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『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第3章 家族を守るために、魔法を覚えます!

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第3節 小さな手で伝えたいこと

王宮の廊下に出ても、私はお母様の肩越しに、後ろを振り返ろうとしていた。


 銀色の飾り。


 月のような曲線と、その中央にある星。


 そして、淡く光った白い石。


 ……やっぱり、見間違いじゃない。


 王妃様も、確かに驚いていた。


 あの飾りが何なのか、知っているのだ。


「リリア。そんなに体をひねったら、危ないわ」


 お母様が立ち止まり、私を抱き直した。


 柔らかなおくるみが、背中を包む。


「何か、気になるものがあったの?」


「あぅ……」


 あります。


 ものすごく、あります。


 私は小さな手を持ち上げた。


 けれど、部屋の扉はもう見えなくなっていた。


 指を伸ばしても、伝えたいものを指し示せない。


 ……こういうとき。


 言葉が話せたら、どれほどいいだろう。


 もどかしくなって、もう一度腕を伸ばす。


 すると、お父様が私の前に立った。


「リリア」


 低くて、静かな声。


 お父様は私の目を見つめ、それから、伸ばした手にそっと指を添えた。


「気になることは、父様も覚えている」


 ……え?


「だから、今は休もう」


 私は、お父様の顔を見上げた。


 いつもの優しい顔だった。


 けれど、その眼差しには、どこか確かなものがあった。


 もしかして。


 お父様も、気づいていたのだろうか。


 あの光に。


 王妃様の、あの表情に。


「帰りの馬車で眠ってもいい。屋敷に着いたら、静かに運ぶ」


 お父様の指が、私の手のひらに収まる。


 私は、その指を握った。


 ……分かりました。


 今は、少しだけ。


 お任せします。


     ◇


「リリアは、殿下と仲よくなれたね」


 馬車が動き始めると、お兄様が嬉しそうに言った。


 私はお母様に抱かれたまま、小さく声を返した。


「あぅ」


「殿下、最後にはとても楽しそうだった」


「ええ。レオンが遊び方を教えてくれたからね」


 お母様に言われ、お兄様は少しだけ胸を張った。


「リリアの好きなことなら、分かりますから」


 ……頼もしいです、お兄様。


 ただ、私の好きなことの中に、王宮の秘密を調べることが加わりそうなのですが。


 それについては、まだお伝えできません。


「でも」


 お兄様は膝の上で、ハンカチを畳み直した。


「殿下は、少し寂しそうでした」


「帰るときのことか?」


 お父様が尋ねる。


「はい。また会いたいと、おっしゃっていたので」


 お兄様は一度私を見て、それから、お父様へ向き直った。


「リリアが大きくなったら、また一緒に遊べますか」


 その言葉に、胸の奥が小さく揺れた。


 王太子との交流。


 ゲームの中では、破滅へ続いていた道。


 でも。


 今日の殿下は、私の手を見て「温かい」と言った。


 私が眠くなれば、遊ばせすぎたのではないかと心配してくれた。


 ……あの子を思い出すと。


 怖い、だけではなくなっている。


「それは、そのときに考えよう」


