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『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第1章「私、悪役令嬢になるはずだったんですけど!?」

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第4節 私の知っている未来と、少し違う?

――おかしい。


 絶対に、おかしい。


 私は朝から、ずっと同じことを考えていた。


「……うー」


 柔らかな寝台の上で、小さな手を握りしめる。


 私の名前は、リリアーナ・フォン・アルヴェルディ。


 乙女ゲーム『聖女の恋と運命の王子』に登場する、悪役令嬢だ。


 将来、王太子ユリウスの婚約者となり、聖女候補を虐めた罪で処刑される。


 そして、大切な家族まで破滅させてしまう。


 そんな最悪の未来を知っている私は、赤ちゃんのうちから運命を変えようと決意した。


 ……決意したのだけれど。


「……あぅ」


 どうにも気になることがある。


 昨夜、お父様が受け取っていた謎の手紙。


『春が終わる前に、災いが訪れる』


 そんな不吉な言葉が書かれていたらしい。


 しかも、お父様は手紙を燃やすよう命じていた。


 あれはいったい、何だったのだろう。


 ゲームの記憶を探ってみても、そんな出来事は出てこない。


 そもそも、私が知っているリリアーナの幼少期は、もっと静かなものだった。


 公爵家の令嬢として何不自由なく育ち、厳しい教育を受け、やがて王太子の婚約者になる。


 それが、ゲームで語られていた過去だ。


 なのに。


 今の私は、家族からこれでもかというほど愛されている。


 お父様は毎日のように私を抱きしめ、お母様は優しく微笑み、お兄様は隙あらば会いに来る。


 ……いや、溺愛されるのは嬉しいんですけどね?


 問題は、そこではない。


 ゲームと違う出来事が、すでに起こっていることだ。


「リリア様、お目覚めですか?」


 考え込んでいると、侍女のマリアが部屋に入ってきた。


「おはようございます。今日も可愛らしいですね」


「あぅ」


「まあ、元気なお返事!」


 マリアは嬉しそうに笑い、私を抱き上げた。


「今日は奥様と一緒に、お庭で過ごしましょうね」


 お庭!


 それは、いいかもしれない。


 屋敷の中にいるだけでは、分からないこともある。


 少しでも周囲の様子を知っておきたい。


「きゃう!」


「ふふっ。そんなに嬉しいのですか?」


 マリアは私の頬を優しく撫でた。


「リリア様は、本当に表情が豊かですね」


 ……中身は大人ですから。


 とは、もちろん言えない。


     ◇


 公爵家の庭園には、色とりどりの花が咲いていた。


 白い石畳の小道。


 美しく整えられた生け垣。


 中央には噴水があり、澄んだ水が陽光を反射している。


「リリア、見てごらんなさい」


 お母様が私を抱きながら、花壇を指さした。


「今年も月鈴花が咲いたのよ」


「あー」


「ふふっ。綺麗でしょう?」


 白く小さな花が、春風に揺れている。


 確か、月鈴花は夜になると淡く光る花だったはず。


 ゲームにも登場していた。


 主人公と王太子が、夜の庭園で月鈴花を眺めるイベントがあったのだ。


 ……あれ?


