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『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第4章 未来の婚約者と出会いました

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第8節 青い花のそばで、はじめて言えたこと

 翌朝、私は玄関の椅子で、靴を履かせてもらっていた。


 マリアが留め具を確かめるあいだ、膝の上で両手を揃える。


 お兄様は、もう支度を終えていた。

 扉のそばで待ちながら、外の様子を見ている。


「風は、つめたいですか?」


「少しだけ。歩けば、ちょうどよいと思うよ」


 お兄様が振り返った。


 私は頷いて、椅子から下りようとする。


「リリア様、こちらを」


 マリアが、薄い上着を広げて待っていた。


「きています」


「ええ。もう一枚です」


 私は自分の服を見下ろした。


 ちゃんと袖もある。

 首元も、寒くない。


 けれど、マリアの手には、私の上着がある。


 お兄様が口元を緩めた。


「途中で暑くなったら、脱いで預けよう」


 それなら、と私は腕を伸ばした。


 着せてもらい、今度こそ椅子を下りる。


「お待たせしました」


「うん。行こうか」


 差し出された手へ、自分の手を重ねた。


     ◇


 庭の道には、まだ朝の湿り気が残っていた。


 日陰の石が、少し濃い色になっている。


 私は踏む場所を見ながら、お兄様の隣を歩いた。

 マリアは、少し後ろからついてきてくれる。


 青い花は、思っていたより低いところに咲いていた。


 殿下と歩いたときにも見ていたはずなのに、近づくと、ほとんど足元だ。


「ここだね」


 お兄様が立ち止まる。


 私は頷いて、膝を曲げようとした。


「待って。こっちの石の上は滑りそうだよ」


 お兄様が乾いた場所へ移り、先に屈む。


 私はその肩へ手を置いて、ゆっくりしゃがんだ。


 すぐそばに、青い花があった。


 絵本で見たものより、ずっと小さい。

 細い茎が、風に合わせて揺れている。


「……ちっちゃいです」


「うん」


「でんか、よく、見つけました」


 私が見せようとしていた大きな花は、ここからでもよく見える。


 でも、この花を見るには、足を止めなければならない。


 お兄様が、花壇の縁を指さした。


「ここをずっと並んで咲いているんだね」


 私は青い点々を目で追った。


 石のそばから、少し先の木陰まで。


 殿下が、楽しそうだと言ったのを思い出す。


 確かに、一つだけで咲いているより、賑やかに見えた。


     ◇


 しばらく眺めてから、近くの長椅子へ移った。


 マリアが座面を確かめ、私を座らせてくれる。


 お兄様も隣へ腰を下ろした。


 私の足は、地面へ届かない。

 靴の先を揃え、膝の上へ手を置く。


「殿下に、お手紙を書く?」


 お兄様が尋ねた。


「お花、見ましたって?」


「そう。近くで見ると小さかった、とか」


 私は頷いた。


 書いてもらいたいことが、一つできた。


 けれど、そのことを考えているうちに、昨日のお父様の声も思い出した。


 話せることができたら、そのとき教えてくれ。


 私は、膝の上の指を見つめた。


「おにいさま」


「何?」


 顔を上げると、お兄様は、もうこちらを見ていた。


 言葉を探す。

 昨日より、少しだけ先を。


「こわいもの、ありますか?」


 お兄様はすぐには答えなかった。


 少し考えてから、頷く。


「あるよ」


「おばけ?」


「お化けも、急に出てきたら驚くと思う」


 私は目を瞬いた。


 お兄様でも、驚くのだ。


「でも、今、一番に思いついたのは、リリアが階段から落ちそうになることかな」


「……おちてません」


「うん。だから、落ちないように手をつなぐ」


 お兄様が、私の隣へ手を置いた。


「怖いと思ったら、できることをするんだ」


 私は、その手を見た。


 昨日も、こうして待っていてくれた。


 すぐに握って、うまく話せないことを隠してしまいたくなる。


 けれど今日は、先に声を出した。


「リリアは……みんなが、いなくなるの、こわいです」


 お兄様の指が、少し動いた。


 私は膝を見つめたまま、続けた。


「おとうさまと、おかあさまと。おにいさまも、マリアも」


「うん」


「朝、いなくて……もう、会えないの」


 喉が狭くなった。


 ゲームの中のリリアーナが、どんな気持ちで家族を失ったのかは分からない。


 画面の向こうで読んでいたときは、次の場面へ進むこともできた。


 でも、今は違う。


 お父様が帰ってくる足音を知っている。

 お母様の膝が温かいことも。

 お兄様が、私に合わせてゆっくり歩いてくれることも。


 なくなってよいものなんて、一つもない。


「黒い、ゆびわ……」


 言った瞬間、胸が詰まった。


 私は息を吸い直した。


「思い出すと、そうなる気が、します」


     ◇


 お兄様は、花壇を一度見てから、私の方へ身体を向けた。


「その指輪を見ると、家族に何かある気がするんだね」


 私は頷いた。


 お兄様の顔を見るのが、少し怖かった。


 どうして、と聞かれたら。

 そんなはずはない、と笑われたら。


 けれど、お兄様は笑わなかった。


「話してくれて、ありがとう」


 その一言に、目の奥が熱くなった。


「へん、ですか?」


「僕には、まだ分からないところがある。でも、リリアが怖がっているのは分かったよ」


 お兄様が手を差し出す。


