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『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第3章 家族を守るために、魔法を覚えます!

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第4節 お返事は、急がなくていい

お父様が王妃様にお手紙を出してから、三日が過ぎた。


 その間に、私が覚えたことがある。


 手を伸ばしたからといって、必ず目当てのものに届くわけではない。


 ……ええ。


 考えてみれば、当然なのですが。


「もう少しですよ、リリア様」


 マリアが、私のそばに柔らかな布を置いてくれた。


 薄い黄色の、小さな布。


 端に丸い刺繍があり、ひらひら動かしてもらうと、つい目で追ってしまう。


 今日は、それを自分でつかもうとしていた。


 見える。


 欲しい。


 手を伸ばす。


 けれど、なぜか指先は布の少し横を通り過ぎる。


 ……そこじゃないです。


 そちらへ行ってほしいわけではないんです、私の右手。


「あぅ」


「はい。そこにございますね」


 マリアは布を私の手へ押しつけず、静かに待っていた。


 私はもう一度、腕を動かす。


 今度は指に触れた。


 触れたのに、握る前に手が離れてしまった。


 ……難しい。


 月鈴花と王家の飾りの関係を調べる前に、布一枚が大きな壁になるとは。


「マリア。つかめた?」


 扉から顔を出したお兄様が、小声で尋ねた。


「今、挑戦していらっしゃるところです」


「そうなんだ」


 お兄様は私のそばへ来ると、膝をついて顔を近づけた。


「リリア。僕も見ていていい?」


 私は声を返す代わりに、布へ手を伸ばした。


 今度こそ。


 指先で、柔らかな端を引っかける。


 手を閉じる。


 すると。


 黄色い布が、ほんの少し持ち上がった。


「……!」


 お兄様の口が開く。


 けれど、声は出なかった。


 私が驚かないようにしたのだと分かったのは、隣でマリアが微笑んだからだ。


 私は握ったものを確かめようと、手を動かした。


 布がついてくる。


 ……つかめた。


 自分で。


「できたね、リリア」


 お兄様が、ようやく小さく言った。


「ちゃんと、自分で取れたね」


「あぅ!」


 思わず声を上げた拍子に、手が開いた。


 布が、ふわりと落ちる。


 ……あ。


 私の成功は、とても短かった。


 けれど、お兄様は笑った。


「大丈夫。また取れるよ」


 その言い方が、あまりにも自然だったので。


 私は落ちた布を見つめ、もう一度手を伸ばしてみることにした。


     ◇


 王妃様からのお返事が届いたのは、その日の午後だった。


 私はお母様に抱かれ、お兄様に絵本を読んでもらっていた。


「それで、子ウサギは――」


 お兄様の声が止まる。


 部屋に入ってきたお父様の手に、封筒があったからだ。


「王妃殿下から、お返事をいただいた」


 胸が、どきりとした。


 銀色の飾り。


 光った白い石。


 あのことが、分かるのだろうか。


 私は思わず身じろぎした。


「リリアも、気になるのね」


 お母様が背中に手を添えてくれる。


 お父様は寝台の近くの椅子へ腰を下ろした。


「セレーナ。ここで読んでも構わないか」


「ええ」


「僕も、聞いていてよろしいですか?」


 お兄様が尋ねる。


 お父様は少し考えてから頷いた。


「聞いたことを、誰かに話す前には父様に相談してほしい。それでよければ」


「はい」


 お兄様は絵本を閉じ、膝の上に置いた。


 私も、できるだけ大人しくする。


 ……ちゃんと聞きます。


 途中でお腹が鳴ったら、それは仕方がないとして。


 お父様は封筒から便箋を取り出した。


「まず、リリアの体調を案じてくださっている。帰宅後に疲れが出なかったか、と」


「ありがたいことですわ」


「ユリウス殿下も、気にかけておられるそうだ」


 お兄様の顔が明るくなる。