 お父様が答えた。


「リリアが元気で、会いたいと思えることが大切だ」


「……はい」


「今日、一度会ったからといって、次も必ず行かなければならないわけではない」


 お父様は、お兄様の頭に手を置いた。


「お前も同じだ、レオン」


「僕も、ですか?」


「ああ。王宮で何か困ったことがあれば、遠慮せずに言いなさい」


 お兄様は少し驚いた顔をした。


 それから、ぽつりと呟く。


「……最初の挨拶は、少し緊張しました」


「そうか」


「間違えたら、リリアまで困るかもしれないと思って」


 ……お兄様。


 そんなことまで考えていたんですか。


 私には何度も、大丈夫と言ってくれたのに。


「よく挨拶できていたぞ」


 お父様が言うと、お兄様の肩から、ふっと力が抜けた。


「本当ですか?」


「本当だ」


「私も、とても立派だと思ったわ」


 お母様も微笑む。


 私は、お兄様の方へ手を伸ばした。


「あぅ」


「リリア?」


 お兄様が指を差し出してくれる。


 私は、きゅっと握った。


 ありがとう。


 今日は、そばにいてくれて。


 お兄様だって緊張していたのに、私を気遣ってくれて。


「……リリアも、褒めてくれるの?」


 お兄様の声が、少し弾んだ。


 私はもう一度、指を握り直す。


「そうか。ありがとう」


 照れたような笑顔。


 それを見ているうちに、張り詰めていた気持ちが、ゆっくりほどけていった。


 ……家族を救いたい。


 その気持ちは、ずっと変わらない。


 でも、守ってもらうことも。


 きっと、今の私にできる、大切なことなのだ。


     ◇


 次に目を開けたとき、見慣れた天蓋があった。


 窓から入る光は柔らかく、王宮で聞いた足音も、馬車の揺れもない。


 ……帰ってきたんだ。


 私は、ほっと息をついた。


「お目覚めですか、リリア様」


 マリアが寝台を覗き込む。


「よくお休みでしたね」


「あぅ……」


「はい。お腹も空きましたね」


 ……どうして分かるんですか。


 秘密の紋様について考えようとしたところなのに、お腹の方が先に返事をしてしまった。


 小さく鳴った音に、マリアが優しく笑う。


「難しいお考えは、後になさいませ」


 ……お見通しでしょうか。


 その後、私はお母様の腕の中で、赤ちゃんとしての大切なお仕事を済ませた。


 お腹が満たされ、背中をゆっくり撫でてもらう。


 薄紫のドレスから、いつもの柔らかな服へ着替えると、ようやく本当に家へ戻った気がした。


「今日は頑張ったわね」


 お母様が私の額に唇を寄せる。


「知らないお部屋で、知らない方にもお会いして。疲れたでしょう」


「あぅ」


「明日は、お家でゆっくりしましょうね」


 ……明日は。


 その言葉に、私は窓辺を見た。


 月鈴花は、いつもの場所にあった。


 白い花びらを広げて、静かに鉢の中に収まっている。


 王宮の飾りが光ったとき、胸に広がった温かさ。


 あれは、この花が光るときの感覚によく似ていた。


 何か、つながりがある。


 でも。


 それを、どうすれば伝えられるのだろう。


 私は花を見つめたまま、右手を持ち上げた。


「そちらへ行きたいの?」


 お母様が尋ねる。


 私は腕を動かした。


 手のひらを開いて、閉じる。


 花の方へ、もう一度。


「月鈴花が見たいのね」


 ……!


