48 この痛みを知っている
旧王宮からアストン邸までの帰り道は、シャーリーの運転する車であった。
エンジン音が体に響き、でこぼこの道では車体が揺れてタイヤの跳ね飛ばした石が飛びガツンと音がする。
「アストン子爵は酔いますか?」
シャーリーに尋ねられて、ぼんやりと前方の暗い道を見つめていたバーナードは「大丈夫」と答えた。
「それは良かった。以前一度コンラッドを乗せたらひどい運転だと文句をつけられました。もう少しまともだったら、運転手として雇っても良かったのに、と。ああ、返事は結構です。舌を噛みますよ」
ぐっと車体が揺れて、バーナードは「了解」とだけ答えて口をつぐむ。
ガタガタとひどい振動に体を揺さぶられた。たしかに、酔いそうな運転だった。車のせいか運転手のせいか判別はつかない。田舎道が悪いのはあるだろう。
「会話があったほうが気詰まりじゃないと思うんですけど、夜道は走り慣れないていないものですから運転に集中します」
シャーリーが薄く笑いながら言う。
「ありがとう」
短く礼を言って、バーナードは話を切り上げた。そして、妙に落ち着かない気持ちを持て余しながら、進行方向の明かりで照らし切れない道を見つめた。
シャーリーは軽妙洒脱で、どこか人を食ったような話し方をする。気安く親しげだが、話していると緊張するのだ。彼女がバーナードに対して心を開いていないからのように思う。心を鎧ったひとの態度だ。
(シャーリーさんはコンラッドの知り合いというのは本当だとしても……。なんだか危うい。気のせいじゃないよな)
愛想の良さは見せかけだけで、本音をどこかに押し込めて隠してしまっている。そういう類の気を許しきれない空気が漂っていた。
昨晩、落馬からの怪我でやむを得ず屋敷に客として迎えたニコラスと通じるところがあるように感じた。
――歌姫を探す旅の途中だったんだ
風来坊のように気ままで掴みどころのないところのある男であったが、その目的を聞いたとき胸の奥がざわざわとした。
見事な笛とピアノの腕前を披露した彼は、間違いなく一流の芸術家だ。
バーナードには窺い知ることのできない世界であるが、芸術家であれば飛躍のためのインスピレーションを与えてくれる女神を欲する衝動のようなものがあるのだろう。
しかもおそらく、彼の求めてやまない相手はもう目の前にいる。
胃の腑の焼け付く痛みとともに思い出した。
戦場で何度も感じた、明日をも知れぬ身だからという諦め。手足が重くなり、多くの同胞をさらった死が黒い影となって隣を歩き出す。気を抜くと今にも肩を叩かれそうだ。
絶対にそちらを見てはいけないと思いながらも、その時が来たらじたばたせず冷たい手に身を委ねばと思う。もしかしたら深みに引きずり込もうとするその手は、案外温かいのかもしれない。何人もの友人たちを連れ去った者なのだから、そうであって欲しいと思う。
自分もまた備えようとしてしまっている。何に対しても線を引こう、綺麗に諦めようという姿勢が染み付いているのだ。
(たとえば、俺ではない男の手から垂れた運命の赤い糸が、俺の妻の手につながっているとつきつけられたとして)
退役軍人、帰還兵だからニコラスは危ういと感じただけではない。
バーナードは、彼の類まれなる音楽の才能の片鱗を見せつけられたことで本能的な恐れを感じた。
これまで妻であるチェリーを、狭い場所へ押さえつけようと思ったことはないつもりであった。それこそ彼女には才能がある。本人は認めようとはしないが、もう周囲は気づいてしまっている。
いつか飛び立つ日が来るのであれば、精一杯後押しをしようと心に決めていた。
だが、現実的に彼女を連れ去りそうな男が現れたときに感じたのは、圧倒的な無力感だった。彼女が外の世界に羽ばたくために、自分は不要だ。実感してしまった。
(チェリーさんは遠慮して自分から音楽を学びたいとは言わない。もう一度、俺から言った方がいいだろう。彼女をニコラスに委ねることになるとしても)
自分の妻になることで、その道が閉ざされることがないように。私情など挟まず最良の道を模索しなければ。
「アストン子爵。道はここで合っている?」
気がつくと、もう屋敷の近くまで来ていた。
「大丈夫。敷地内の空いているところへ」
会話しながら誘導し、停車してから二人で車を降りる。