 私は、ふと考えた。


 ゲームに登場する花は、ちゃんとこの世界にも存在している。


 公爵家も、王国も、登場人物も同じ。


 それなのに、どうして出来事だけが違うのだろう。


「母上!」


 そのとき、元気な声が聞こえた。


 振り向くと、お兄様がこちらへ走ってくる。


「レオンハルト。そんなに急いでどうしたの?」


「リリアが庭にいるって聞いたから!」


 お兄様は私を見るなり、満面の笑みを浮かべた。


「リリア! おはよう!」


「あぅ!」


「今、僕に返事したよね!?」


「ええ。きっとそうね」


「やっぱり!」


 お兄様は嬉しそうに笑った。


「母上、僕もリリアを抱っこしていい?」


「椅子に座ってからね」


「はい!」


 お兄様はすぐに椅子へ座った。


 お母様が慎重に私を渡す。


「リリア、今日は僕が庭を案内してあげるよ」


「うー」


「ほら、あそこに小さな噴水があるだろう?」


 お兄様が指さす。


「昔、僕もあそこで遊んだんだ」


「まあ。あなたは噴水に落ちたこともあったわね」


「母上!」


 お兄様の顔が真っ赤になった。


「それは言わないでください!」


「ふふっ。まだ五歳だったかしら」


「もう忘れてください!」


 私は思わず笑いそうになった。


 ……お兄様にも、そんな時代があったんですね。


 ゲームでは冷静沈着な次期公爵として登場していたのに。


 目の前にいるお兄様は、年相応の可愛らしい少年だ。


 私が小さく声を出すと、お兄様が顔を近づけた。


「リリア、笑った?」


「あぅ!」


「母上! リリアが僕を見て笑った!」


「よかったわね」


「僕、もっと頑張ります!」


 ……何を頑張るのでしょうか。


 少しだけ心配になった。


 でも。


 こうして家族と過ごしていると、本当に幸せだと思う。


 だからこそ。


 この時間を失いたくない。


     ◇


 しばらくすると、庭園の入口から執事長が姿を現した。


「奥様、少々よろしいでしょうか」


「どうしたの?」


「旦那様より、ご伝言がございます」


 執事長は私たちを一度見回してから、声を落とした。


「本日より、屋敷の警備を強化するとのことです」


「……警備を?」


 お母様の表情がわずかに変わった。


「何かあったのかしら」


「詳しいことは、旦那様から直接お話しになるそうです」


「そう……分かったわ」


 私は、お兄様の腕の中で固まった。


 ――やっぱり。


 昨夜の手紙と関係がある。


「母上?」


 お兄様が尋ねた。


「何かあったのですか?」


「大丈夫よ、レオンハルト」


 お母様は穏やかに微笑んだ。


「お父様が、私たちを守るために考えてくださっているの」


「……そうですか」


 お兄様は少し考え込んだ。


 そして、私を見下ろす。


「だったら、僕もリリアを守ります」


「まあ」


「僕は兄ですから!」


 その言葉に、お母様が嬉しそうに笑った。


「頼もしいわね」


 私はお兄様を見つめた。


 まだ十歳なのに。


 こんな小さな妹を守ろうとしてくれている。


 ……でも、お兄様。


 私だって、あなたを守りたいんです。


「うー!」


 私は小さな手を伸ばした。


「どうしたの、リリア?」


 お兄様が顔を近づける。


 私は、その頬に触れようとした。


 けれど。


 腕が短すぎて届かない。


「んー!」


「リリア?」


「んんっ!」


 もう少し!


 あとちょっと!


「あっ」


 お兄様が気づいたように、さらに顔を近づけてくれた。


 私の手が、ぺたりと頬に触れる。


「……!」


 お兄様が固まった。


「母上……」


「どうしたの?」


「リリアが……僕の頬を……」


 お兄様の目が潤み始めた。


「僕、絶対にこの子を守ります!」


「ふふっ。さっきも言っていたわよ」


 ……うん。


 何だか、余計に決意を固めさせてしまったらしい。


     ◇


 その日の夕方。


 私は、お父様の執務室へ連れてこられていた。


 もちろん、自分で来たわけではない。


 お父様が「仕事の合間にリリアの顔が見たい」と言い出したらしい。


 ……お父様。


 本当にお仕事は大丈夫ですか?


「リリア!」


 私が部屋へ入るなり、お父様は立ち上がった。


「今日も元気そうだな」


「あぅ!」


「そうかそうか。お父様に会えて嬉しいか」


 ……まあ。


 嬉しくないわけではありませんけれど。


「旦那様、お仕事がまだ残っております」


 執事長が控えめに告げる。


「分かっている」


「先ほどから同じ書類をご覧になっておりますが」


「確認しているだけだ」


「三度目の確認でございます」


「……念入りな確認は大切だ」


 執事長が小さくため息をついた。


 私は思った。


 ――この屋敷で一番苦労しているのは、執事長かもしれない。


 お父様は私を抱き上げると、窓際の長椅子へ移動した。


「リリア。今日は庭で遊んだそうだな」


「あー」


「レオンハルトが自慢していたぞ。お前が頬に触れてくれたと」


 ……もう報告されている。


「私にもしてくれるか?」


「……」


 お父様。


 それは、お願いすることなのでしょうか。


「リリア?」


 少しだけ期待に満ちた目で見つめてくる。


 私は迷った。


 けれど――。


「うー」


 小さな手を伸ばす。


 お父様の頬に、ぺたりと触れた。


「…………」


 お父様が固まった。


 そして。


「……今日は、もう仕事を終わりにしよう」


「旦那様」


 執事長の声が低くなった。


「冗談だ」


 ……絶対、半分くらい本気でしたよね?


