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『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第2章「赤ちゃんですが、未来を変えます!」

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第1節 婚約者候補なんて、聞いてません!

――婚約者候補。


 その言葉を聞いてから、私の頭の中は大混乱だった。


「……うぅ」


 柔らかな寝台の上で、小さな拳を握りしめる。


 私、リリアーナ・フォン・アルヴェルディ。


 前世の記憶を持ったまま、乙女ゲーム『聖女の恋と運命の王子』の悪役令嬢に転生した赤ちゃんである。


 将来は王太子ユリウスの婚約者となり、聖女候補を虐めた罪で処刑される。


 それだけでも十分に恐ろしいというのに。


 なんと、まだ赤ちゃんの私が、すでに王太子の婚約者候補に挙がっているらしい。


 ……ちょっと待って。


 早すぎませんか!?


 普通、赤ちゃんのうちから婚約を考えるものなの!?


 いや、公爵家と王家なら政略結婚も珍しくないのかもしれない。


 でも、こちらにも心の準備というものがある。


 そもそも、私はまだ寝返りさえ満足にできないのだ。


「……むぅ!」


 私は精いっぱい抗議の声を上げた。


「リリア様?」


 侍女のマリアが顔を覗き込んでくる。


「どうなさいました?」


「あぅ!」


「まあ、今日は朝から元気ですね」


 ……違うんです。


 元気というより、人生の危機なんです。


 マリアはそんな私の気持ちなど知るはずもなく、にこにこと笑った。


「今日は旦那様が、朝のお仕事を終えたら会いにいらっしゃるそうですよ」


 お父様が?


 私はぱちりと目を開いた。


 これは、もしかすると好機かもしれない。


 婚約の話について、お父様がどう考えているのか知りたい。


 もちろん、直接質問することはできないけれど。


 赤ちゃんには赤ちゃんなりの戦い方がある。


 ……たぶん。


     ◇


「リリア!」


 それからしばらくして、勢いよく扉が開いた。


 現れたのは、お父様――アレクシス・フォン・アルヴェルディ公爵だった。


 整った顔立ちに、鋭い眼差し。


 外では冷酷公爵と呼ばれているらしい。


 でも。


「お父様が来たぞ!」


 私を見るなり、頬が緩んでいる。


 ……冷酷公爵さん。


 威厳はどこに置いてきたのでしょうか。


「旦那様、扉はもう少し静かにお開けくださいませ」


 後ろから執事長が注意する。


「リリアが驚くだろう」


「それはこちらの台詞でございます」


 ……執事長、今日もお疲れ様です。


 お父様は私を抱き上げ、満足そうに微笑んだ。


「おはよう、リリア」


「あぅ」


「そうか。よく眠れたか」


 ……会話が成立しているようで、していませんね。


 それでも、お父様はとても嬉しそうだった。


「旦那様」


 執事長が書類を差し出す。


「昨日の王宮からの件ですが」


 ――来た!


 私は耳を澄ませた。


「婚約者候補の件か」


「はい。王宮から、改めて書面が届いております」


 お父様の表情が変わった。


 先ほどまでの柔らかな笑顔が消え、鋭い眼差しになる。


「……返事は変わらん」


「承知しております」


「リリアはまだ幼い。今から将来を決めるつもりはない」


 ――お父様!


 素晴らしいです!


 私は心の中で拍手した。


「ですが、王家としては公爵家との結びつきを強めたいのでしょう」


「それは理解している」


 お父様は私を抱き直した。


「だが、娘の幸せより優先するものではない」


 ……!


 私は思わず、お父様を見上げた。


「リリアが成長し、自分の意思で選べるようになってから考えればいい」


 その言葉に、胸が温かくなった。


 ゲームの中では、リリアーナは王太子との婚約に執着していた。


 自分の立場を守るために、婚約を失うことを恐れていた。


 でも。


 今のお父様は、私の気持ちを何よりも大切にしてくれている。


 ……だったら。


 私は、きっと違う未来を選べる。


「……あぅ!」


 嬉しくなって、小さな手を伸ばした。


 お父様の頬に触れる。


「リリア?」


「きゃう!」


「……!」


 お父様が固まった。


「執事長」


「はい」


「今のを見たか?」


「拝見いたしました」


「リリアが私に微笑んだ」


「そのようでございますね」


「……今日は、いい日だ」


 お父様がしみじみと言った。


 ……あの。


 婚約の話は、もう終わりですか?


