21 風前の灯
反政府軍Side
湿った風が吹いていた。その生ぬるい風は、まるで死神の吐息のように、歩き詰めた兵士たちの顔を撫でていく。
「……ようやく、カーク目前までたどり着いた」
呟いたのはセラフィーナ・ラグナロック中佐。声はかすれ、義手が軋む音がやけに耳についた。
隣を歩く副官のエルザ・バーディゴ少尉は、無言で頷く。額に貼り付いた髪を払いながら、疲労に濁った瞳で前方を睨みつけた。
「長かった……帰りたい」
セラフィーナの苦笑にはもはや戦意などなく、ただ人としての限界を超えて、なお歩き続ける者の、諦観だけが滲んでいた。
「二週間、歩きっぱなしでしたからね」
エルザは冷静に状況を報告する。
「本来の計画なら、4日でここについていなければならなかった」
「王都出発時、兵力四千。現時点で推定三千。……熱中症、病死、事故、鬱による自殺。そして集団脱走で夜明けのたびに数十人単位で減っていくのは……」
「ホラーだな」
「13旅団だけではありません。001も55も、どこも似たような内情です」
その言葉に、二人は同時に乾いた笑いを漏らした。
「むしろ、四分の三も残った方が驚きだ。少年少女兵ばかりで……ここまで生きてた者は、全員勲章ものだ」
セラフィーナはそう言いながらも、義手を苛立たしげに握りしめる。金属音がギチギチと鳴った。隣にいたエルザはもはや慣れたのか、当初は怯えていたこのセラフィーナがイラついた時にやる癖にも動じなくなっていた。
その瞬間。
「ぎゃああああああああああ!!」
甲高い悲鳴が列の前方から上がる。若い……まだ12、3歳ほどの兵士が地面に倒れ込み、足には竹で作られた簡易杭が貫通していた。
――泥と糞尿がこびりつく、原始的かつ非人道的な罠。
「……パンジステークか! 医療班! すぐに来い! 消毒を急げ! 破傷風を起こすぞ!」
怒鳴りながら駆け寄るセラフィーナ。その表情には怒りよりも、あまりの悪意に呆れと疲弊が色濃く浮かんでいた。
だが、それは序章に過ぎなかった。
前方で、鈍い衝撃音――
瞬間、地面が揺れ、火柱が上がる。砂利が舞い、衝撃波が兵士たちの顔を打った。
「戦車が……!?」
誰かの悲鳴。前方を進んでいた第55機甲師団の貴重な車両が、何の前触れもなく爆散した。残骸が雨のように降り注ぎ、若い兵士たちがパニック状態に陥る。
「対戦車地雷……」
エルザの声が小さく震える。
逃げようと走り出した、まだ子供と言える年齢の兵士たち。だが、慌てたその足が、別の罠を踏み抜く。
足元が崩れた。落とし穴。そこには鋭く削られた竹槍が底に林立していた。
「ああああああああっ!!」
悲鳴は一瞬。次いで、声は途切れた。
静寂が戻る。だが、そこからは重苦しい血臭が漂っていた。
「……まずは、安全に寝られる場所を確保するところからだな」
セラフィーナは深く息を吸い、吐いた。声は低く、乾いていた。
そこへ、軍用ラジオから華やかな声が響く。
『追討軍はもはやカーク目前にまで迫りつつあります! 孤立した政府軍残党の命は、もはや風前の灯でしょう! 勝利は間近――』
ブツン、と。セラフィーナが義手でラジオの電源を消した。
機械音が途絶え、再び風の音だけが流れる。
やがて、セラフィーナは呟いた。双眼鏡で対岸を眺める。
「……風前の灯、ね」
ジフ川の向こう側。霞む水面の向こうに、整然と並んだ塹壕、トーチカ、そして――何かを待って静まり返る陣地、否、要塞。
その中央。橋が一本。まるで「こちらへどうぞ」と言わんばかりに、静かに架かっていた。
エルザが無言で視線を落とす。
「……あそこに進め、と?」
「嫌と言っても渡らされるだろうな。……確実に。あそこまで宣伝して、なんの成果も無しに逃げ帰るなんて上層部の革命家気取り共のメンツが許すわけがない」
セラフィーナはそう答えた。だがその表情には――勝利を目指す兵士の顔は、もうなかった。
その視線の行く先。
そこには川の対岸にずらりと設置されたコンクリート製のトーチカに守られた砲台とマシンガンバンカー。黒く塗られた銃口が、日の光を鈍く反射している。
――それはあたかも、餌を前にした飢えた狼のようで。獲物が、自ら罠へ歩み寄ってくるのを待っているかのようだった。




