↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第3章 家族を守るために、魔法を覚えます!

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/35

第6節 小さな手にも、お手伝い

お兄様の描いた月鈴花は、昨日よりも少しだけ大人びて見えた。


 白い花びら。

 その奥にある、細い月の曲線。

 曲線の内側に、小さな星。


 机の上に広げられた紙を、お父様とお兄様が並んで見つめている。


 私は少し離れた椅子で、お母様に抱かれていた。


「こちらの線は、もう少し短かったと思います」


 お兄様が、鉛筆の先を紙の上で止めた。


「どの線だ?」


「星の下です。花びらの影と重なって、昨日は長く見えたのですが」


 お父様はすぐに直すようには言わなかった。


 一度窓辺へ行き、月鈴花を見てから戻ってくる。


「確かに、途中から影になっているな」


「では、ここまでで……」


「そうだな。ただ、見えにくかったことも書き添えておこう」


 お兄様は頷いて、紙の隅に小さな文字を書いた。


 ……なるほど。


 分からないところは、分からないまま残してもいい。


 私は膝の上で指を動かした。


 前の人生では、答えを出せないことが、何となく恥ずかしかった気がする。


 分かりませんと言うよりも。

 多分こうだろうと、無理に話をまとめたくなることがあった。


 けれど、お父様は違った。


 見えているものを確かめて。

 見えていないところは、無理に描き足さない。


 その隣で、お兄様も真剣に花を見ている。


「これで、王妃殿下にも分かるでしょうか」


「ああ。少なくとも、私の説明だけよりずっと伝わる」


 お父様が答えると、お兄様の肩が少し下がった。


 ずっと力が入っていたらしい。


 ……お疲れさまです、お兄様。


 できることなら、温かいお茶でもお持ちしたいところですが。


 今の私が持てるのは、布と、皆さんの指くらいです。


「リリアも、お兄様が気になるのね」


 お母様が私の顔を覗き込んだ。


「もう少しで終わるそうよ」


 私はお兄様に向かって、腕を伸ばした。


「あぅ」


 お兄様が、すぐに顔を上げる。


「どうしたの、リリア」


「応援しているのかもしれないわ」


「僕を?」


 お母様が頷くと、お兄様は少し照れたように笑った。


「じゃあ、もう少しだけ頑張るね」


 ……はい。


 でも、その前に一度、背中を伸ばしてください。


 さっきから、ずっと丸くなっていますよ。


     ◇


 清書が終わったあと、お父様は二枚の紙を机に並べた。


 一枚は、花全体を描いたもの。

 もう一枚は、中心の紋様を大きく写したものだった。


「どうして、二枚にするのですか?」


 お兄様が尋ねる。


「細かな形だけでは、花のどこにあるのか分からないだろう。両方あれば、見比べやすい」


「……あ。本当だ」


 お兄様は二枚を交互に見た。


「僕が最初に描いた絵も、役に立ちますか?」


「もちろんだ。この花を知らない方にも、姿を伝えられる」


 お父様は少し考えてから、花全体の絵の下へ説明を書き添えた。


 私は文字を読もうとして、目を細めた。


 ……遠いです。


 お母様の腕からでは、細かい文字までは見えません。


 それでも、最後に書かれた名前だけは、お父様が声に出してくれた。


「写しを作った者の名前も、入れておこう。レオンハルト、と」


「僕の名前を?」


「ああ。お前が描いたものだからな」


「でも、父上にも手伝っていただきました」


「では、私が確認したことも書こう」


 お父様のペンが、もう一度動く。


 お兄様は、その手元をじっと見ていた。


 嬉しそうで。

 少し、くすぐったそうでもある。


 私は自分のことのように、胸が弾んだ。


 ただ褒められるだけではなくて。

 自分のしたことが、ちゃんと形になって残る。


 お兄様はきっと、今日のことを長く覚えているのだろう。


「リリアにも、見せてあげてください」


 お兄様が言った。


「最初に見せると、約束したので」


 ……覚えていてくれたんですね。


 お父様はインクが乾いたのを確かめてから、紙を持ち上げた。