「旦那様、お仕事にお戻りくださいませ」


「あと少しだけだ」


「先ほども同じことをおっしゃいました」


 執事長のため息が、静かに響いた。


     ◇


 その日の午後。


 私はお母様の腕の中で、庭園を眺めていた。


「リリア、今日は暖かいわね」


「あー」


「お花も綺麗に咲いているわ」


 お母様――セレーナは、いつものように優しく微笑んでいる。


 その横には、お兄様のレオンハルトが座っていた。


「母上、リリアに贈るものを持ってきました!」


「あら、何かしら?」


「これです!」


 お兄様が差し出したのは、小さな白い兎のぬいぐるみだった。


 ふわふわの耳。


 丸い黒い瞳。


 首には薄紫色のリボンが結ばれている。


 ……可愛い!


「リリアのドレスに合わせて、リボンを選んだんです」


「まあ、素敵ね」


 お母様が嬉しそうに笑った。


「リリア、見てごらんなさい。お兄様からの贈り物よ」


「……あぅ!」


 私はぬいぐるみに向かって手を伸ばした。


「気に入ってくれた!?」


 お兄様が身を乗り出す。


「うー!」


「母上! リリアが喜んでいます!」


「ええ、そうね」


 お兄様は満面の笑みを浮かべた。


「よかった……!」


 ……お兄様。


 そんなに嬉しそうにされたら、こちらまで嬉しくなってしまいます。


 私は小さな兎の耳を握った。


 柔らかい。


 温かい。


 何だか、とても安心する。


「リリアがもう少し大きくなったら、僕がもっといろいろなものを見せてあげるからね」


 お兄様が言った。


「庭の奥にある温室も、図書室も、湖も!」


 ……図書室!


 その言葉に、私は反応した。


「きゃっ!」


「リリア?」


 お兄様が驚く。


「図書室に行きたいの?」


 ――はい!


 ものすごく行きたいです!


 この世界の歴史や魔法について、知りたいことが山ほどある。


 特に、ゲームには出てこなかった情報。


 それを調べることができれば、未来を変える手がかりになるかもしれない。


「うー! あぅ!」


「母上、見てください! リリア、図書室に興味があるみたいです!」


「まあ。まだ赤ちゃんなのに?」


 お母様がくすりと笑う。


「レオンハルトが本を読んであげたら、喜ぶかもしれないわね」


「本当ですか!?」


「ええ。絵本なら、リリアにも楽しめるでしょう」


「じゃあ、僕が選んできます!」


 お兄様は勢いよく立ち上がった。


「レオンハルト、走って転ばないようにね」


「はい!」


 そう返事をした直後、お兄様は庭園の小道を駆けていった。


 ……大丈夫でしょうか。


 でも、図書室への道が開けたのは大きい。


 私は心の中で、小さく拳を握った。


 第一歩、成功!


     ◇


 夕方。


 お兄様は本当に、絵本を持って戻ってきた。


 しかも、一冊ではない。


「リリア! どれがいい?」


 机の上に並べられたのは、五冊の絵本だった。


 動物の物語。


 お姫様の物語。


 騎士の冒険。


 妖精の伝説。


 そして――。


『はじめての魔法』


 ……これだ!


 私は最後の本を見つめた。


「リリア?」


 お兄様が首を傾げる。


「この本が気になるの?」


「うー!」


「魔法の本?」


 お兄様は少し驚いたようだった。


「リリアは魔法が好きなのかな?」


 ――大好きになる予定です!


 まだ使ったことはありませんけれど!


「ふふっ。では、それを読んであげたら?」


 お母様が微笑んだ。


「はい!」


 お兄様は私の隣に座り、絵本を開いた。


「えっと……『この世界には、目には見えない不思議な力が流れています』」


 私は真剣に耳を傾けた。


「『その力を魔力と呼び、人は魔力を使って、さまざまな奇跡を起こすことができます』」


 ……やっぱり。


 この世界には、魔法がある。


 ゲームにも魔法は登場していた。


 ただし、リリアーナは魔法を得意としていなかったはず。


 少なくとも、戦闘に役立つような力は持っていなかった。


 でも。


 それは、ゲームの中のリリアーナの話だ。


 今の私は違う。


 前世の記憶がある。


 未来を知っている。


 そして、何より。


 まだ赤ちゃんだ。


 つまり、これから努力する時間がある。


「『魔法には、火、水、風、土、光など、さまざまな性質があります』」


 お兄様が読み進める。


「『けれど、魔法を使うためには、自分の魔力を感じ取ることが大切です』」


 ……魔力を感じ取る。


 なるほど。


 それが最初の一歩なのね。


「リリア、面白い?」


「あぅ!」


「よかった!」


 お兄様は嬉しそうに笑った。


「僕も魔法の勉強を始めたばかりなんだ」


 ……えっ?


