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『処刑される悪役令嬢に転生した……はずなのに、なぜか赤ちゃんから人生をやり直しています!~家族を救いたいだけなのに、公爵家のみんなが私を溺愛しすぎです~』  作者: 五十嵐紫
第3章 家族を守るために、魔法を覚えます!

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第2節 はじめまして、未来の王太子殿下

王宮へ向かう朝。


 私の部屋には、いつも以上に真剣な顔をした家族が集まっていた。


「襟元は苦しくないか?」


「あなた。先ほども確かめましたよ」


「だが、馬車の中で窮屈になるかもしれん」


「柔らかい生地ですから、大丈夫です」


 お母様にそう言われても、お父様はまだ心配そうに私を見つめている。


 私は、例の薄紫のドレスを着せられていた。


 胸元には小さな白い花の刺繍。裾には控えめなレース。


 見た目は可愛らしいけれど、肌に触れるところは柔らかく、思っていたよりずっと着心地がいい。


 ……仕立ててくださった方、ありがとうございます。


 赤ちゃんの着心地まで考えてくださるとは。


「リリア、僕の指、握れる?」


 お兄様が、そっと人差し指を差し出した。


「あぅ」


 いつものように握ると、お兄様はほっとしたように笑う。


「よかった。元気だね」


「レオン。王宮でも、リリアの顔の近くで急に大きな声を出してはいけませんよ」


「分かっています、母上」


 そう答えたお兄様は、一呼吸置いてから、小さな声で私に囁いた。


「何か嫌だったら、僕の指をぎゅっと握ってね」


 ……お兄様。


 それだと、ずっと握ってしまいそうです。


 何しろ本日の目的地は、私の破滅に深く関わる王宮なのだから。


     ◇


 馬車の揺れは、思っていたより穏やかだった。


 お母様の腕に抱かれた私は、窓から差し込む光を眺めていた。


 向かいには、お父様とお兄様。


 必要な着替えやおくるみを用意したマリアも、一緒に来てくれている。


「眠ってしまっても構わないからね」


 お母様が、私の頬を撫でる。


「着いてからも眠っていたら、そのままにしていただきましょう」


「当然だ。挨拶のために起こす必要はない」


 お父様が即座に頷いた。


 ……なるほど。


 寝てしまえば、顔合わせを穏便にやり過ごせるのでは?


 私は、そっと目を閉じてみた。


 けれど。


「父上。殿下も、今日は緊張していらっしゃるでしょうか」


 お兄様の言葉に、耳が勝手に反応した。


「そうかもしれんな」


「赤ちゃんとお話しするのは、初めてでしょうか」


「それは分からんが……お前も、初めてリリアを抱いたときは随分と緊張していた」


「だ、だって、小さかったから」


「今も小さいぞ」


「今は、抱き方を覚えました」


 お兄様の少し誇らしげな声に、私は思わず目を開けた。


 目が合うと、お兄様は嬉しそうに身を乗り出す。


「あ、リリア。起きていたの?」


「あぅ」


「王宮に着いたら、僕もそばにいるからね」


 ……はい。


 ありがとうございます。


 寝たふり作戦は、あっさり失敗した。


     ◇


 王宮で私たちが案内されたのは、大勢の貴族が並ぶ広間ではなかった。


 庭に面した、明るい小部屋。


 窓辺には季節の花が飾られ、椅子の近くには、赤ちゃんを寝かせられる小さな寝台まで用意されている。


「お部屋が暑すぎるようでしたら、お申しつけください」


 案内してくれた侍女が、お母様に静かに告げた。


「ありがとうございます。ちょうどよいようですわ」


 お母様の返事を聞いて、私は少しだけ肩の力を抜いた。


 ……本当に、私に合わせてくれているんだ。


 お父様が伝えた条件は、言葉だけの約束ではなかったらしい。


 それでも、扉の向こうから足音が聞こえると、胸がどきりとした。


 いよいよだ。


 ユリウス・アストレア。


 ゲームの中で何度も見た、あの王子様。


 美しく成長した彼が、冷たい目でリリアーナに婚約破棄を告げる場面を、私は覚えている。


 ――君との婚約を、ここに破棄する。


 あの声が、記憶の奥で蘇りかけた。


 けれど。


「……こちらで、よろしいのですか」


 扉の向こうから聞こえたのは、まだ幼い男の子の声だった。


「ええ。皆様、お待ちですよ」


 大人の女性に促され、扉が開く。


 入ってきたのは、上品な微笑みを浮かべた王妃様。


 そして、その少し後ろを歩く小さな男の子だった。


 金色の髪に、澄んだ青い瞳。


 背筋をぴんと伸ばしているけれど、胸元で重ねた指先には、ぎゅっと力が入っている。


 ……この子が、ユリウス殿下?


