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『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第4章 未来の婚約者と出会いました

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第9節 小さな手紙と、白灯花を知る人

 目を覚ますと、私は自分の寝台にいた。


 薄い掛け布の上へ、片手が出ている。

 その手を動かしてから、隣を見た。


 椅子に座ったマリアが、繕い物から顔を上げた。


「お目覚めですか、リリア様」


「……おとうさまは?」


「書斎へお戻りになりました。お寝台へ移るとき、お声をかけてくださいましたよ」


 私は少し考えた。


 抱き上げられたような。

 誰かに返事をしたような。


 けれど、はっきり覚えていない。


「リリア、おへんじ、しましたか?」


「はい。『ねてません』と」


 私は掛け布を見下ろした。


 それは、たぶん、寝ていた人の返事だ。


 マリアが小さく笑い、私の背中へ手を添えた。


「お水を召し上がったら、お手紙のご用意をしましょうか」


 私は顔を上げた。


 青い花のこと。

 川にする布のこと。


 殿下へ伝えたいことを、まだ覚えている。


「はい。きょう、書きます」


     ◇


 机には、お母様が座ってくれた。


 私は隣の椅子へ座り、紙を見つめる。

 お兄様は絵を描く道具を持ってきてくれた。


「何から、お伝えしましょうか?」


 お母様に尋ねられ、私は少し考えた。


「青いお花、近くで見ました」


 お母様のペンが動く。


「思ったより、小さかったです」


 そこまで言って、私は窓辺の絵を見た。


 青い小鳥。

 殿下と描いた花。


「でも、いっぱい、ありました」


「ええ」


「でんかが、すきなの、わかりました」


 お母様が微笑んだ。


 文字になっていくと、自分が言ったことなのに、少し立派に見える。


 私は机の端へ指を置いた。


「それから、川のぬの。出せます」


「畳むことも、できたんだよね」


 お兄様が言う。


 私は頷いた。


「おとうさまも、たたみました」


「それも書く?」


 尋ねられて、私は少し迷った。


 お父様が布の端を引っ張りすぎたこと。

 みんなで畳み直したこと。


 思い出すと、また笑いたくなる。


「……書きます」


 お母様は楽しそうに続きを記してくれた。


     ◇


 最後には、私が描いた小さな花を添えることにした。


 紙を一枚もらい、青い色を選ぶ。


 丸を描いて、その周りへ花びらをつけた。

 二つ目は、少し大きくなった。


 三つ目を描こうとしたところで、手が止まる。


「どうしたの?」


 お兄様が覗き込んだ。


「ちっちゃいの、むずかしいです」


 庭の花は、もっと小さかった。


 でも、同じくらいに描こうとすると、私の指では青い点になってしまう。


「絵本の花も、大きく描いてあったでしょう」


 お母様が言った。


「よく見てもらうために、大きくしてもよいのですよ」


 私は紙と、お母様を見比べた。


「お花も、よく見えますか?」


「ええ。リリアが花びらまで見たことも、分かります」


 私はもう一つ、花を描いた。


 今度は大きさを直さず、そのままにする。


 隣へ、小さな緑の葉を二枚。


「できました」


 お兄様が、紙の向きを変えて見てくれた。


「殿下も喜ぶと思うよ」


 私は嬉しくなって、花の横へもう一枚、葉を足した。


 それから、封筒へ入れるところまで見せてもらった。


 お母様が宛名を書き、私の方へ向けてくれる。


「こちらは、ユリウス殿下へ」


 私は頷いた。


 怖いことを話した日にも、こんな手紙を書ける。


 封筒がマリアの手へ渡るのを見ながら、私は机の上に残った青い色を、箱へ戻した。


     ◇


 白灯花について、新しい話を聞けたのは、それから五日後だった。


 朝食のあと、お父様が私たちへ言った。