 私は今度こそ、その手を握った。


「父上と母上にも、今のことを伝えてよい?」


 私は唇を結んだ。


 全部話すことは、まだできない。


 でも、昨日のお父様は待ってくれた。

 お母様も、一緒に考えようと言ってくれた。


「……いっしょに、です」


「うん。一緒に話そう」


「マリアも」


「はい。私も、ご一緒します」


 すぐそばで声がした。


 顔を上げると、マリアが屈んでいた。


 差し出された布で、目の下をそっと押さえてくれる。


 泣くつもりは、なかったのだけれど。


「お鼻も、よろしいですか?」


 私は小さく頷いた。


 大事なお話の途中でも、鼻は出るらしい。


     ◇


 お父様は書斎にいた。


 マリアが先に話を通してくれたので、私たちが着いたときには、お母様も来ていた。


 机の上には、私が描いた鉢の絵がある。


 大切な書類の横に置かれているのが見えて、少しだけ胸が温かくなった。


「庭は、寒くなかったか?」


 お父様の問いに、私は首を横に振る。


「お花、見ました」


「そうか」


 お父様は立ち上がり、長椅子の方へ来てくれた。


 お母様の隣に私。

 反対側には、お兄様。


 マリアも、見えるところにいてくれる。


 私はお兄様の手を握ったまま、さっき話したことを、少しずつ繰り返した。


 黒い指輪を思い出すと、家族がいなくなる気がすること。


 何かある前に、気をつけてほしいこと。


 途中で言葉が止まったところは、お兄様が確かめながら手伝ってくれた。


 お父様は、最後まで聞いていた。


「それで、指輪の持ち主を気にしていたのだな」


 私は頷いた。


「お花を、持ってた人と……同じかは、わかりません」


「ああ。そのことは、分けて考えよう」


 お父様が、静かに答える。


 私は、お母様の袖をつまんだ。


「でも、おとうさまたちに、気をつけて、ほしいです」


「分かった」


 返事は、はっきりしていた。


 お父様は、私の目の高さへ顔を寄せた。


「王宮への出入りについては、今も確認を進めている。屋敷へ来る者も、これまでどおり確かめる。何か気になるものを見つけたら、リリアから近づかず、私たちに知らせてくれ」


「はい」


「家族を守るために、リリアが一人でその人物を探す必要はない」


 私は目を伏せた。


 もし見つけたら、目を離さないようにしよう。

 何をするのか、確かめよう。


 心のどこかで、そう考えていたのかもしれない。


 お母様の手が、私の肩を包んだ。


「私たちにも、リリアを守らせてくださいね」


 私はお母様を見上げた。


 その顔を見ているうちに、また涙が出そうになった。


「……はい」


 今度は、ちゃんと返事ができた。


     ◇


 少し落ち着いてから、お父様が尋ねた。


「指輪の色は、黒なのだな?」


「はい」


「形については、描けそうか?」


 私は考えた。


 暗い画面。

 そこに見えた、紋章のある指輪。


 覚えているはずなのに、細かな線を思い出そうとすると、曖昧になる。


「くろくて……しるし、あります」


「うん」


「でも、線は……まちがうかも、しれません」


 お父様は頷き、小さな紙を手元へ置いた。


「では、今確かなことだけ、書いておこう」


 黒い色。

 紋章がある。

 細部は、まだはっきりしない。


 お父様のペンが動く。


 私は、それを見ていた。


 全部思い出せなければ、話してはいけないと思っていた。

 理由を説明できなければ、聞いてもらえない気もしていた。


 けれど、目の前の紙には、今の私が言えたことだけが並んでいる。


「今日は、ここまででよいか?」


 お父様に聞かれ、私は頷いた。


「はい。きょうは、ここです」


「分かった」


 お父様は紙を丁寧に揃えた。


 そして、少し迷うように私を見た。


「抱いてもよいか?」


 私は驚いてから、両手を伸ばした。


     ◇


 お父様の腕の中は、いつもと同じだった。


 上着の布が、頬に少し硬い。

 胸に耳を寄せると、静かな音がする。


 私はそこへ、しばらくくっついていた。


「……おしごと、ありますか?」


「あるが、このくらいの時間は取れる」


 お父様が私の背中を撫でる。


 お母様が、袖口から出ていた私の手を温めてくれた。


 お兄様は隣で、庭の花の話をしている。


「絵本より小さかったんです。リリアが、殿下はよく見つけたと言っていました」


「それは、お手紙に書いてお伝えしたいわね」


 お母様が微笑む。


 私はお父様の肩から顔を上げた。


「はい。書きます」


「今、用意しましょうか?」


 マリアに尋ねられ、私は少し考えた。


 泣いたせいか、目が重い。

 指先にも、もう力があまり入らなかった。


「あとで、です」


「では、お休みのあとに」


 私は頷いた。


 殿下への手紙には、青い花を近くで見たことを書こう。

 川の布を、自分で出せるようになったことも。


 黒い指輪については、まだ分からないことが多い。


 それでも、私が何を怖がっているのか、家族はもう知っている。


「おとうさま」


「どうした?」


「おろすとき、言ってください」


 お父様の腕に、少しだけ力がこもった。


「ああ。黙ってどこかへ行ったりはしない」


 私は安心して、頬を戻した。


 目を閉じる前に、お兄様の指が、私の手へそっと触れた。


 握り返すと、同じ強さで返ってくる。


 その手を離さず、私は少しだけ、眠ることにした。

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