第二章18 大家さんと獣医
猫に好かれている青年は、私が近くにいることに気づいていないのかはたまた気に留めもしていないのか、読書をつづけていた。スタイリッシュな黒いフレームのメガネをかけて視線を本に落としている。熱心にと言うより黙々と、と形容するのが合う。他との間に見えない壁をつくっている感じがした。
声、掛けにくい。初対面の人に話しかけるだけで緊張する質なのだが、それとはまた違った緊張だった。
彼はときどき本から目を離せば、猫を撫でた。表情は優しかったが、どことなく寂し気に思えた。よけいに気になった。まるで猫にしか心を開いていないようだった。
しばらく彼を横目で気にしていたが、話しかけるタイミングは訪れなかった。そうこうしているうちに日が暮れてきた。そろそろ帰らなくては。またここに来たら彼に逢えるだろうか。女性客の話ではよく来ているみたいだし、次の機会に話しかけてみよう。そう心に決め店を後にした。
帰りの道を歩いていると、大家さんが向かいから歩いてきた。
「あら、鈴さん。お元気?」
柔らかな表情で会釈してきた。お陰様で、とこちらも挨拶した。大家さんが口を開こうとした瞬間、みゃあ、と子猫の声がした。よく見れば奥さんが腕に抱えていたバスタオルの間から小さな顔が覗いていた。なんて可愛らしい、と言うと捨て猫だと話した。奥さんはカフェオレ色をした毛を撫でながら続けた。
「それでそこの猫カフェにお願いしようと思って」
猫カフェって捨て猫も世話しているかしら、と首をかしげた。私の疑問を察したのか、大家さんはほほ笑んだ。
「ふふ、あそこは猫カフェ兼、里親探しの場にもなっているのよ」
なるほど。たしかに血統書つきの猫よりもミックスが多かったし、子猫も何匹もいた。
「さっきカフェ行ってきたばかりなんです。とっても癒されました」
「それは良かったわ。それを聞いて主人も喜ぶわ」
大家さんが? と聞きかえせば、お店のオーナーである獣医に猫カフェを開店してはどうかと提案したのは大家さんだと言う。大家さんと先生は昔からの付き合いで、相談されたらしい。
「捨て猫を保護しても保健所に送らなきゃならないけど、保健所にいけばたいてい処分されてしまうでしょう? それなら里親探すのに猫カフェはどうかって話になって」
あの子の心も癒してあげたくて、と小さくつぶやいたのが、耳に届いた。あの子って誰の事だろう。前にも捨て猫を拾ったことがあるのかしら。