 通じた。


 お母様が立ち上がり、私を抱いて窓辺へ近づく。


「今日は、まだ光っていないわね」


「あぅ!」


 そうです。


 これです。


 私は勢いよく手を伸ばした。


「触るのは、もう少し待ちましょう」


 お母様は花から少し離れたところで止まった。


「お口に入れてしまったら、大変だから」


 ……入れません。


 いえ、絶対とは言い切れないのが、赤ちゃんの体の困るところですが。


 私は手を下ろした。


 花を見る。


 お母様を見る。


 それから、また花を見る。


「……リリア?」


 お母様の表情が、少し変わった。


 私はもう一度、ゆっくり腕を上げた。


 偶然ではないと、伝わるように。


 同じ花へ向かって。


「まあ」


 お母様が、私の顔を覗き込んだ。


「ちゃんと、見たいものを教えてくれたの?」


 胸が、どきりとした。


 ……はい。


 そうなんです。


 うまく指を差せなくても。


 言葉が話せなくても。


 見ているものと、伸ばす手で。


 少しだけなら、伝えられるのかもしれない。


「マリア。今の、見ていた?」


「はい、奥様」


 マリアが嬉しそうに近づいてくる。


「リリア様がお伝えになったのですね」


「ええ。こちらへ来たいって」


 お母様が、ぎゅっと私を抱きしめた。


「教えてくれて、ありがとう」


 ……ああ。


 本当に伝えたかったのは、花を見たいということだけではない。


 もっと大きくて、難しいことが、その先にある。


 それでも。


 私はお母様の服を、小さな手で握った。


 分かってもらえたことが、こんなに嬉しいなんて。


     ◇


「リリアが、自分で?」


 その日の夕方。


 部屋へ来たお父様は、お母様の話を聞くなり、私の寝台へ歩み寄った。


 その後ろから、お兄様も顔を出す。


「何を教えてくれたんですか?」


「月鈴花を見たいと、手を伸ばしたのよ」


「リリア、僕にも見せて!」


 お兄様が、期待に満ちた目で私を見る。


 お父様も見ている。


 マリアまで、微笑みながら待っている。


 ……皆さん。


 そんなに注目されると、かえって動きにくいです。


 私は寝台の上で、そっと手を握った。


 ちょうど今、お腹もいっぱいで。


 少し、眠くもあって。


「ほら、リリア。お花はあっちだよ」


「レオン」


 お父様が、穏やかに声をかけた。


「見たいと思ったときに、教えてくれるだろう」


「……あ」


 お兄様は私の顔を見た。


 それから、少しだけ眉を下げる。


「ごめんね。もう一度見たくなって」


「あぅ」


「今は、お休みしたい?」


 ……少しだけ。


 私は差し出された指を握り、そのまま目を細めた。


「そうだね」


 お兄様が小さな声になる。


「お花は、逃げないものね」


「ええ。明日も咲いているわ」


 お母様の声に、お父様が頷く。


 私は、握った指の温かさを感じながら、窓辺へ目を向けた。


 月鈴花は、まだ光っていない。


 無理に何かを起こそうとしても、きっと分からないままだ。


 ……今日は、ここまで。


 そう決めたところで、お父様がお母様に話しかけた。


「セレーナ。王妃殿下のお飾りだが」


 眠気が、少しだけ遠のく。


「ええ」


「あの白い石は、以前からああして光るものなのか。まずは、そのことを尋ねてみようと思う」


 お母様は、静かに頷いた。


「私も気になっていました。けれど、あの場では……」


「ああ。リリアも疲れていた。帰ってきてよかった」


 お父様の手が、私の掛け布を整える。


「この子をもう一度連れていく必要はない。手紙で尋ねられることだ」


 ……お父様。


 やっぱり、覚えていてくれたんですね。


「月鈴花が光ったことも、お伝えになるのですか?」


「まずは、飾りの由来を伺う。その返事を見てから、私たちの知っていることを整理しよう」


 お父様は窓辺の花を見た。


 決めつけることもなく。


 不思議だからと、笑い飛ばすこともなく。


 私が知りたかったことを、確かめようとしてくれている。


「父上。僕にできることは、ありますか」


 お兄様が尋ねた。


「今は、いつもどおりリリアと遊んでやってくれ」


「いつもどおりで、いいんですか?」


「ああ。それから、お前自身もよく休むことだ」


 お兄様は少し考えて、真剣に頷いた。


「分かりました」


 ……それなら、私にもできそうです。


 よく眠る。


 よく食べる。


 少しずつ、この手を上手に動かせるようになる。


 遠回りに見えるけれど。


 いつか、自分の言葉で伝えられるようになるために。


 私は、お兄様の指をそっと放した。


 代わりに、お父様が差し出した指先へ手を伸ばす。


「どうした、リリア」


「あぅ……」


 ありがとう。


 そう言いたかった。


 お父様は少し目を細め、私の手を包んだ。


「大丈夫だ。急がなくていい」


 ……はい。


 私は、その言葉を胸の中で繰り返した。


 王家の秘密も。


 月の紋様も。


 まだ、分からないことばかりだけれど。


 今日、私には一つ、できることが増えた。


 見たいものへ、手を伸ばすこと。


 そして、その手を見つけてくれる人がいることを、信じること。


 窓の外が、ゆっくり夕暮れに染まっていく。


 お兄様が小声で、明日読んでくれる絵本の相談を始めた。


 お母様が笑い、マリアが灯りを整える。


 私はみんなの声を聞きながら、ゆっくりと目を閉じた。


 王妃様からのお返事が届くまで。


 まずは、この温かな腕の中で。


 明日伸ばす手に、少しだけ力を蓄えておこう。

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