44 花によって咲く時期が違うように
このところ、チェリーは時間を見つけてはノートにレシピを書き留めていた。
文字が得意ではないチェリーに、バーナードが練習がてら勧めてきたのだ。「実用的なものであればやる気が出るんじゃないだろうか?」と。その通りである。
(字の練習のために、本をただ書き写すようなことは続かなかったのだけど、後から見返したときに役に立つレシピであれば書いても無駄にならないし。自分以外のひとが見ても読めるように書かなければって緊張感もあるから、字もうまくなる……かも!)
書いてみると思った以上に面白くて、すっかりハマってしまった。
もちろん、提案を受けただけでは何をどう書くべきかまったく思いつかなかったのだが、それを見越していたかのようなバーナードの助言があったのが大きい。
――チェリーさんが大切に手入れをしてくれているこの庭には、一年中いろんな種類の植物が育っているよね。花によっては咲く時期が違い、野菜も果物もそれぞれ旬の時期が違うというのは、毎日の実感としてチェリーさんが誰よりもわかっていると思う。まずはそういうことを書いてみたら良いんじゃないかな。
――「りんごの収穫は秋」と書くということでしょうか?
――うん。たくさん実ったりんごを収穫した後は? りんごを使った料理や保存食を作るだろう。つまり、料理は旬の食材に左右される。そういうことを書いておくと、後から見たときに役に立つと思うんだ。「今年はりんごが豊作だったけど、何を作ろう。去年は何を作ったかな」という確認に。
――あっ、わかりました! そのときは思いつかなくて、後から「あれも作れば良かった」と思うことありますからね!
――そう。料理だけじゃなくて、ハーブを使った軟膏なんかも採取できる時期に計画的に作ることが大切だ。だから、季節ごとに計画的に作ったほうが良い保存食や薬を書き留めると決めれば、一年中「書くこと」があるよね。慣れてきたら料理の種類でスープ、パン、焼き菓子と項目を分けてみるとか。
――面白そうです! 私はそういうこと全然思いつかなくて。バーナードさんは凄いですね!
――それは、たまたまこれまで本を読む機会があったから思いつくというだけだよ。最近読んだ医学書の分類を思い浮かべて言ってみただけ。書く内容を考えるのはチェリーさんだ。読ませてもらえるのかな。楽しみにしているね。
はにかむような笑みを浮かべたバーナードに、チェリーも笑顔で応えた。
――はい! 植物だけじゃなくて、お肉やお魚のレシピもあったほうがいいですよね。なんとか書いてみます!
そこからチェリーのレシピ作りは始まった。
ちょうどこの日は、落ち着かない気分をまぎらわせるために「食べ頃のお肉の見分け方」について真剣に考えていた。庭を歩き回る鶏を前にして。
「どのくらいの時期が美味しいか……。料理にするなら羽のむしり方からも書くべきなのかしら。そうよね、ノエルやキャロライナさんが読んだときにチキンパイやシチューの作り方がわかるようにするには、まずそこからよね」
ノート片手に鶏たちを見回していたとき、ふと違和感があることに気づいた。
はじめは、自分が何を気にしているのかわからなかった。やがて、背筋にぞっと悪寒が走った。
「ピアノが聞こえていない……!」
思わず声に出して呟いてから、慌てて屋敷の裏口に向かって走り出す。
ずっと聞こえていたピアノの音が、いつの間にかやんでいた。ニコラスがようやく休む気になっただけかもしれないが、胸騒ぎがして仕方ない。
音が聞こえないということは、ニコラスがピアノ室にはいない可能性もある。足を怪我していたので二階に上がるのは大変そうであるが、家の中をよく知らない男性が歩き回っているというのは落ち着かないものがあった。
心臓がドキドキと鳴り、足が震えそうになりながらもチェリーはなんとか廊下を駆け抜けてピアノ室にたどり着いた。
ぴたりと閉まったドアの前に立ち、躊躇する前にノックした。
「ニコラスさん! 入りますよ!」
言うなり、返事を待たずにドアを開く。
そこには、チェリーが予想もしていなかった光景があった。
* * *
窓越しに「この窓枠を越えるのは難しいわ。ここで聞いているから、お城の舞踏会で流れるような曲を弾いてくれませんか」とキャロライナが言ったところ、ニコラスは「あれはたくさんの楽器で奏でたときにより美しく響くように構成されている」と言いながらも、実に苦もなくすぐさま一曲弾いてくれた。