 私はお兄様を見上げた。


「まだ上手には使えないけど、いつかリリアを守れるくらい強くなりたいんだ」


 その言葉に、胸がきゅっとした。


 お兄様。


 あなたは、いつも私を守ろうとしてくれる。


 でも。


 私も同じなんです。


 あなたを守りたい。


 お父様も、お母様も。


 この家族全員を。


「……ん!」


 私は小さな拳を握った。


「リリア?」


 お兄様が顔を覗き込む。


「どうしたの?」


「うー!」


「もしかして、応援してくれてる?」


 ……はい。


 それもあります。


 でも、私も頑張ります!


「ありがとう、リリア!」


 お兄様は嬉しそうに笑った。


 ……うん。


 今は、それでいい。


 いつかちゃんと言葉で伝えられるようになったら。


 一緒に頑張ろうって、言いたいな。


     ◇


 その夜。


 私は寝台の中で、今日の出来事を思い返していた。


 お父様は、私の婚約を急いでいない。


 お兄様は、私に絵本を読んでくれる。


 お母様は、いつも優しく見守ってくれる。


 ……本当に、幸せだ。


 でも。


 幸せだからこそ、怖い。


 ゲームで描かれた未来を思い出すたび、胸が苦しくなる。


 処刑台。


 冷たい視線。


 失われた公爵家の名誉。


 そして、家族の悲しみ。


 そんな未来には、絶対に進みたくない。


「……うぅ」


 私は小さく息を吐いた。


 今の私にできること。


 それは、家族に愛されながら成長することだけではない。


 この世界を知ること。


 ゲームの知識を整理すること。


 そして、少しずつでも自分の力を身につけること。


 ……よし。


 まずは魔力を感じる練習から始めてみよう。


 私は目を閉じた。


 絵本に書かれていた言葉を思い出す。


『魔力は、すべての命の中に流れている』


 ……命の中に流れている。


 つまり、自分の身体の中にあるということ。


 私はゆっくりと呼吸した。


 小さな胸が上下する。


 手のひらが、ほんのり温かい。


 ……これかな?


 いや、普通に体温かもしれない。


 もう一度、意識を集中する。


 すると。


 ――ぽうっ。


 何かが、指先で光った気がした。


「……?」


 私は目を開いた。


 けれど、そこには何もない。


 小さな手。


 柔らかな毛布。


 そして、お兄様にもらった白い兎のぬいぐるみ。


 ……気のせい?


 私は首を傾げようとした。


 でも、赤ちゃんの身体では思うように動けない。


「……むぅ」


 もう一度。


 私は目を閉じた。


 すると、今度は。


 ほんの一瞬だけ。


 胸の奥に、温かなものが広がった。


 まるで、優しい光に包まれたような感覚。


「……あ」


 私は小さく声を漏らした。


 ――これが、魔力?


 確信はない。


 でも。


 何かを感じた。


 ほんの少しだけ。


 私は嬉しくなった。


 もしかしたら。


 私にも魔法が使えるかもしれない。


 そう思った瞬間。


 窓際に置かれていた小さな花瓶の中で、白い花がふわりと揺れた。


 窓は閉まっている。


 風など吹いていない。


 なのに。


 花びらが、淡く光った。


「……!」


 私は目を見開いた。


 けれど、その光はすぐに消えてしまった。


 ……今の、何?


 私は花瓶を見つめた。


 確かに光った。


 気のせいではない。


 ……もしかして。


 私が、何かした?


 胸がどきどきする。


 でも、まだ分からない。


 もう一度試そうとしたけれど、急に眠気が襲ってきた。


 ……あれ?


