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『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第1章「私、悪役令嬢になるはずだったんですけど!?」

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第5節 絶対に、この家族を守ってみせる!

――赤ちゃんにできることって、何だろう。


 私は朝から、真剣に悩んでいた。


「……うー」


 柔らかな寝台の上で、小さな拳を握りしめる。


 前世では、ごく普通の大人だった私。


 仕事をして、買い物をして、好きな乙女ゲームを楽しんでいた。


 それなのに、今は自分で寝返りを打つことさえ難しい。


 ……人生って、本当に何が起こるか分からない。


「リリア様、おはようございます」


 侍女のマリアが、いつものように部屋へ入ってきた。


「今日もよく眠れましたか?」


「あぅ」


「まあ、元気なお返事ですね」


 マリアは優しく微笑みながら、私を抱き上げた。


「今日は奥様が、お部屋で一緒に過ごしたいとおっしゃっていますよ」


 お母様と一緒。


 それは嬉しい。


 でも、私は昨日の出来事が気になって仕方なかった。


 東門付近に現れた、不審な人物。


 お父様が受け取った、黒い封蝋の手紙。


 そして、ゲームには存在しなかった不吉な予告。


『春が終わる前に、災いが訪れる』


 ……やっぱり、何かがおかしい。


 ゲームの物語が始まるのは、私が成長してからのはず。


 それなのに、もう誰かが公爵家を狙っている。


 しかも、私の存在を警戒しているような気配まである。


 もちろん、私はまだ何も知らない。


 でも。


 何もしないまま、家族が危険にさらされるのを待つなんて嫌だ。


「……ん!」


 私は小さな拳を持ち上げた。


「ふふっ。リリア様、今日も元気いっぱいですね」


 マリアは嬉しそうに笑う。


 ……そう見えるなら、それでいい。


 今はまだ、私の考えを知られるわけにはいかない。


 だって。


 赤ちゃんが突然、家族を狙う陰謀について語り始めたら。


 絶対に大騒ぎになるもの。


     ◇


「リリア!」


 お母様の部屋に入ると、柔らかな声が迎えてくれた。


「今日も可愛いわね」


「あー」


「ふふっ。お母様に会えて嬉しい?」


 もちろんです。


 私は小さな手を伸ばした。


 お母様は嬉しそうに私を抱きしめる。


「まあ、甘えん坊さんね」


 ……違います。


 いえ、少しはそうかもしれませんけれど。


 お母様の腕の中は、とても安心するのだ。


「今日はね、リリアに新しいお洋服を用意したのよ」


 お母様が指さした先には、色とりどりの小さなドレスが並んでいた。


 白。


 淡い桃色。


 薄紫。


 そして、柔らかな水色。


 ……多くないですか?


「どれがいいかしら?」


 お母様は楽しそうに尋ねた。


「リリアは、どの色が好き?」


「……あぅ」


 私は目をぱちぱちさせた。


 まさか、赤ちゃんに服を選ばせるとは。


 でも。


 せっかく聞いてくれたのだから、選んでみよう。


 私は薄紫のドレスに向かって、小さな手を伸ばした。


「あら!」


 お母様が目を輝かせた。


「この色がいいの?」


「うー!」


「まあ、素敵!」


 お母様は嬉しそうに笑った。


「私も、この色が一番似合うと思っていたのよ」


 ……本当ですか?