「今日の午後、施療院で薬草園の世話をしていた方が来てくださる」


 私は杯を置いた。


「お花、知ってる人ですか?」


「ああ。昔、屋敷から届いた白灯花を育てたことがあるそうだ」


 私はお母様を見た。


 お母様も、静かに頷いている。


「もう、おやめになった方なのですよね?」


「ああ。今は王都で、ご家族と暮らしておられる。こちらの問い合わせを、施療院から伝えてもらえた」


 お父様が私を見る。


「少しなら、一緒に話を聞ける。ただし、途中で疲れたら知らせること」


「はい」


 返事をしてから、私は慌てて付け足した。


「お花の絵、ありますか?」


「持ってきてくださるそうだ」


 私は膝の上で両手を握った。


 ようやく、本当の白灯花を見られる。


 絵の中だけでも、今度は想像ではない花を。


     ◇


 午後の客間へ来たのは、灰色の髪を後ろでまとめた、小柄な女性だった。


「ハンナと申します」


 丁寧に頭を下げてから、私たちを見た。


 お父様とお母様が挨拶をする。

 お兄様も、姿勢を正して名乗った。


 私はお母様の隣で、膝の上の手を揃えた。


「リリアーナです。お花のこと、教えてください」


 ハンナさんの目元が、柔らかくなった。


「はい。私の覚えていることでよろしければ」


 卓上へ、布に包んだ本が置かれた。


 角が擦れている。

 開くと、紙の端に、細い茶色の染みがあった。


「これは、当時の私の控えです。施療院の正式な帳面とは別に、世話の仕方を忘れないよう、絵も残しておりました」


 ハンナさんが、頁を探す。


 私は身を乗り出しかけて、お母様の手に気づいた。


 膝の上へ添えられた、温かい手。


 座り直して待っていると、本の向きをこちらへ変えてくれた。


「この花です」


 白い花びら。

 その下に、細長い葉。


 私が描いた丸い花とは、ずいぶん違っていた。


「……ほそいです」


「花びらの先が、少し尖っておりますでしょう」


 私は頷いた。


 月鈴花とは、やはり別の姿をしている。


 名前を聞いただけでは、分からなかったことだった。


     ◇


「屋敷から届いたときのことは、覚えていらっしゃいますか?」


 お父様が尋ねた。


「ええ。珍しい花でしたので。鉢は一つでしたが、根元から新しい芽が幾つか出ておりました」


 お父様が紙へ書き留める。


「では、届いたのは、切り分けた小さな苗ではなかったのですね」


「私が受け取ったときには、よく育った株でした。まず、そのまま置き場所に慣らしてから、株を分けております」


 私はお兄様を見た。


 お兄様も、少し考える顔をしていた。


 根が落ち着いてから、施療院へ分けてほしい。


 薬草商に頼まれた伝言と、少しずつつながっていく。


「どなたからの依頼だったかは、聞いておられますか?」


 お母様の問いに、ハンナさんは首を横に振った。


「そこまでは。私は届いた鉢を育てるよう、当時の管理者から申しつかっただけでしたので」


「そうですか。ありがとうございます」


 お母様が頷く。


 ハンナさんは、本の端を押さえた。


「ただ、公爵家では、かなり気を配って育ててくださったのだと思います。長く運ぶと葉が傷みやすい花なのですが、枯れた葉は少のうございました」


 私は絵へ目を戻した。


 昔、この家の誰かが、同じ細い葉を見ていた。


 水をやって。

 置き場所を変えて。


 私の知らない時間が、花のそばにあったのだ。


     ◇


「いまも、いますか?」


 思わず尋ねると、ハンナさんがこちらを見た。


「白灯花ですか?」


「はい。せりょういんに」


「私が勤めを終えるまでは、育っておりました。今回、お話をいただいて尋ねましたら、今も株を残しているそうです」


 私は顔を上げた。


「ありますか?」


「ええ。季節によっては花がなく、葉だけになりますけれど」


 胸の中へ、温かいものが広がった。


 なくなっていなかった。


 古い帳面の中だけに、残った名前ではなかった。


「同じ、お花ですか?」


「最初の株から分けて、育て続けてきたものだそうですよ」


 私はお母様の袖を、そっとつまんだ。