 身体が、重い。


 赤ちゃんの身体は、想像以上に疲れやすい。


 私は小さくあくびをした。


「……ふぁ」


 ……今日は、ここまでかな。


 無理をして倒れたら、お父様たちが心配する。


 それだけは避けたい。


 私は白い兎のぬいぐるみに触れながら、ゆっくりと目を閉じた。


 ――明日も、頑張ろう。


 小さな一歩でもいい。


 少しずつ前に進めば、きっと未来は変えられる。


     ◇


 同じ頃。


 公爵邸の執務室では、アレクシスが一通の報告書を読んでいた。


「……王宮が、再び動いたか」


 執事長が静かに頷く。


「はい。王太子殿下の婚約者候補について、複数の貴族家に打診があったようです」


「そうか」


 アレクシスは書類を机に置いた。


「リリアを巻き込むつもりなら、慎重に対応する必要があるな」


「旦那様は、婚約そのものに反対なのでしょうか」


「反対というわけではない」


 アレクシスは窓の外を見つめた。


「ただ、あの子の人生を、他人の都合で決めたくないだけだ」


 執事長は静かに頭を下げた。


「旦那様らしいお考えでございます」


「……それに」


 アレクシスの表情が険しくなる。


「例の紋章についても、まだ何も分かっていない」


「王都の紋章商を引き続き調べております」


「頼む」


 アレクシスは小さく息を吐いた。


「リリアが生まれてから、妙なことが続いている」


「……はい」


「偶然だと思いたいが」


 執事長は答えなかった。


 しばらくの沈黙が流れる。


 やがて、アレクシスが静かに言った。


「何があっても、家族は守る」


 その声には、揺るぎない決意があった。


「セレーナも、レオンハルトも、リリアも」


 執事長は深く頭を下げた。


「我々も、全力を尽くします」


「ああ。頼りにしている」


 そのとき。


 執務室の扉が、控えめに叩かれた。


「旦那様」


 侍女のマリアだった。


「どうした?」


「リリア様のお部屋で、少し不思議なことがございまして……」


 アレクシスが眉を上げる。


「不思議なこと?」


「はい。窓際の月鈴花が、突然光ったのです」


「……月鈴花が?」


「夜に淡く光る花ではございますが、今夜の光は、いつもと少し違っておりました」


 アレクシスは黙り込んだ。


「それで、リリアは?」


「すでにお休みになっております」


「そうか」


 アレクシスは椅子から立ち上がった。


「様子を見に行こう」


「旦那様」


 執事長が声をかける。


「何だ?」


「まさか、またお仕事を中断なさるおつもりですか?」


「娘の様子を確認するだけだ」


「……承知いたしました」


 執事長は諦めたようにため息をついた。


 アレクシスは小さく笑う。


「心配するな。すぐ戻る」


 ……しかし。


 その言葉が守られることはなかった。


 眠っているリリアーナの顔を見たアレクシスが、あまりにも愛おしそうに微笑んでしまったからである。


「……可愛いな」


 小さな寝息。


 柔らかな頬。


 ぬいぐるみを握る小さな手。


「本当に、可愛い」


 アレクシスはしばらく、その場から動かなかった。


 そして。


「……あと少しだけ」


 そう呟いて、椅子に腰を下ろしたのだった。


     ◇


 翌朝。


 私は、いつもより少し早く目を覚ました。


「……あぅ」


 窓から差し込む朝日が眩しい。


 私は小さな手を伸ばした。


 昨日、感じた不思議な温かさ。


 あれは、夢だったのだろうか。


 それとも、本当に魔力だったのだろうか。


 ……分からない。


 でも。


 もし、私に力があるのなら。


 それを使って、家族を守りたい。


 私は小さな拳を握った。


 そして、心の中で宣言した。


 ――婚約者候補なんて、聞いてません!


 でも、未来を変えるためなら、何だって頑張ります!


 お父様。


 お母様。


 お兄様。


 どうか、待っていてください。


 今はまだ、何もできない赤ちゃんだけれど。


 いつか必ず。


 私が、みんなを守れるくらい強くなってみせます!


 ……まずは。


 寝返りの練習から、ですけどね。


 私は小さく身体をひねった。


 右へ。


 もう少し。


 あと少し……!


「……んんっ!」


 ころん。


 身体が、ほんの少しだけ横を向いた。


 ――できた!?


 私は目を輝かせた。


 すると。


「まあ! リリア様!」


 ちょうど部屋に入ってきたマリアが、驚いた声を上げた。


「今、ご自分で身体を動かされましたね!」


「あぅ!」


「すごいです!」


 マリアは嬉しそうに笑った。


「奥様にもお知らせしなくては!」


 ……えっ。


 ちょっと待って。


 そんな大騒ぎにしなくても。


「奥様ー!」


 マリアの声が廊下に響く。


 私は小さくため息をついた。


 ……どうやら。


 私の小さな一歩は、今日も公爵家を大騒ぎにしてしまうらしい。


 でも。


 それも、悪くないかもしれない。


 だって。


 この家族の笑顔を守るためなら。


 私は、何度だって頑張れるのだから。


 ――赤ちゃん悪役令嬢リリアーナの未来改変計画。


 その第一歩は、こうして始まったのだった。

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