 何だか、どれを選んでも同じことを言ってくれそうな気がする。


「マリア、このドレスにしましょう」


「かしこまりました、奥様」


 マリアが微笑む。


「リリア様は、もうご自分のお好みがあるのですね」


 ……あります。


 中身は大人ですから。


 もちろん、口には出せないけれど。


     ◇


 その日の昼前。


 お母様の部屋に、お兄様がやってきた。


「母上! リリアはいますか?」


「ええ。ここにいるわよ」


「リリア!」


 お兄様は私を見るなり、嬉しそうに駆け寄ってきた。


「今日は紫色なんだね!」


「あぅ!」


「すごく似合ってる!」


 お兄様は満面の笑みを浮かべた。


「母上、僕もリリアに何か贈りたいです」


「あら、何を?」


「えっと……」


 お兄様は少し考え込んだ。


「ぬいぐるみ!」


「ふふっ。いいわね」


「僕が選んできます!」


 ……お兄様。


 そんなに張り切らなくても。


 でも、嬉しい。


 この家族は、本当に私を大切にしてくれている。


 だからこそ。


 絶対に守りたい。


 そのときだった。


「奥様」


 扉の向こうから、執事長の声が聞こえた。


「少々、よろしいでしょうか」


「どうぞ」


 執事長が部屋へ入ってきた。


 いつもと変わらない落ち着いた表情。


 けれど、その目にはわずかな緊張があった。


「旦那様より、ご伝言がございます」


「何かしら?」


「本日、王都より使者が参ります」


「王都から?」


 お母様が少し驚いたように尋ねた。


「ええ。王宮からの正式な使者とのことです」


 ――王宮。


 その言葉を聞いた瞬間、私は固まった。


 王宮。


 王太子。


 ユリウス・アストレア。


 ゲームの中で、私の婚約者になる人物。


 そして、私の処刑に関わることになる人物だ。


 ……まさか。


 もう、婚約の話が始まるの?


 いやいや。


 まだ赤ちゃんですよ?


 早すぎませんか!?


「……うー!」


 私は思わず声を上げた。


「リリア?」


 お母様が驚いたように私を見る。


「どうしたの?」


「うぅ!」


 私は必死に首を動かした。


 嫌です!


 婚約は嫌です!


 少なくとも、今は!


「まあ、どうしたのかしら」


 お母様が困ったように微笑む。


「眠くなったの?」


 違います!


 人生の危機を感じているんです!


 ……もちろん、伝わらない。


 私は小さくため息をついた。


     ◇


 午後になると、屋敷の空気が少し慌ただしくなった。


 廊下を行き交う使用人たち。


 玄関付近に並ぶ騎士。


 そして、普段よりも厳重な警備。


 どうやら、王宮からの使者が到着するらしい。


「リリア、今日は少し静かにしていましょうね」


 お母様が私を抱きながら言った。


「あぅ」


「お父様がお客様とお話ししているから、邪魔をしてはいけないのよ」


 ……分かっています。


 でも。


 気になる。


 ものすごく気になる。


 王宮からの使者。


 謎の手紙。


 公爵家を監視していた人物。


 もしかして、全部つながっているのだろうか。


 私は必死に考えた。


 ゲームの知識では、リリアーナが赤ちゃんの頃に王宮の使者が訪れたという話はなかった。


 けれど。


 そもそも、幼少期の描写は少なかった。


 つまり、知らないだけかもしれない。


 ……そう考えると。


 ゲームの知識だけを頼りにするのは、危険なのでは?


「……むぅ」


 私は眉を寄せた。


「リリア?」


 お母様が顔を覗き込む。


「難しいお顔をして、どうしたの?」


「あー」


「ふふっ。何か考え事?」


 ……はい。


 かなり重大なことを考えています。


 でも、今はまだ言えません。


     ◇


 夕方。


 王宮からの使者が帰ったあと、お父様がお母様の部屋を訪れた。


「セレーナ」


「あなた。お疲れ様でした」


「ああ」


 お父様は少し疲れた様子だった。


 けれど、私を見ると表情が柔らかくなる。


「リリア」


「あぅ!」


「今日も元気だな」


 お父様は私を抱き上げた。


「会いたかったぞ」


 ……お父様。


 朝も会いましたよね?


「あなた」


 お母様が微笑む。


「王宮からの使者は、何のお話だったの?」


 その瞬間。


 お父様の表情が、わずかに引き締まった。


「……王家からの知らせだ」


「知らせ?」


「ああ」


 お父様は少し間を置いた。


「近いうちに、王宮で大きな式典が開かれるそうだ」


「まあ」


 お母様が驚いたように目を見開く。


「それは、何の式典なの?」


「王太子殿下の正式なお披露目だ」


 ――えっ。


 私は固まった。


 王太子ユリウス。


 その名前が、頭の中に浮かぶ。


 ゲームでは、リリアーナとユリウスが初めて出会うのは、もっと成長してからだった。


 少なくとも、私が知っているシナリオでは。


 ……まさか。


 こんなに早く、王太子と関わることになるの?


