08.領地収入五年分
「ご両親が抱っこすれば泣き止みますよね?」
「いや、二人とも泣き止ませるのは無理だった」
テーブルの上でギュッと拳を握ったマティアスの表情は暗い。
あぁ、そうだった。
アレクシスのお母さんは亡くなってしまったんだった。
「お父さんはいつこちらに迎えに?」
何気なく聞いたフローラは目を伏せたマティアスと、気まずそうに顔を背けた使用人たちの反応で、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと察した。
「……昨晩、兄も亡くなった」
燃えた馬車の横で亡くなっていたと説明されたフローラは、ヒュッと息をのむ。
ブルッと寒気がしたフローラはアレクシスをギュッと抱きしめた。
「……すまない、食事中に話すことではなかった」
きゃっきゃと無邪気に笑ってくれるこの子は昨晩、両親を亡くしてしまったのだ。
両親がいない私と同じ境遇……。
いや、この子の方が幼くて両親との思い出も少ないから、私よりも可哀想かもしれない。
フローラは涙が溢れてくる目を必死に手のひらで拭った。
「フローラ、君のことを少し聞いても良いだろうか?」
「私のこと……ですか?」
「あぁ、君はなぜこの国に?」
テーブルに置かれた布でフローラは涙を拭き、あぶあぶと口を尖らせるアレクシスの頬を軽くツンツンと触った後、フローラはマティアスを見つめた。
「領地収入五年分のお金と引き換えに、六十歳を過ぎたお爺さんの後妻になれと叔父に言われて」
「六十?」
政略結婚にしても酷すぎるとマティアスは眉間に皺を寄せる。
「父親はいないんだったな。母親は? 結婚を止めなかったのか?」
「母も、亡くなっています」
目を伏せたフローラに、マティアスは「すまない」と謝罪してくれた。
「それで、母の実家のヴェルナー伯爵に助けを求めるため、この国に」
会ったこともないので助けてくれるかはわからないが、藁にもすがる思いで男爵家を飛び出したとフローラはアレクシスに視線を移しながら苦笑する。
「ヴェルナー伯爵……」
「ご存じですか?」
「あぁ、いや。名前程度は……」
歯切れの悪いマティアスを少し不思議に思いながら、フローラはアレクシスを侍女長に預け、次の料理もいただく。
だが、すぐにお腹がいっぱいになってしまい、お肉はほとんどお腹に入らなかった。
どうしよう。
残すなんてもったいないのに、もうお腹が苦しい。
気まずい雰囲気を察した侍女長がフローラを助けてくれる。
「今日は馬に乗ってお疲れでしょう。マティアス様、フローラ様をお部屋に下がらせていただいてよろしいでしょうか?」
「あぁ。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます。マティアス様」
アレクシスを抱え扉から出て行くフローラの後ろ姿を見つめたマティアスは、水をワインに変えさせ、ゆっくりと口に含んだ。
「不思議でございますね。ご令嬢に抱っこされた時だけアレクシス様が泣き止むなんて」
「あぁ。やはり偶然ではないな」
父に今すぐ連絡をしなくては。
アレクシスを泣き止ませる令嬢が現れたことを。
ワイングラスを置いたマティアスが右手を軽く動かすと、メラメラと炎が舞い上がる火の鳥が現れる。
魔法で作った火の鳥は閉ざされたままの窓を通り抜け、王都の父のもとへ。
「ヴェルナー伯爵家が数年前に絶えた気がするのは気のせいか?」
「はい。後継者がおらず、廃爵になっております」
やはりそうかとマティアスは大きく息を吐いた。
先ほどは確証がなくフローラには言えなかったが、ヴェルナー伯爵家はもう存在しない。
廃爵ということは遠縁もいないということだ。
「助けを求めるために他国まで来たのに、いないなんてショックだろうな」
マティアスは再びワイングラスを手に取り、一気に飲み干した。
渋味が口に広がり、いつもよりも苦味を感じたマティアスは顔を顰める。
兄は赤ワインが好きだった。
ワインを飲みながら朝まで語り明かし、翌日は二日酔いで大変な思いをするのが当たり前だったのに。
兄のためにヴィンテージワインも取り寄せておいたのに。
マティアスは目頭をそっと押さえると、ワインのおかわりを要求し、しばらく揺らしながらワイン好きな兄を偲んだ――。