「殿下が?」


「ああ。次に会えたときのために、小鳥の来る時間を侍女に尋ねていらっしゃるらしい」


 ……覚えていたんですね。


 窓の近くまで来る、小鳥。


 私にはまだ、会いに行く約束をすることもできない。


 それでも、あの男の子が楽しみにしているのだと思うと、胸の奥が少し温かくなった。


「そして、あの飾りのことだが」


 私は、お父様へ目を向けた。


「王妃殿下が、ご結婚の折に先代の王妃殿下から譲り受けたものだそうだ」


「王家に伝わるお品なのですね」


「そのようだ。ただ、いつ作られたものかまでは、ご存じないらしい」


 お父様は便箋に視線を落とす。


「白い石が光るところは、これまで一度もご覧になっていなかった、と」


 部屋が、少し静かになった。


 ……やっぱり。


 いつも光る飾りではなかったのだ。


 あの日。


 私が近づいたときに、初めて。


 お母様の腕に、わずかに力がこもった。


「では、あの場で驚かれたのは……」


「ああ。ただし、リリアが原因だと決まったわけではない」


 お父様は、そこで言葉を区切った。


「同じ部屋には、私たちもいた。光が差し込む窓もあった。分かっていることと、まだ分からないことは、分けて考えよう」


 ……そう、ですよね。


 私は自分の小さな手を見た。


 私が関係している。


 そう思う理由はある。


 胸が温かくなったことも。


 月鈴花と、似た紋様があったことも。


 けれど、それを誰にも説明できない今、お父様が慎重になるのは当然だった。


「王妃殿下は、何とおっしゃっているのですか?」


 お母様の問いに、お父様は便箋の続きを読んだ。


「由来を記したものが残っていないか、まずはご自身で確かめてくださるそうだ。リリアを連れてくる必要はない、とも」


 私は、お父様を見上げた。


「必要ならば、飾りの絵を送ってくださる。ただ、実物を使って同じことを試すのは、今は控えたい、と」


「……ええ。私も、そう思います」


 お母様が頷く。


 お兄様は、膝の上の絵本を見つめていた。


「光るかどうか、確かめなくていいのですか?」


 その声に、私も少しだけ耳を澄ませた。


 知りたい。


 もう一度見れば、何か分かるかもしれない。


 そんな気持ちは、私にもあった。


 けれど。


「何が起こるのか分からないうちに、試す必要はない」


 お父様は静かに答えた。


「リリアは、不思議なことを起こすためにいるのではないからな」


 ……あ。


 お父様の視線が、私へ向いた。


「まずは、元気に過ごしてくれればいい」


 私はお母様の服を握った。


 この家に生まれてから、何度も言われてきたこと。


 眠っていい。


 休んでいい。


 急がなくていい。


 その言葉が今日も、私の前に置かれる。


 謎よりも先に。


 王家の古い飾りよりも、先に。


     ◇


「もう一つ、お伝えしておこう」


 お父様が便箋をしまってから言った。


「以前、気になった指輪の人物についてだ」


 黒い紋章の指輪。


 私は息をひそめた。


 『月の守り手』なのか。


 それを確かめるため、お父様は王宮の警備について調べてもらっている。


「まだ、その人物を特定できたわけではない。ただ、当日の記録は確認を進めてもらっている」


「そうですか……」


 お母様が私の背中を撫でた。


「飾りの件と、関わりがあるのでしょうか」


「今は分からない。同じ王宮で起きたことだからといって、結びつけるのは早いだろう」


 お父様は、私たちを順に見た。


「こちらはこちらで、確かめる。必要のない人間にまで話を広げずにな」


 私は、小さく息を吐いた。


 まだ分からない。


 その返事は、もどかしい。


 けれど、何もかもが一度に同じ答えへ向かう方が、きっと不自然なのだ。


 月鈴花。


 王妃様の飾り。


 黒い指輪の人物。


 頭の中で並べてみても、今の私には、その間をつなぐ線が見えなかった。


「父上」


 お兄様が、そっと手を上げた。


「僕が、書いておいてもいいですか」


「何をだ?」


