15、義経と頼朝
クラリーチェ・ヴァレンティアの執務室には、朝の光がわずかに差し込んでいる。
執務机の前には一杯の紅茶。まだ湯気を立てている。
クラリーチェが眺めるのは、つい先程まで、あの白髪の少年──スカイ・キャリアベースがいた場所だった。弟と再会を果たしたばかりのクラリーチェは、背もたれに身を預け、じっと彼が出ていったその扉を見つめていた。
「……クラリーチェ様」
その静寂を破ったのは、参謀シオン・ハインド。冷静な視線でクラリーチェを見据えたまま、言葉を続ける。
「スカイ殿下を……あまり重用されませぬように」
その一言に、クラリーチェは微笑んだ。悪戯っぽく口角を上げると、わざとらしく問い返す。
「な〜に? 本気で嫉妬しちゃったのかしら、我が愛しの参謀殿?」
「茶化さないでください」
シオンは眉をひそめた。声に、わずかな焦りと苛立ちが混ざる。
「……あの方は、危険過ぎます。能力、カリスマ、全てにおいて……クラリーチェ様と肩を並べうる男です。兵を束ねる器も、戦の才も備えている。そして――」
「そして?」
「……何より、あの容姿です」
クラリーチェは吹き出しそうになるのを堪えた。
「顔もか。しかもあの子、女好きだからねぇ。現時点で八股だっけ?」
「事実です」
シオンは渋い顔で頷く。
「……本人にその意思が無くとも、周囲が彼を担ぎ上げる可能性は高い。既に我がはとこ、エレナ・ハインドですら……彼に、骨抜きにされております」
クラリーチェはふむ、と頷き、紅茶を一口啜った。カップの縁に唇を当てながら、彼女は視線を遠くに投げる。
「まるで……かの天照の名将、源義経を彷彿とさせるわね」
「……義経、ですか」
「そう。戦の才に恵まれ、しかし、空気が読めないがゆえに、最期はそのカリスマ性を疎まれ、兄に討たれた悲劇の将。…………でも、私は弟を討ちたくはないな」
そうクラリーチェはぽつりと呟いた。
「粛清せよ、とまでは言いません。ただ……どうか、過剰に信用しすぎないでください。姫様」
「ジョオンが、あの子をあんなに毛嫌いしているのも……まさか、貴方が吹き込んだ?」
問いかけるクラリーチェの目は、少しだけ鋭くなる。だがシオンは、目を逸らさなかった。
「……否定は、出来ません」
「ま、良いわ。心には留めておく」
クラリーチェはゆっくりと椅子から立ち上がった。ポニーテールにまとめた栗毛の髪が揺れる。
「……あの子は私が導く」
そう言ったとき、彼女の眼差しには王家の誇りと、女傑の覚悟が宿っていた。
「女たらしの弟一人、操縦出来ずに……私に何が為せるというの? 覇道を歩むなら、それくらい出来なきゃ話にならないわ」
「……ははっ」
ついにシオンも静かに傅いた。彼はこの主であり、恋人の女を眺めつつ心の中で喝采を贈る。
ーーやはりこの人は、肝が据わっている。常に己の背中に重責を背負いながら、なおも前を向く。
そして、クラリーチェはふと窓の外に目をやり、呟く。
「……まぁ、最悪私が『頼朝』になってもいいのよ」
「……」
「出来ればそんな事にはなりたくないけどね」
その笑みは、王国の未来を憂う者の顔だった。
沈黙が執務室を包む。
ここにいるのは、王家の血を引きし姫君と、冷静な参謀。
どちらも、国を守る覚悟を胸に抱いていた。
この血で血を洗う戦争の風向きは、確実に変わり始めていた。