 そんなことを考えていると。


 ふと、机の上に置かれた書類が目に入った。


 何枚もの報告書。


 封筒。


 そして――。


 黒い封蝋の欠片。


「……!」


 私は思わず目を見開いた。


 あれは。


 昨夜の手紙と同じものだ。


 お父様は手紙を燃やすよう命じていたはず。


 なのに、どうして封蝋だけが残っているのだろう。


「リリア?」


 お父様が私の顔を覗き込む。


「どうした?」


「……う」


 私は机の方へ手を伸ばした。


「何か気になるのか?」


「あー!」


 あれです!


 あの黒いもの!


 ……と言いたいのに、言葉にならない。


 お父様は私の視線を追った。


 そして、机の上の封蝋に気づいた瞬間。


 表情を硬くした。


「……なるほど」


 お父様は小さく呟いた。


「執事長」


「はい」


「これを片づけておいてくれ」


「かしこまりました」


 執事長はすぐに封蝋の欠片を布で包んだ。


 私はそれを目で追った。


 ――やっぱり、何かある。


 お父様が隠そうとしている。


 でも、どうして?


「リリア」


 お父様の声が、いつもより優しくなった。


「お前は、何も心配しなくていい」


「……」


「お父様が、必ず守る」


 その言葉に、胸がきゅっと締めつけられた。


 私は知っている。


 ゲームの未来では。


 お父様は、最後までリリアーナを守ろうとしていた。


 けれど、その願いは叶わなかった。


 公爵家は没落し。


 家族は引き裂かれた。


 だからこそ。


 今度は、私が守りたい。


「……うぅ」


 私はお父様の服を握った。


「どうした、リリア?」


「……と」


「ん?」


 私は必死に口を動かす。


 まだ、上手に話せない。


 それでも。


 伝えたかった。


「……とぉ……」


 お父様の目が見開かれた。


「……リリア?」


「……とぉ、しゃ……」


 言えない。


 思うように舌が動かない。


 でも。


「……とぉ!」


 精いっぱい声を出した。


 すると――。


「…………!」


 お父様が、完全に動きを止めた。


「執事長」


「はい」


「今のを聞いたか?」


「……はい」


「リリアが……私を……」


「旦那様、落ち着いてくださいませ」


「落ち着いていられるか!」


 お父様の声が、執務室に響いた。


「リリアが、私を呼んだのだぞ!」


 ……あの。


 お父様。


 たぶん、まだちゃんと言えていません。


「素晴らしい……!」


 お父様は私を抱きしめた。


「リリア! もう一度言ってくれるか?」


「……あぅ」


「……そうか。恥ずかしいのだな」


 違います。


 疲れたんです。


 赤ちゃんの発声練習って、想像以上に大変なんですよ。


 私は小さく息を吐いた。


 けれど。


 お父様があまりにも嬉しそうだったから。


 私も、つられて笑ってしまった。


     ◇


 その夜。


 公爵家の屋敷は、いつもより静かだった。


 廊下を歩く使用人の数が増え。


 窓の外には、巡回する騎士たちの姿が見える。


 やっぱり。


 何かが起こっている。


 私は寝台の中で、天井を見つめていた。


 黒い封蝋。


 謎の紋章。


 不吉な手紙。


 そして、警備の強化。


 すべてがつながっている気がする。


 でも。


 私はまだ、何も知らない。


「……むぅ」


 悔しい。


 前世の知識があっても。


 ゲームの未来を知っていても。


 赤ちゃんの身体では、できることが限られている。


 ……だけど。


 だからといって、諦めるつもりはない。


 今は小さなことしかできなくても。


 いつか必ず。


 家族を守れるようになってみせる。


 そう決意したときだった。


 ――コン、コン。


 控えめなノックの音が響いた。


「失礼します」


 マリアが扉を開ける。


 その後ろにいたのは――。


「リリアは、もう眠ったか?」


 お父様だった。


「旦那様。まだ起きていらっしゃいます」


「そうか」


 お父様は静かに近づいてきた。


 そして、私の顔を覗き込む。


「リリア」


「……あぅ」


「まだ起きていたのか」


 お父様は小さく笑った。


「今日は、よく頑張ったな」


 ……何のことでしょう。


 もしかして、発声練習?