「公爵家にも招待状が届くそうだ」


 お父様は続けた。


「だが、リリアはまだ幼い。無理に連れていく必要はないだろう」


 ……そうです!


 お父様!


 その判断、大正解です!


「そうね」


 お母様も頷いた。


「リリアには、まだ早いわ」


 よかった。


 私は心の中で胸を撫で下ろした。


 けれど。


 お父様は、さらに言葉を続けた。


「ただ……」


「ただ?」


「王家から、もう一つ話があった」


 お母様が首を傾げる。


「何かしら?」


 お父様は、私を見つめた。


 その瞳には、複雑な感情が浮かんでいた。


「……リリアについてだ」


 ――え?


 私は思わず目を見開いた。


 私?


 どうして?


 まだ、生まれたばかりなのに?


「王家が、リリアに?」


 お母様も驚いている。


「ああ」


 お父様は静かに頷いた。


「王太子殿下の将来の婚約者候補として、名前が挙がっているらしい」


 …………。


 …………え?


 私は、完全に固まった。


 婚約者候補。


 王太子。


 ユリウス。


 処刑。


 破滅。


 頭の中で、嫌な言葉が次々と浮かんでくる。


 ――ちょっと待ってください!


 早い!


 早すぎます!


 まだ赤ちゃんなんですけど!?


「……うぎゃあああっ!」


 私は思わず、大きな声で泣き出してしまった。


「リリア!?」


 お父様が慌てる。


「どうした!?」


「まあ、リリア!」


 お母様も驚いて駆け寄ってきた。


「お腹が空いたのかしら?」


「いや、眠いのかもしれない!」


「あなた、落ち着いて」


 ……違います!


 婚約が嫌なんです!


 破滅フラグなんです!


 でも、もちろん伝わらない。


「リリア、大丈夫だ」


 お父様は私を優しく抱きしめた。


「怖いことは何もないぞ」


 ……あります!


 ものすごくあります!


「お父様が守るからな」


 その言葉に、私は少しだけ泣きやんだ。


 お父様の腕は、温かかった。


 安心できる。


 でも。


 だからこそ。


 私は絶対に、この人を失いたくない。


「……うぅ」


 私はお父様の服を握りしめた。


 そして、心の中で叫んだ。


 ――絶対に、婚約なんてしません!


 少なくとも、ゲームと同じ未来には進みません!


     ◇


 その夜。


 私は寝台の中で、今日の出来事を思い返していた。


 王宮からの使者。


 王太子のお披露目。


 そして、婚約者候補の話。


 ……やっぱり。


 私の知っている未来と、少しずつ違っている。


 ゲームでは、リリアーナが王太子の婚約者になるのは、もう少し成長してからだったはず。


 それなのに、今から候補に挙がっているなんて。


 どうして?


 もしかして。


 私が転生したことで、何かが変わったのだろうか。


 それとも。


 最初から、ゲームでは描かれていなかっただけ?


 分からない。


 でも、一つだけ確かなことがある。


 ――未来は、まだ決まっていない。


 私は小さな手を握りしめた。


 赤ちゃんだから、できることは少ない。


 でも。


 泣くことはできる。


 笑うこともできる。


 家族に気持ちを伝えようとすることもできる。


 だったら。


 今は、それで十分なのかもしれない。


「……ん!」


 私は小さく頷いた。


 まずは、家族との絆を深める。


 そして、少しずつ言葉を覚える。


 歩けるようになったら、もっと行動できる。


 魔法が使える世界なら、魔法だって覚えたい。


 やれることは、きっとたくさんある。


 ……時間は、まだあるはず。


 そう思ったときだった。


 扉の向こうから、静かな声が聞こえてきた。


「旦那様」


 執事長の声だった。


「例の件ですが……」


「……何か分かったか?」


 お父様の声が続く。


「はい。東門付近で発見された人物について、少しだけ情報が入りました」


 私は息を呑んだ。


 ――昨日の不審者!