 もちろん、面影はある。


 でも。


 私の記憶の中にいる青年より、ずっと小さかった。


「本日は、よく来てくださいました」


 王妃様の言葉に、お父様たちが挨拶を返す。


 私はお母様の腕の中で、なるべく大人しくしていた。


 王妃様は、すぐに私へ目を向けた。


「この子が、リリアーナね」


「はい、王妃殿下」


「まあ……お話に聞いていたとおり、愛らしいこと」


「ありがとうございます」


 お母様の腕が、ほんの少しだけ私を抱き直す。


 その動きに安心していると、王妃様が隣を振り返った。


「ユリウス。ご挨拶を」


「はい」


 殿下は一歩前へ進み出た。


「ユリウス・アストレアです。本日は、わた……」


 そこで、小さく言葉が止まる。


 殿下の頬が、うっすら赤くなった。


「私に会いに来てくださって、ありがとうございます」


 ……今、言い直しましたね。


 きっと、何度も練習した挨拶なのだろう。


 小さな手が、またぎゅっと握られる。


「リリアーナです。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 お母様が私の代わりに挨拶した。


 私は殿下を見つめながら、ゆっくり口を開く。


「あぅ」


 途端に、殿下が困ったように王妃様を見上げた。


「……今のは、何と?」


「ご挨拶してくれたのでしょうね」


「そう、なのですか」


 殿下は真剣な顔で私に向き直った。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 ……律儀。


 赤ちゃんの「あぅ」にまで、きちんと返してくださるとは。


 思っていた出会いと、だいぶ違います。


     ◇


 椅子に腰を下ろしてからも、殿下の背筋はまっすぐだった。


 お茶もお菓子も用意されているのに、手を伸ばそうとしない。


 その代わり、ちらちらと私を見ている。


「ユリウス。もう少し近くでお顔を見せていただいたら?」


 王妃様が勧めると、殿下は一瞬だけ嬉しそうな顔をした。


 しかし、すぐに表情を引き締める。


「ですが、驚かせてしまうかもしれません」


「ゆっくりでしたら、大丈夫だと思います」


 お母様が優しく答えた。


 殿下は椅子を降り、慎重に近づいてくる。


 お兄様は私の隣に立ったまま、その様子を見守っていた。


「……小さいのですね」


 殿下が呟く。


「はい。でも、指を握る力は強いんです」


 お兄様が答えた。


 なぜか、少し得意そうだった。


「指を?」


「こうして、そっと出すと」


 お兄様が私に人差し指を差し出す。


 私は、慣れた指を握った。


 すると殿下の瞳が、ぱっと見開かれる。


「自分で、握るのですか」


「はい。殿下も、よろしければ」


「……よいのでしょうか」


 殿下は、まずお母様を見た。


 次に、お父様を見る。


 お父様は厳かな顔で頷いた。


「そっと触れていただければ」


 ……お父様。


 まるで、大切な宝物を預けるときのようなお顔ですね。


 殿下は少し迷ってから、私の前に指を差し出した。


 お兄様とは違う、知らない指。


 私は、その指先と殿下の顔を交互に見た。


 青い瞳が、じっと私を見つめている。


 怖い顔ではなかった。


 むしろ、私に泣かれないか心配しているような顔だった。


 ……この子は、まだ何もしていない。


 そのことが、不意に胸に落ちた。


 私を断罪したのは、ゲームの中の、ずっと先の彼だ。


 目の前にいるのは、赤ちゃんへの触れ方も分からずに緊張している男の子。


 未来を恐れるあまり、今のこの子まで怖がってしまうのは。


 少し、違うのかもしれない。


 私は小さな手を伸ばした。


 殿下の指に触れ、きゅっと握る。


「……っ」


 殿下の肩が小さく揺れた。


「痛くないですか?」


 お兄様が尋ねる。


「いいえ」


 殿下は首を横に振った。


 それから、私の手を見つめたまま、ぽつりと言う。


「……温かい」


 その声は、先ほどの挨拶よりもずっと柔らかかった。


 私は思わず、口元を緩めた。


「あぅ」


「母上」


 殿下が、指を動かさないようにしたまま王妃様を振り返る。


「笑いました」


「ええ。あなたのお顔を見ているわね」


「……はい」


 殿下は再び私を見る。


 今度は、その口元にも小さな笑みが浮かんでいた。


     ◇


 それからしばらく、殿下は私のそばにいた。


 お兄様が、私の好きな遊びを教えている。


「布を顔の前に出して、隠れるんです。それから、こうして」


 お兄様は自分のハンカチで顔を隠し、すぐに下ろした。


「ばあ」


「あぅ!」


 つい声を上げると、お兄様が笑った。


「ほら」


「……私にも、できるでしょうか」


「できますよ」


 殿下は自分のハンカチを取り出した。


 とても真剣な顔で位置を確かめ、顔を隠す。