一緒に屋敷への道を歩き始めたが、バーナードはふと馬をつないでいるはずの納屋で物音がしているのに気づいた。
「何も無いと思うけど、一応確かめる。先に屋敷へ向かっていて」
「知らないひとが来たら鍵を開けてくれないんじゃないかな? 待っていてもいいよ」
シャーリーに肩をすくめて言われて、バーナードは鍵を渡した。
「すぐそばに屋敷があるのに、こんな夜に女性を外で待たせておくわけにはいかない。名乗って事情を話してくれたらチェリーさんならすぐにわかってくれるよ」
「そう? 先手必勝でフライパンで殴られたりしない?」
あまりにもシャーリーのたとえが具体的だったために、想像したバーナードはふきだした。
「その可能性は若干ある。気をつけて」
そこで一度別行動となり、納屋で何やらフンフンと興奮していたロビンを確認する。
「蜂にでも刺された? 大丈夫か?」
声をかけているうちに、ロビンは落ち着いた。明かりも満足にないので、様子を見るにしても朝が来てからのほうが良さそうだとバーナードは結論づけて「また来るよ」と言い残して納屋を出た。
そして、屋敷へと向かった。
* * *
「これは? ご当主ではないですよね。この夜更けにこんな場所で、もしかして奥様は間男と密会をしていたのですか?」
見知らぬ相手に真っ向から尋ねられて、チェリーは返答しようとしたものの固まってしまった。
「間男……間男と密会? 間男と密会?」
単語そのものは知識の範疇であったが、まさか自分へ向けられると思わなかった組み合わせだっただけに戸惑いが勝つ。
チェリーのすぐ側に立っていたニコラスが、くくっと笑みをもらした。「え?」とチェリーがそちらへと目を向けると、視線を流してきたニコラスとばちっと目が合った。
「しとく?」
「何をです?」
「密会。せっかく間男認定されたことだし、期待には応えないと」
言われた内容を考えて、からかわれているだけという可能性には思い至った。しかし「冗談ではない」という気持ちが強すぎたため、チェリーは毛を逆立てた猫のようにぶわっと怒りを弾けさせた。
「ふざけないでください! ロビンさんといっしょに出ていっていただきますよ!?」
足の怪我に遠慮なんかしてあげるものですか、と啖呵を切ったチェリーの前でニコラスは腹を抱えて「あははははははは」と笑い出した。
「だ、だいたいあなたも一体誰なんですか!?」
いきなり屋敷へ入り込んできた美青年らしき相手にチェリーが食ってかかれば、相手はにこりと笑った。
「誰だと思います?」
ものすごく食えない態度である。
チェリーは勢いのまま売り言葉に買い言葉にならぬよう、続く言葉をひとまず呑み込んだ。
そのとき、青年の背後のドアが開いてバーナードがひょいっと顔を出した。
不思議そうな顔をしながら辺りを見回して、チェリーを見つけるとふわっと笑いかけてくる。
「ただいま。思ったより遅くなってごめん。お客さんがいるから紹介したい。こちらはシャーリー・カミングス嬢。コンラッドの知り合いで、急だけど何日間かこの屋敷に滞在いただくことになった」
「どうも。よろしくです、奥様」
爽やかに言われてチェリーは相手が女性であることに気づいた。
(コンラッドさんの知り合いということは、何か事情があるのよね)
遅く帰ってきたバーナードが無事でひとまず良かったと思う。だが、チェリーが声をかける前にその視線の先でシャーリーが「そうだ、ご当主」と言いながらバーナードに身を寄せて耳打ちをしているのを見て、もやっとした。近すぎない? と。
そもそも彼女はバーナードのことを知っていたのだから、ニコラスが当主本人ではないと説明されるまでもなくわかっていたはずなのだ。チェリーと一緒にいるのを見てすぐさま煽ってきたのは、どういう意味があったのか。
思わず視線を逸らしたチェリーの背に、ニコラスが目を向ける。
離れた場所から、バーナードはそんな二人の様子を視界に収めていた。
★伊南ミナト先生:コミカライズ(土曜日11時更新)
カドコミ
https://comic-walker.com/detail/KC_008519_S
ニコニコ
https://manga.nicovideo.jp/comic/76987
いつも応援ありがとうございます!!
リアタイ組の皆様におきましては、ただいまお顔よすぎるメンズのターンです!
ぜひご堪能ください(๑•̀ㅂ•́)و✧




