8、邪神
──俺が『そいつ』と出会ったのは、山奥の、とある研究施設だった。
当時の俺は、貧民街で母と二人、日銭を稼ぎながらどうにか生きていた。どこにでもいる、その日暮らしの貧乏人。
母は元々、平民ながら軍学校に入って頭角を現した人で、まあ、頭は良かったよ。……ただ、卒業直後に配属された部隊で、上官だった『とあるやんごとなき方』に手を出されて、妊娠をきっかけに捨てられて落ちぶれていったとかも言ってたから、生きるのは下手な人ではあったな。
ゲリラ戦の天才で、よく俺に戦術について教えてくれたな。今でもありがたく使わせてもらってるよ。皮肉な話だよな。弄ばれて捨てられた女の教えが、その息子と部下の強さの源になっている。
ガキ大将だった俺は、腕っぷしだけは自信があって、近所の悪ガキどもを率い、レベッカを妹分にしていた。あぁ……自分で言うのも何だが、顔はよかったよ。小さい頃から女にはモテた。
そんなある日、見知らぬ男二人に、拉致同然に連れ去られた。
連れていかれた先で、俺は『あいつ』に出会った。
政府軍が、戦況の悪化を受けて手を出した禁断の技術――
いわゆる『黒魔術』。
古代に封印された邪神を復活させ、それを人間と融合させるという狂気の実験。
俺の体質は、その『依代』として最適だったらしい。信仰の名残も薄れた土地で、かつて崇められていた女神ネクロディア。その名は今や邪神として語られている。
そういえば、数日前から貧民街をうろついていた怪しい奴らがいた。あいつらがエージェントだったってわけだ。
『あいつ』……ネクロディアは、蛙のような像の中に封じられていた。
研究員たちは俺を拘束し、メスを手に取り……そこから先の記憶は、あまり思い出したくない。
ネクロディアはもともと『豊穣の女神』として崇められていた。
少女の命を捧げることで、大地に作物を実らせ、水を湧かせ、命を繁らせる。
だが、その犠牲の重さにより、やがて教団は国家宗教に弾圧され、ネクロディア自身は封印された。
彼女が求める生贄は、十代の少女。
奴らはその恵みの力を軍事に転用しようとした。
俺の背中には触手が生えるように加工され、生贄となる少女を絡め取り、溶かすことで、俺の『性能』は引き上げられていく。
そうやって完成した『生物兵器』が、俺だった。
……察した奴もいるだろう?
そう、その生贄を『運用』するために作られたのが、女学生だけで構成された学徒兵部隊――第666特別大隊だ。
「適宜、戦場で損耗した際に回収・吸収することで性能を向上させる」
そう記録されていたよ。最終的に1000人の少女を吸収すれば、俺は無敵の兵器になれるんだと。魔力無限、魔法使い放題、撃たれても傷一つつかない、銃を撃てば百発百中……。さながら、ファンタジー小説に出てくる無敵の主人公だ。
…………人というのはここまで愚かになれるらしい。こんな計画に誰も反対しない、出来ない時点で終わってる。
運がよかったのは、俺がこの前の王都陥落で死んだ国王の隠し子だったと判明したことだ。母を弄んだ上官ってのが、箔付けの為に一時期軍にいた、あの馬鹿親父だったってわけ。
本来なら洗脳され、自我を持たずに生贄を喰らい続けるだけの存在になるはずだった。
だが、王族であると分かったことで、プロパガンダに利用する価値があると判断され、洗脳は免れた。
「貧民街生まれの王子が帰還!」
メディアが流したそんな話は、事実の裏返しに過ぎない。実験素材がたまたま王族だった、ただそれだけのこと。
俺は、そんな真実を知ってなお、皆を『餌』ではなく『兵士』として扱い、できる限り戦場から生きて返そうとした。
だが……それが、どれほど愚かで、甘い選択だったかも知らずに……。
***
そう語り終えたとき、場には沈黙だけが残っていた。
誰一人、声を上げなかった。
レベッカだけが「……言っちゃった」と頭を抱えている。
彼女は、この真相を知る数少ない一人だった。
「ファルコン隊の脱走の理由……あれは、彼女たちが真相に気づいたからだ。フーイ村で殿を任され、それを機に逃げた。恐れをなしたんじゃない。……俺が、騙していたからだ。ファルコン隊も、皆も……俺の自業自得さ。この話を知っても、レベッカが残ってくれた事が奇跡だ」
長い沈黙のあと、ようやくエリザベスが口を開いた。
「殿下は……どうするつもりですか? これから……」
「言っただろ。部隊は解散する。そして俺は…………責任を取る。皆を、こんな地獄に突き落とした責任を……自決で、果たすつもりだ。」
その瞬間だった。
パンッ!
乾いた発砲音が夜に響く。
狙ったのは誰でもない。空だった。威嚇だ。
撃ったのは、ウッドペッカー隊の副中隊長にして機関銃手、オードリー・フェロン。
その手には、まだ拳銃が握られていた。
そして、今度は俺に銃口を向けていた。
「警告……っ! 大隊長殿、貴官は今……家族を、裏切ろうとしている……!すぐに、戦線に戻れ……!」
その瞳に、涙が浮かんでいた。