06.これが私?
「彼女はアレクシスを救ってくれた恩人だ。礼を尽くすように」
こんなにたくさん使用人がいるなんて、エントランスだけでこんなに豪華だなんて、ベルンブルグは絶対に男爵じゃない!
父が生きている頃はうちだって使用人全員合わせて七人いたけれど、ここには女性だけで十人以上もいる!
どうしよう。とんでもないところに来てしまったのでは?
抱き上げられたまま階段を上がり、赤い絨毯の廊下をマティアスは進んでいく。
大きな扉を年配の男性が開けると、マティアスはフローラを抱えたまま入った。
「ここに泊まってくれ」
ゆっくりとベッドに降ろされたフローラは、ロイター男爵邸のリビングよりも広い部屋に戸惑う。
「すまないが、アレクシスと一緒に寝てもらってもいいだろうか?」
「は、は、はい。それはかまいませんが、こんなすごいお部屋……あの、私もっと小さい部屋で」
使用人の部屋でかまわないと言うフローラの意見は誰も聞いてくれなかった。
「侍女長、頼んだぞ」
「かしこまりました」
年配の男性と一緒に部屋から出て行ってしまうマティアスを引き留めることもできず、フローラはアレクシスを抱きかかえたままベッドの上で部屋を見回す。
「ふかふか……」
シャーロットのベッドよりも広く、肌触りの良い布団。
ロイター男爵家で一番贅沢な物を使っている応接室よりも毛足が長く柄も美しい絨毯。
家具もひとつひとつの装飾が細かく、カーテンを止めている紐ですら豪華に見えてくる。
「お名前をおうかがいしてもよろしいでしょうか?」
「フローラです」
「フローラ様でございますね。アレクシス様がおやすみの間に湯あみをさせてください」
アレクシスをベッドに置くように言われたフローラは、ゆっくりとお尻からベッドに置いた。
そっと腕を引き抜くとふかふかのベッドにアレクシスが沈む。
起きてしまうのではないかと思ったが、意外にもアレクシスはスヤスヤと眠ったままだった。
「ではこちらに」
「あの、誰かここにいないと……」
「大丈夫ですよ」
侍女長と呼ばれていたこの年配の女性は、ロイター男爵夫人よりも年上に見えた。
少しふくよかで優しい雰囲気の侍女長がフローラを奥の部屋へ連れて行ってくれる。
「えぇっ? 私がお湯に? あの、もったいないので」
全力で否定しているのに、侍女三人に服をはぎ取られたフローラは貧相な身体を見られてしまった。
手を引かれ、湯気が上るお湯の中に座らされる。
シャーロットでさえ、こんなにたくさんのお湯の中に入っていなかったのに!
もちろんお湯を準備するのはフローラの仕事だったが、準備している間にどんどん冷めてしまい、こんな大きなバスタブではなくもっと小さなバスタブでさえ、半分以下のお湯しか準備できなかった。
「薔薇と百合はどちらの香りがお好みでしょうか?」
「ど、どちらもわかりません」
薔薇も百合も匂いなんて知らないです!
「では、本日は薔薇にさせていただきますね」
「せ、石鹸? そんな高価なものを私なんかに」
侍女が手で泡を作る様子を見たフローラは焦った。
シャーロットでさえ石鹸は飾るだけで使うことができなかったのに!
さっき薔薇の香りと言われたのは、この石鹼の香りのこと?
「いい香り……」
優しく腕を泡で包まれたフローラは思わず心の声が出てしまった。
髪も綺麗に洗われ、顔も身体もピカピカに。
いつも濡らした布で身体を拭くだけだったのに、こんな贅沢な体験をさせてもらえるなんて。
「髪を切りそろえてもよろしいでしょうか?」
「あの、お任せします」
切りそろえるってどういうこと?
ずっと髪を切ったことがないフローラは切りそろえるの意味がわからなかった。
櫛で髪を梳きながらタオルで優しく拭きとってくれる侍女たち。
よくシャーロットに痛いと叩かれていたけれど、この侍女さんたちの動作が正解だとすれば、シャーロットに怒られるのは当然だったかもしれない。
「こんな綺麗な服……!」
「急でしたので、この服しか準備ができず申し訳ございません」
準備されていたのは淡いピンク色のワンピース。
シャーロットが着ている服よりも生地がサラサラで軽くて薄い生地だ。
動くとふわっと揺れるスカートがくすぐったい。
「こちらの室内履きをどうぞ」
室内履きって何?
この踵がない靴のこと?
「これが私……?」
鏡の前に立ったフローラは、別人のように綺麗になった自分の姿をジッと見つめた。
記憶の中の母も鏡の中の自分と同じサラサラの白髪で、いつも手を繋いで歩いてくれた気がする。
顔はもう思い出せないけれど。
母の優しい手が好きだった。白くて綺麗で温かい手が。
フローラは溢れそうになった涙を手のひらで必死に押さえた。