「お前が私を呼んでくれて、本当に嬉しかった」


 お父様の声は、昼間よりずっと穏やかだった。


「……私は、良い父親になれているだろうか」


 その言葉に、私は驚いた。


 お父様が、そんなことを気にしているなんて。


「レオンハルトが生まれたときも、私は何をすればいいのか分からなかった」


 お父様は苦笑した。


「父親というものは、もっと立派でなければならないと思っていた」


 そして、私の小さな手を握る。


「だが……お前たちを見ていると、そんなことはどうでもよくなる」


 ……お父様。


「ただ、幸せでいてほしい」


 その声は、とても優しかった。


「それだけなのだ」


 私は胸がいっぱいになった。


 ゲームでは、冷酷公爵と呼ばれていた人。


 誰よりも厳しく、誰よりも恐ろしいとされていた人。


 でも、本当は。


 こんなにも家族を愛している。


「……う」


 私は小さな手で、お父様の指を握った。


「リリア?」


「……あぅ」


 大丈夫。


 お父様。


 私は、幸せです。


 だから。


 お父様も、幸せになってください。


 もちろん、言葉にはならない。


 それでも。


 お父様は何かを感じ取ったように、微笑んだ。


「……ありがとう、リリア」


 そのときだった。


 廊下の向こうから、足早な靴音が聞こえてきた。


「旦那様!」


 騎士の声だった。


 お父様の表情が、一瞬で変わる。


「どうした?」


「東門付近で、不審な人物を発見しました」


「……何?」


 私は息を呑んだ。


「侵入者か?」


「いえ。門の外に立っていたところを見つけました。しかし、こちらが声をかける前に姿を消しました」


「追跡は?」


「現在、騎士たちが周辺を捜索しております」


 お父様は静かに頷いた。


「警備をさらに強化しろ。使用人たちにも注意を促せ」


「はっ!」


 騎士が去っていく。


 お父様はしばらく扉を見つめていた。


 そして、私へ視線を戻す。


「……リリア」


 その声には、わずかな緊張が混じっていた。


「お前には、何も起こさせない」


 私はお父様を見つめ返した。


 ――やっぱり。


 何かが始まっている。


 ゲームにはなかった出来事。


 知らない人物。


 知らない陰謀。


 もしかしたら。


 私が知っている未来は、もう当てにならないのかもしれない。


 けれど。


 だからこそ。


 私は自分の力で、未来を変えなければならない。


「……ん!」


 小さな拳を握りしめた。


 お父様が、少しだけ笑った。


「頼もしいな、リリア」


 ……はい。


 お父様。


 私は、絶対に負けません。


 たとえ相手が誰であっても。


 この家族を傷つけようとするなら。


 私が必ず、守ってみせます。


     ◇


 その夜。


 アルヴェルディ公爵邸の東門から少し離れた森の中。


 黒い外套をまとった人物が、静かに屋敷を見つめていた。


「……なるほど」


 低い声が漏れる。


「警備を強化したか」


 その人物は、懐から小さな紙片を取り出した。


 そこには、短い文章が記されていた。


『アルヴェルディ公爵家の第二子について、引き続き監視せよ』


 黒い外套の人物は、紙片を握りつぶした。


「まだ、生まれたばかりの赤子だというのに……」


 そして、小さく笑う。


「……あの方は、何を恐れておられるのだろうな」


 月明かりが、黒い外套を照らした。


 その胸元には――。


 昨夜の手紙と同じ、奇妙な紋章が刻まれていた。


 しかし。


 屋敷の中で眠りについたリリアーナは、まだ知らない。


 自分が転生したその瞬間から。


 誰かが、自分の存在を警戒していたことを。


 そして――。


 悪役令嬢として処刑されるはずだった未来の裏側には、ゲームでは語られなかった秘密が隠されていることを。


 運命の歯車は、すでに動き始めていた。


 けれど、リリアーナはまだ赤ちゃん。


 立つことも、歩くこともできない。


 それでも。


 大切な家族を守りたいという想いだけは、誰にも負けなかった。


 こうして――。


 赤ちゃん悪役令嬢リリアーナの、未来を変えるための戦いが、静かに幕を開けたのだった。

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