「これが、お兄様の仕事だ」


 お母様が私を抱き直してくれる。


 近くなった紙には、細い線が丁寧に重ねられていた。


 月の曲線は、王妃様の飾りとよく似ている。


 けれど、星の周りの形は少し違った。

 飾りの方が整っていて、花の紋様には、わずかな揺らぎがある。


 ……同じでは、ないんですね。


 似ているからといって、一つのものだと決めてはいけない。


 お父様が何度も確かめていた理由が、少し分かった気がした。


「どうかな、リリア」


 お兄様が、そわそわしながら私を見る。


 私は紙へ手を伸ばしかけて、途中で止めた。


 つかんだら、くしゃくしゃにしてしまうかもしれない。


 それは困ります。


 この手は最近、つかむ方ばかり上達しているので。


 代わりに、お兄様の顔を見た。


「あぅ、う」


 上手です。

 とても、よく描けています。


 伝えたくて、もう一度声を出す。


 すると、お兄様が目を細めた。


「……うん。ありがとう」


 私の返事が分かったような顔だった。


     ◇


 紙を封筒に収めるころには、私は少し眠くなっていた。


 けれど、お父様の指先を見るのが面白くて、なかなか目を閉じられない。


 紙を折る。

 端を揃える。

 封筒へ滑り込ませる。


 私が両手を使ってもできないことを、お父様は静かに進めていく。


「リリアも、お手紙を出したい?」


 お母様に尋ねられ、私は顔を上げた。


 ……出したいです。


 王妃様へ。

 ユリウス殿下へ。


 気にかけてくださって、ありがとうございます。


 小鳥のお話も、覚えています。


 そう書けたら、どれほどいいだろう。


 けれど今の私は、ペンを持つことさえできない。


 お父様の手元へ伸ばしかけた腕が、ゆっくり下がった。


「父上」


 お兄様が、小さく言った。


「リリアからも、何か入れられませんか」


「何か、というと?」


「その……」


 お兄様は部屋を見回した。


 窓辺の花。

 棚の絵本。

 私のそばの黄色い布。


 最後の一枚に目を留めてから、困った顔になる。


「でも、お気に入りの布は、なくなると困りますよね」


 ……それは、少し困りますね。


 練習相手として、長くお付き合いいただく予定なので。


 お母様が笑いをこらえるように、口元へ手を添えた。


「物を入れなくても、伝えられることはあるわ」


「どんなことですか?」


「今日のリリアのことよ。よく眠って、お兄様の絵を見て、元気に声を出していたこと」


 お兄様が、私を見た。


「それを、お手紙に?」


「ええ。王妃殿下は、体調を気にかけてくださったでしょう」


 お父様も頷いた。


「では、最後に一言、書き添えよう」


 机へ戻りかけてから、お父様はこちらを振り返った。


「ただし、布をつかめるようになった話まで書くと、長くなりそうだな」


「書かないのですか?」


 お兄様が、少し残念そうな声を出す。


 お父様は真面目な顔で答えた。


「父様としては、そこを一番詳しくお伝えしたいのだが」


「あなた」


 お母様の声に、お父様が小さく咳払いをした。


「……手短にしておく」


 私はお母様の服を握った。


 お父様。


 王妃様へのお手紙で、娘の握力について長く語るのは、どうかお控えください。


 お気持ちは、とても嬉しいのですが。


     ◇


 手紙を託す前に、お父様はマリアへ声をかけた。


「花のことだが、屋敷で育て始めたころの記録が残っているか、庭師に確かめてもらえるか」


「かしこまりました。お部屋へ運ぶ前のことも、お尋ねいたしますか?」


「ああ。分かる範囲でいい。急がせる必要はない」


 私は顔を上げた。


 月鈴花が、この屋敷へ来たころ。


 そういえば、私は知らない。


 窓辺にあるのが当たり前になっていて、どうやってここへ来たのか、考えたことがなかった。


「ほかの月鈴花も、同じ模様なのでしょうか」


 お母様が尋ねる。


「それも確認したい。ただ、今ある鉢をあちこちへ動かすのは避けよう。まずは庭師の話を聞いてからだ」


「お花にも、分からないことがあるんですね」


 お兄様が窓辺を見る。


「毎日、見ていたのに」


「毎日見ているものでも、知らないことはある」