 そして。


「……ばあ」


 小さな声だった。


 私は、じっと見つめた。


 殿下の顔に、少しずつ不安が広がっていく。


 ……あっ。


 違います。


 面白くないわけではなくて。


 王太子殿下が真剣に「ばあ」をしているという状況に、頭が追いつかなかっただけで。


「今のは……」


 殿下がハンカチを下ろしかける。


 私は慌てて手を動かした。


「あぅ! きゃぅ!」


「ほら、喜んでいます」


 お兄様が言うと、殿下はほっと息をついた。


「もう一度、しても?」


 ……はい。


 ぜひ。


 二度目の「ばあ」は、最初より少しだけ大きな声だった。


 王妃様がお母様と顔を見合わせ、微笑んでいる。


 お父様も、お茶の器を持ったまま、静かにこちらを眺めていた。


 私は殿下の笑顔を見上げた。


 ゲームには、こんな場面はなかった。


 少なくとも、私が知っている物語の中には。


     ◇


 穏やかな時間が過ぎるうち、瞼が重くなってきた。


 初めての馬車。


 初めての場所。


 初めて会う人たち。


 赤ちゃんの体には、それだけでも大仕事だったらしい。


「……そろそろ、お暇いたしましょう」


 私が目をこすろうとしたのを見て、お母様が言った。


 王妃様はすぐに頷く。


「ええ。今日は来てくださって、ありがとう」


 殿下が、はっとしたように私を見た。


「もう、帰るのですか」


「リリアは、まだ長く起きていられないんです」


 お兄様が答える。


「……そうでした」


 殿下は、手元のハンカチを丁寧に畳んだ。


 少し寂しそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。


「眠る前に、たくさん遊ばせてしまいました」


「殿下のおかげで、楽しく過ごせたようですわ」


 お母様が言うと、殿下は私の顔を覗き込んだ。


「リリアーナ」


 私は、どうにか目を開ける。


「……また、会いに来てくれますか」


 胸が、きゅっとした。


 婚約。


 破滅。


 そんな言葉が、一瞬頭をよぎる。


 けれど、殿下は続けた。


「次は、庭の小鳥を見せたいです。窓の近くまで来るのです」


 ……小鳥。


 それが、この子の誘う理由なのだ。


 私は眠気に負けながら、小さく声を返した。


「あぅ……」


「お約束は、リリアがもう少し大きくなってからにいたしましょう」


 お母様が穏やかに言った。


「ですが、今日は殿下にお会いできて、嬉しかったと思います」


 殿下は私を見つめ、それから頷いた。


「私も、嬉しかったです」


     ◇


 帰り支度をしていた、そのときだった。


 王妃様が立ち上がった拍子に、胸元の飾りが光を受けた。


 銀色の、小さな飾り。


 月のような曲線。


 その中央に、星。


 ――え?


 眠気が、一瞬で遠のいた。


 あの紋様だ。


 月鈴花の光の中に浮かんだものと、よく似ている。


 私は、思わず手を伸ばした。


「あぅ!」


「リリア?」


 お母様が私の顔を見る。


 同時に、胸の奥がぽっと温かくなった。


 あの夜と同じ感覚。


 けれど、今回はすぐそばに、何かがある。


 私は銀色の飾りから目を離せなかった。


「まあ。こちらが気になるの?」


 王妃様が微笑み、飾りに指を添えた。


 その瞬間。


 中央にはめ込まれた小さな白い石が、淡く光った。


 ほんの一瞬だった。


 窓から差す光の反射だと思っても、不思議ではないほど。


 けれど。


 王妃様の指が、止まった。


「……今のは」


 かすかな呟き。


 先ほどまで微笑んでいたその顔から、ゆっくりと笑みが消える。


「王妃殿下?」


 お母様が声をかけると、王妃様は私を見た。


 驚きと、戸惑い。


 そして、何かを確かめようとするような眼差しだった。


 お父様が、静かに椅子から立ち上がる。


「何か、ございましたか」


 その声で、王妃様は我に返ったように瞬きをした。


「……いいえ。少し、昔のことを思い出しただけです」


 飾りを包むように、そっと手を重ねる。


 もう、光は見えなかった。


 私の胸に広がっていた温かさも、ゆっくり薄れていく。


 ……あれは、何?


 月鈴花と、王家の飾り。


 どうして、同じ紋様があるの?


 尋ねたい。


 今すぐ、聞いてみたい。


 けれど、私の口から出てくるのは、意味を持たない幼い声だけだった。


「リリア。帰ろう」


 お父様が、私の小さな手を包んだ。


 大きくて、温かい手。


 私はその指を握りながら、王妃様を見つめた。


 王妃様はもう、穏やかな微笑みを取り戻している。


 けれど、銀色の飾りを押さえた手だけは。


 私たちが部屋を出るまで、一度も離されなかった。

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