「分かったことです。まだ分からないことも、別にして」


 お父様が瞬きをした。


「忘れてしまったら、同じことを何度も考えてしまうので」


 ……お兄様。


 それは、とても助かります。


 私は今、紙もペンも持てない。


 記憶の中にしまうことしかできないから。


「そうだな」


 お父様は少し微笑んだ。


「では、後で一緒に整理しよう。ただし、その紙は父様の書斎で保管する」


「はい!」


 お兄様の返事が、少し大きくなった。


 すぐに私を見て、声を落とす。


「……ごめんね、リリア」


「あぅ」


 大丈夫です。


 むしろ、私も返事をしたかったところなので。


 お父様は立ち上がり、お兄様の肩に手を置いた。


「その前に、休憩だ。ずっと本を読んでいただろう」


「でも、まだ途中で」


「子ウサギも、少し待ってくれる」


 お母様が笑った。


「そうね。私たちも、お茶にしましょう」


     ◇


 お茶の時間が始まっても、私の頭の中には白い石が浮かんでいた。


 王妃様は、由来を調べてくださる。


 お父様は、警備の記録を確かめてくださる。


 お兄様は、分かったことを書いてくれる。


 ……私は?


 みんなに任せて、眠っているだけでいいのだろうか。


 そのとき、目の前を黄色いものが通った。


「リリア様。こちらをお探しですか?」


 マリアが、あの布を持っていた。


 私の視線が、ついそちらへ動く。


「さっき、自分でつかめたんです」


 お兄様がお父様へ教えた。


「ほんの少しでしたけど。持ち上げたんですよ」


「ほう」


 お父様が私を見る。


 期待の目。


 ……皆さん、そのお顔は。


 昨日も見ました。


 私は少し迷った。


 やってみたい。


 でも、つかめなかったら。


 そう思ったところで、お父様の方が先に視線を外した。


「マリア。リリアのそばに置いてやってくれ」


「かしこまりました」


「見せてもらうのは、取れたときでいい」


 お兄様も、はっとした顔になる。


 そして、私ではなくお茶の器へ向き直った。


「……うん。僕、お菓子をいただいていますね」


 あまりにも真剣な声だったので、笑いそうになった。


 見ていません。


 待ってもいません。


 そう言いたいのだろう。


 でも、お兄様。


 お菓子を持った手が、止まっていますよ。


 私は寝台の上の黄色い布を見た。


 近くにある。


 けれど、手の中にはない。


 自分で動かさなければ、届かない場所。


 ゆっくり、腕を伸ばす。


 指が布に触れた。


 少し滑る。


 私は手を閉じた。


 布の端が、指の間に収まる。


 今度は、急に動かさずに。


 ほんの少しだけ、腕を持ち上げた。


「……あ」


 お兄様の小さな声。


 お父様が顔を上げ、お母様が微笑む。


「できたのね」


 私は黄色い布を握ったまま、みんなを見た。


 たった、それだけのことだった。


 謎が解けたわけでも。


 破滅が遠ざかったと分かったわけでもない。


 それでも。


「上手だ、リリア」


 お父様が、嬉しそうに言った。


 お兄様はようやくお菓子をお皿へ戻し、私のそばに来た。


「今度は、長く持てているね」


「あぅ」


「うん。見てるよ」


 胸が、温かくなった。


 不思議な石の光とは違う。


 花の紋様とも関係のない、よく知っている温かさだった。


 私は布を動かそうとして、また手を開いてしまった。


 黄色が、ふわりと寝台に落ちる。


 お兄様はそれを拾いかけて、途中で手を止めた。


「……もう一度、やってみる?」


 私は落ちた布を見た。


 少し疲れた。


 でも、もう一度なら。


 指先を動かすと、お兄様が静かに隣へ座った。


「じゃあ、ここで待ってるね」


 窓辺には、今日も月鈴花が咲いている。


 まだ知らないことは、たくさんある。


 けれど今は、目の前の黄色い布へ。


 私は、自分の手を伸ばした。

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