 お父様は、お兄様の肩に手を置いた。


「だから、今日気づいたことを大事にすればいい」


 私は花へ視線を移した。


 白い花は、変わらず静かに咲いている。


 今日は、光らない。


 それを少し残念に思いかけて、私は花びらの先を見た。


 お兄様の絵で、一枚だけ大きくなっていたところ。


 本物の花びらも、よく見ると、隣とまったく同じ形ではなかった。


 ……本当だ。


 光らなくても、見るところはたくさんある。


     ◇


 お父様が部屋を出たあと、私は寝台へ移された。


 マリアが掛け物を整え、お母様が額をそっと撫でる。


「今日は、よくお付き合いしてくれたわね」


「リリア様も、ご立派な見届け役でいらっしゃいました」


 マリアが微笑んだ。


 見届け役。


 なるほど。

 それなら、私にもできたかもしれない。


 私は眠い目で、お兄様を探した。


 すぐそばにいた。


 椅子へ腰を下ろし、何かを大事そうに膝へ載せている。


 清書する前の、練習の絵だった。


「これは、リリアのお部屋に置いてもいい?」


 お兄様が紙を見せてくれた。


「王妃殿下に送るものとは、少し違うけれど」


 鉛筆で迷った跡。

 何度も描き直した、小さな星。


 端には、花びらの練習が並んでいる。


 私はそちらへ手を伸ばした。


 もちろんです。


 むしろ、それがいいです。


「……気に入ってくれた?」


「あぅ」


「じゃあ、最初の絵の隣に飾るね」


 お兄様は立ち上がりかけた。


 その服の袖へ、私の指が触れる。


 柔らかな布が、指先に引っかかった。


 少しだけ、握る。


「リリア?」


 お兄様が振り返った。


 私は手を動かそうとした。


 けれど、うまく離れない。


 ……あ。


 つかめましたが。


 今度は、放す方が難しいです。


「大丈夫。引っ張らないから」


 お兄様はすぐに座り直した。


 袖が張らないよう、私の手の近くへ腕を置く。


「ゆっくりでいいよ」


 私は握った指を見た。


 開こうとすると、腕まで一緒に動いてしまう。

 力を抜こうと思うほど、なぜか指先が頑張ってしまう。


 ……違うんです。


 今は、そんなに頼もしくなくていいんです、私の手。


 お母様が隣で、静かに待っていた。


 マリアも、袖を引いて外そうとはしなかった。


 私は一度、お兄様の顔を見た。


 困っていないだろうか。


 けれど、お兄様は私の手元を見ながら、少し嬉しそうにしていた。


「僕は、ここにいるから」


 その声を聞いて、私は息を吐いた。


 指先が、ほんの少し緩む。


 布が滑った。


 もう少し。


 手を開こうとする。


 袖が、するりと抜けた。


「……できた」


 お兄様が、小さく言った。


 私は空になった手を見つめた。


 取れた。

 いえ、放せた。


 思っていたよりも、ずっと疲れるお仕事だった。


「自分で放せたわね」


 お母様が笑った。


 お兄様は袖を整えてから、もう一度その手を私のそばへ置いた。


「放しても、いなくならないよ」


 ……はい。


 分かっています。


 それでも、差し出された手がすぐそばにあるのは、嬉しかった。


 私は今度、つかまずに指先を触れさせた。


 お兄様の指が、そっと私の手の甲を撫でる。


「おやすみ、リリア。絵は、起きたら見えるところに置いておくね」


 私は小さく声を返した。


 王妃様へ向かう封筒の中には、お兄様の描いた月と星が入っている。


 私の部屋には、その練習の絵が残る。


 目を覚ましたら、二枚の月鈴花を見比べよう。

 今度は、葉の付け根もよく見たい。


 そんなことを考えているうちに、瞼がゆっくり下りてきた。


 眠る直前、お兄様が小声で尋ねるのが聞こえた。


「母上。袖をつかんだことも、父上に教えていいですか」


「ええ。でも、起きてからにしましょうね」


「はい。……父上も、見たがると思うので」


 ……お兄様。


 明日も同じことができるとは、限りませんよ。


 胸の中でそう返事をしながら、私は温かな掛け物の中へ頬を寄せた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。