナナも同じように座り、姿勢を正す。
そこにあるのは期待に満ちた瞳。
……嫌な予感しかしない。
レベッカは小さく咳払いし、切り出した。
「改めて、スカイとのことなんだけど……ナナも、あの人が好きなんだよね?」
「はい」
即答。迷いもなく、むしろ誇らしげに。
そして――頬をほんのり赤らめ、少女らしい微笑み。
「……あの夜に、完全に自覚しました」
レベッカは沈黙し、内心だけ苦く笑う。
(そうか……やっぱり、そうだよね。じゃあ――)
「それなら、私は正室として、ちゃんと──」
「はい。正妻として母としてしっかりしてほしいです!」
「……母?」
言葉の意味を理解した瞬間、レベッカの思考が停止した。
ナナは満面の笑顔で、さらりと言う。
「だって、師匠と隊長って男と女っていうより、お父さんとお母さんに見えるんです」
「いやいやいやいや……」
反射的に声が裏返る。
「恋人ではあるけど……そういう方向じゃないから!」
しかしナナはますます笑顔を膨らませ、畳みかける。
「私、これからも師匠に戦い方も精神も全部教わりたいんですけど──」
「……うん?」
「抱きしめてもらったり、甘えたり泣いたりするのに、師匠よりお母さんの方がしっくりくるなって。クリスティーナ先輩も言ってるじゃないですか。大隊は家族! 隊長は皆の父であり夫であり兄であり弟である! って」
「…………」
レベッカの視界から色が消えた。
言葉の裏にある意味が、ゆっくりと沈んでいく。
(あの子……私とスカイを……本当に、母と父として……)
脳裏をよぎるナナの境遇。
父と婚約者は処刑済。母は行方不明。
今の彼女には、どこにも甘えられる人がいない。ナナは、心からの笑顔で言った。
「だからこれからも、隊長と師匠……いえ、お父さんとお母さんに、たくさん甘えさせてください!」
「…………」
唖然として返事を忘れたレベッカに、ナナが小首をかしげた。
「師匠?」
「……いや、待って。そこはもうちょっと違うでしょ? 今、三角関係の話してたよね?」
「え? 三角関係?」
一瞬だけ思案して――
ぱあっと、再び満面の笑み。
「――三角関係じゃなくて、三人家族ですね!!」
「…………」
「いや、大隊は家族なら、大家族? まあ、良いや。という訳で、これまで以上に沢山甘えさせてください! 師匠! いえ、お母さん!」
レベッカは――ゆっくりと、空を見上げた。
皮肉にも彼女の胸中とは反対に、雲一つない快晴。
「……あーもう無理」
「……?」
ぽつりと漏れた声は、風にかき消された。
――これ、三角関係なんて甘っちょろいものじゃない。スカイとの関係がどうとかじゃなくて……もっとおぞましいものがナナの中で目覚めてるじゃん……。
丘の下では、ジフ川の岸辺に並ぶ味方のトーチカ群が静かに佇み、緊張感が漂っていた。
しかしこの瞬間、レベッカにとっては――
戦場より先に、自分の「家族構成」のほうが危機だった。
三角関係展開だと思った? 残念! もっとおぞましい関係でした!




