第3節 赤ちゃんでも、未来を変えられます!
――このままでは、何も変えられない。
リリアーナ・フォン・アルヴェルディとして生まれ変わってから、数日。
私は、ひとつの結論にたどり着いていた。
「……ばぶ」
柔らかなベッドの上で、私は小さな拳を握りしめた。
目の前には、私を覗き込む侍女の姿。
「まあ、お嬢様。本日もご機嫌ですね」
「……」
違う。
ご機嫌なんじゃない。
私は今、とても真剣に考えている。
前世の私は、普通の大人だった。
乙女ゲームの内容だって覚えている。
リリアーナが将来、王太子の婚約者になることも。
聖女が現れることも。
そして、最後にはリリアーナが悪役令嬢として断罪されることも。
さらに、その後。
アルヴェルディ公爵家まで没落する。
父も、母も、兄も。
全員が苦しむ未来が待っている。
「……絶対に、そんな未来にはしない」
もちろん、口から出たのは。
「ばぁ……」
だけだった。
「まあ!」
侍女が嬉しそうに笑う。
「お嬢様、今日はいつもよりたくさんお話しされますね」
「……」
私は思わず遠い目をした。
違う。
そうじゃない。
私は未来について話しているの。
未来。
ミ・ラ・イ。
……でも。
赤ちゃんの私は、まだ何もできない。
歩けない。
文字も書けない。
魔法も使えない。
そして何より――。
「……ばぶ」
自分の声が赤ちゃんすぎる。
これでは誰にも事情を説明できない。
私は小さな手を握りしめた。
ならば。
できることから始めるしかない。
「まずは……」
私は頭の中で計画を立て始めた。
一。
悪役令嬢にならない。
二。
聖女を虐めない。
三。
王太子に必要以上に近づかない。
四。
公爵家を守る。
五。
黒幕がいるなら、早いうちに見つける。
「……完璧」
自分では完璧な計画だと思った。
しかし――。
「お嬢様?」
「……」
侍女が首を傾げている。
どうやら私の表情を見ているらしい。
「何かお考えですか?」
「ばぶ!」
「まあ、可愛い!」
……。
計画その一。
意思疎通。
これは、まだ先になりそうだった。
その日の午後。
私は母のセレーナに抱かれて、庭へ出ていた。
「今日は良い天気ですね、リリア」
「……」
春の柔らかな風が頬を撫でる。
庭には色とりどりの花が咲いていた。
前世では見たことのない花も多い。
「ほら、見てちょうだい。あれは王都でも珍しい花なのよ」
「……きれい」
思わず呟く。
「まあ……!」
母が目を輝かせた。
「今、何か言ったわね?」
「あ……」
しまった。
今のは普通に言葉が出た。
「き、きれい……」
「リリア!」
母が私をぎゅっと抱きしめる。
「今、ちゃんと話したわ!」
「……」
これは使えるかもしれない。
「お……かあ……さま」
「……!」
母の目が大きく見開かれる。
「もう一度……」
「おかあさま」
まだたどたどしい。
けれど、確かに言葉になった。
「リリア……!」
母は目に涙を浮かべた。
「まあ……なんて賢い子なの……!」
「……」
私は困ってしまった。
ただ意思疎通したかっただけなのに。
母の感動がすごい。
「旦那様にもお知らせしなくては!」
「……待って」
「リリアが初めてお話しされたんですもの!」
「……ばぶ」
違う。
できれば秘密にしたい。
私が転生者だと知られるわけにはいかない。
けれど、母は嬉しそうに侍女へ命じた。
「すぐに旦那様を呼んで!」
「かしこまりました!」
嫌な予感がする。
そして、その予感は的中した。
「リリア!」
庭に父が現れた。
「本当に話したのか?」
「はい、旦那様」
父は私を見る。
「何を話した?」
「おかあさま」
「……!」
父の表情が固まった。
次の瞬間。
「私も!」
「……え?」
「私のことも呼んでくれ!」
「……」
私は父をじっと見た。
ゲームでは冷酷公爵。
王国でも恐れられる存在。
そんな人物が。
今は、娘に名前を呼んでほしくてそわそわしている。
「……おとうさま」
「……!」
父の目が潤んだ。
「リリア……」
ものすごく感動している。
「私は今、世界で一番幸せな父親だ」
「……」
そこまで?
私は少し呆れながらも、胸の奥が温かくなった。
この人たちは、本当に私を大切にしてくれている。
だからこそ。
私はこの家族を守りたい。
「おとうさま」
「なんだ?」
「おかあさま」
「ええ」
私は二人の顔を見た。
そして、ゆっくりと言葉を続ける。
「……ずっと、一緒」
父と母が黙った。
「……リリア?」
「ずっと一緒にいる」
今の私に言える精一杯の言葉だった。
ゲームでは。
この家族は私のせいで壊れてしまう。
でも。
そんな未来は絶対に認めない。
私は小さな手を握った。
「……絶対」
父が私の手を包み込む。
「もちろんだ」
母も私の頬に口づける。
「ずっと一緒よ」
「……!」
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥がじんと熱くなった。
私は知っている。
この世界には、私がまだ知らない危険がある。
ゲームのストーリーだけでは説明できないことも起こるかもしれない。
それでも。
今は一歩ずつ進むしかない。
その夜。
私はベッドの上で一人、目を閉じずに考えていた。
「まずは……情報収集」
赤ちゃんの身体では、自由に動けない。
ならば。
周囲の大人たちの会話を聞けばいい。
ゲームには登場しなかった人物。
公爵家の領地。
王都の情勢。
そして――。
未来の事件。
「何か、手がかりがあるはず」
私は耳を澄ました。
すると、廊下から声が聞こえてきた。
「旦那様、例の件ですが……」
「……ああ」
父の声だった。
私は目を見開く。
「まだ公爵家に届いているのか?」
「はい。差出人は、今回も不明です」
「そうか……」
何の話?
私は息を潜めた。
「内容は?」
「前回と同じです」
侍女が声を落とす。
「――『春が終わる前に、災いが訪れる』と」
「……!」
背筋がぞくりとした。
そんなイベント。
ゲームにはなかった。
「燃やしておけ」
「よろしいのですか?」
「ああ。リリアには絶対に知らせるな」
足音が遠ざかっていく。
私は布団の中で固まった。
「……何、それ」
ゲームにない。
私が知っている未来にもない。
それなのに。
この世界では、すでに何かが動き始めている。
私は小さな手を握った。
「……待って」
これは、もしかすると。
私が知っているゲームの未来とは、最初から違うのではないだろうか。
ならば――。
私は、もっと早く動かなければならない。
「私が……家族を守る」
赤ちゃんの小さな声は、誰にも届かなかった。
けれど。
その瞬間から。
リリアーナの人生は、ゲームのシナリオから大きく外れ始めていた。