 お母様が私を見る。


「よかったわね」


「……はい」


 ハンナさんは本を少し戻し、別の小さな絵を示した。


 鉢が二つ並んでいる。

 その下には、日付と短い文章。


「増えたときの記録です。なかなか新しい芽を出さない年もあって、二鉢になったときは嬉しゅうございました」


 絵の横に、丸い染みがついていた。


「ここは?」


 私が尋ねると、ハンナさんは少し困ったように笑った。


「水をこぼしました」


 私は瞬いた。


 こんなに丁寧な本にも、失敗の跡がある。


「だいじな、ところです」


「ええ。乾かしてから、読めなくなった文字を書き直しました」


 その答えに、私はもう一度、染みを見た。


 失敗しても、本は捨てられなかった。

 花の世話も、そこで終わらなかった。


     ◇


 話の途中で、私は一度だけ、黒い指輪を思い出した。


 けれど、ハンナさんの手元をじっと探すことはしなかった。


 今日ここへ来てくれたのは、花を育てた話をするためだ。


 お父様が尋ね、お母様が確かめている。


 私は、今見せてもらっている頁へ目を戻した。


「白灯花って、光りますか?」


 ハンナさんが、少し首を傾げた。


「光る、とは?」


「くらいところで……ぴかって」


 王妃様の銀の飾りを思い出していた。


 月の曲線の中央に、星。

 白い石。


 あの光と、この花に関わりがあるのかは、まだ分からない。


「私が世話をしていたあいだに、花が自ら光るのを見たことはございません。ただ、夕方になると花びらが開いて、白さがよく目立ちます」


 私は頷いた。


 光る花ではない。

 少なくとも、ハンナさんは見ていない。


 そのことも、覚えておこうと思った。


     ◇


 やがて、お父様が本の写しを取らせてほしいと頼んだ。


 ハンナさんは頷き、花の描かれた頁へ、細い紙を挟んだ。


 私はその手を見ながら、少しだけ身体を動かした。


 座り続けていた足が、重くなっている。


 まだ聞きたい。

 でも、さっきから背中も丸くなっていた。


「おかあさま」


 袖を引くと、お母様がすぐに顔を寄せてくれた。


「どうしました?」


「すこし、お休みします」


 お母様は頷いた。


 お父様も、話を止めてこちらを見る。


「分かった。あとの話は、私たちが聞いておく」


 私はハンナさんへ向き直った。


「ありがとうございました。お花、あって、うれしいです」


 ハンナさんは、本から手を離した。


「私も、覚えていてくださる方がおられて、嬉しゅうございます」


 私は小さく頭を下げた。


 マリアに手を引いてもらい、椅子を下りる。


 お兄様も一緒に立とうとしたので、私は首を横に振った。


「おにいさま、きいてて、いいです」


「でも」


「あとで、教えてください」


 お兄様は私を見て、それから頷いた。


「うん。ちゃんと覚えておく」


     ◇


 客間を出ると、廊下は静かだった。


 私はマリアの手を握り、ゆっくり歩いた。


「リリア様。お疲れになりましたか?」


「ちょっとです」


「では、少し横になりましょう」


 私は頷いた。


 今日は、本当の白灯花の形を知った。

 施療院で、今も育っていることも。


 昔の鉢そのものではなくても、そこから分かれた花が残っている。


 部屋へ戻ると、マリアが上着を脱がせてくれた。


 長椅子へ座り、足を上げる。


 私は窓辺の絵を見た。


「マリア」


「はい」


「白灯花も、いつか、見たいです」


「ご覧になれるか、お父様たちにご相談しましょうね」


 私は頷いた。


 今すぐ行かなければ、と立ち上がる気持ちにはならなかった。


 客間には、続きを聞いてくれる人たちがいる。

 あとで教えてくれるお兄様もいる。


 私は掛けてもらった布の端を、胸元まで引き上げた。


 次にあの絵へ白灯花を描くときは、細い花びらにしよう。


 そのことを忘れないよう、小さく指を動かしてから、私は目を閉じた。

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