「何者だった?」


「まだ身元は分かりません。ただ……」


 執事長は一度、言葉を切った。


「王都の紋章商に、似た印を扱った記録があるそうです」


「……あの封蝋の紋章か?」


「はい」


 私は目を見開いた。


 やっぱり。


 あの手紙と、不審者は関係がある。


「誰が注文した?」


「それが……記録には、依頼人の名前が残っておりませんでした」


「……そうか」


 お父様の声が低くなる。


「引き続き調べろ。ただし、無理に動くな」


「かしこまりました」


 足音が遠ざかっていく。


 私は、暗い天井を見つめた。


 王家からの婚約者候補の話。


 謎の手紙。


 公爵家を監視する人物。


 ……偶然なのだろうか。


 それとも。


 すべてが、どこかでつながっているのだろうか。


 私はまだ、その答えを知らない。


 けれど。


 ゲームのシナリオにはなかった出来事が、次々と起こっている。


 そして、その中心には――。


 どうやら、私がいるらしい。


「……うぅ」


 私は小さく息を吐いた。


 赤ちゃんから人生をやり直せるなら、もっとのんびり過ごせると思っていた。


 お母様に甘えて。


 お父様に抱っこされて。


 お兄様と遊んで。


 少しずつ成長して。


 そうやって、幸せな毎日を送れるはずだった。


 なのに。


 どうして、こんなに早く破滅フラグが近づいてくるの!?


 ……でも。


 逃げるわけにはいかない。


 私は、もう決めている。


 家族を守る。


 自分も幸せになる。


 そして、誰も悲しませない未来を選ぶ。


「……あぅ!」


 小さな声が、静かな寝室に響いた。


 もちろん、誰にも意味は伝わらない。


 それでも。


 私にとっては、大切な宣言だった。


 ――悪役令嬢には、絶対になりません!


 王太子との婚約だって、簡単には受け入れません!


 そして。


 私の家族を狙う人がいるのなら。


 いつか必ず、その正体を突き止めてみせます!


 ……まあ。


 まずは、一人で寝返りを打てるようになるところからですけどね。


 私は小さくため息をついた。


 前途多難。


 まさに、その言葉がぴったりだった。


 けれど、窓の外には優しい月明かりが差し込んでいる。


 屋敷のどこかには、お父様がいる。


 お母様も、お兄様もいる。


 大切な家族が、すぐそばにいる。


 それだけで、私はもう一度頑張れる気がした。


 ――その頃。


 王都の一角にある、薄暗い部屋。


 黒い外套をまとった人物が、机の前に膝をついていた。


「報告いたします」


 低い声が響く。


「アルヴェルディ公爵家の第二子は、現在も屋敷内で保護されております」


「……そうか」


 机の向こうから、別の声が返ってきた。


「公爵は?」


「警備を強化しております。こちらの動きを警戒しているようです」


「当然だろう」


 その人物は、小さく笑った。


「アレクシス・フォン・アルヴェルディは、愚かな男ではない」


「では、今後はどういたしましょう?」


「しばらく様子を見ろ」


「……よろしいのですか?」


「ああ」


 机の向こうの人物は、静かに言った。


「まだ、あの子が本当に『そうなのか』は分からない」


「……承知しました」


 黒い外套の人物が頭を下げる。


 すると、机の向こうから、最後の命令が下された。


「ただし、王家の動きには注意しろ」


「王家、ですか?」


「そうだ」


 低い声が続く。


「もし、あの子が王太子に近づくようなことがあれば……」


 そこで、言葉が途切れた。


 しばらくの沈黙。


 そして。


「そのときは、計画を早める」


 窓の外で、風が吹いた。


 黒い雲が月を隠す。


 誰にも知られないまま。


 リリアーナを取り巻く運命は、少しずつ動き始めていた。


 けれど、当の本人はまだ知らない。


 自分の存在が、王家と謎の人物たちの思惑に巻き込まれ始めていることを。


 そして――。


 王太子ユリウスとの出会いが、ゲームで決められていた未来を大きく変えることになるなど、今はまだ想像もしていなかった。


 赤ちゃん悪役令嬢リリアーナの、未来を変えるための挑戦は。


 まだ、始まったばかりだった。

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