その技術のたしかさに、キャロライナは目を瞠った。
「どれだけの楽譜が頭の中に入っているのかしら。どうやって練習したらそんな風になれるのか、私には想像もつかないわ」
「覚え方にはコツがあって……。それを口で説明するのは難しいかな。これまでも人に聞かれて、何度か教えようとしたことはあるんだけど、僕と同じようにできたひとはいなかった。そこから考えるに、おそらくこれは教えられないことなんだと思う」
ニコラスの淡々とした口ぶりに、冗談を言っている気配はなかった。しかし、興味津々で身を乗り出していたキャロライナにとっては十分に面白く、顔をほころばせた。
「天才なのね」
ああ、と遠くを見ながらニコラスは気のない相槌を打つ。
「そんな風に言われることもあったね」
まるで他人事のようなそっけなさで、キャロライナはくすくすと声を上げて笑った。
「羨ましいわ。そう言われることも慣れてらっしゃるのかもしれないけれど、私には特技というものが無いから。胸を張って、これだけは自信がありますと言えることが何かあれば良かったのだけれど」
ちらっと、ニコラスが視線をくれる。
「僕よりよほど若い。これから先に何か見つかるよ」
「でも、あなたが私の年齢のときにはもう音楽を手にしていたのでしょう?」
添え木をした足を慎重に動かし、ニコラスは椅子の上で座り直して窓の方へと体ごと向き直ってきた。
「たとえ何を手にしていようとも、戦争でだいたい何もかもが中断した。僕だけじゃない、多くのひとが。そして二度と手に出来なくなった者もいる。幸いにして生き延びた者の中には、ここから何かを始めようとして、さてではその『何か』とはいったい何なのかと、今まさに探している者もたくさんいるだろう。君はべつに出遅れてなんかいない。ただし、今日いまこの時から動かなければ、今日動き出したひとよりは出遅れる。まずは進め。手を動かせ」
キャロライナに視線を向けたまま、ニコラスは鍵盤に片手を置いてその手元を見ることもなく今しがた弾いたばかりの曲をもう一度弾き始める。
ワルツ。
切りの良いところでニコラスが手を止めるまで聞いてから、キャロライナは溜め息をついた。
「本当に素敵だわ。もし私が踊れるなら、いまにも踊りだしていたかも。……自分にできないことはたくさん思いつくの。でも、それを今からやりたい『何か』だと言うのは難しいわね。踊ったり、楽器を奏でたりするよりも、チェリーさんのように家の中のことを出来るようになったほうが、よほどみんなのためになるってわかっているから」
困ったときにこの家を支えてくれたのは、チェリーの生活力であった。まぶしいまでのたくましさに、キャロライナは文字通り命を救われてきたのだ。
この先、使用人がいるような生活に戻ることはもう無いとわかっているのだから、優先して身に着けるべきは音楽やダンスではないのではと感じている。子どもというのはノエルの年齢を言うのであり、自分はいつまでも子どものように世話をされているわけにはいかないからだ。
ニコラスは、軽く肩をすくめて「それはどうかな」と言った。
「あの数年間を経験した人間は、諦めることに慣れすぎている。これからはもっと、自分がやりたいことを大切にすべきだと僕は思う。踊りたいのなら踊れば良いんだよ。ああ、僕が足を怪我していなければ教えてあげられたのに」
そこで初めて、ニコラスは悔しそうな顔になった。
「まあ、ダンスもできるの? すごいわね。でも、そうよね。それだけ楽器ができるということは、すごくきちんとした学ぶ環境があったんですものね」
キャロライナが素直に称賛を口にすると、ニコラスはゆっくりと瞬きをひとつして席を立った。
※中途半端になってしまったのでなるべく早く続けて更新します!
★伊南ミナト先生:コミカライズ(土曜日11時更新)
カドコミ
https://comic-walker.com/detail/KC_008519_S
ニコニコ
https://manga.nicovideo.jp/comic/76987
コミカライズ連載、いつも応援ありがとうございます(*´∀`*)
SNSでの拡散も感謝です!!
いただくご感想も楽しく読んでます(๑•̀ㅂ•́)و✧




