05.国境越え
アレクシスがピタリと泣き止む不思議な状況に、マティアスも騎士たちも驚きを隠せなかった。
「ベルンブルグはツヴァイク王国にあるんだが、マイアー街を経由せずに直接行ってはダメだろうか?」
「直接行けるのですか?」
「あぁ、行ける。だから一緒に行こう」
直接行ける道があったなんて!
もしかしたら予定よりも早くヴェルナー伯爵に会えるかもしれない。
再びマティアスに差し出された手を躊躇わず握ったフローラは、すぐに後悔することになった。
「う、馬は、初めてで」
アレクシスを抱きかかえたフローラをマティアスが後ろから支えるというありえない状況に、フローラの魂は抜けそうだった。
自分から連れて行ってと頼んだけれど、この状況はかなり恥ずかしい。
なんだか後ろから抱きかかえられているみたいだ。
「馬車ではなくてすまない」
「い、いえ」
頭の上から聞こえてくる声は、ロイター男爵や家令よりも低く男らしい。
支えてくれる腕はたくましく、早朝の森の中にいるような爽やかないい香りがする。
「落ちるといけないから身体をあずけて」
「は、は、はい」
男性とこんなに密着したことなんてない!
昨日は身体を拭いていないし、土の上にもそのまま座ったし、一週間着たままの服なのに、こんな立派な服を着た人にもたれるなんて申し訳ない。
そう思ったのに、馬の上に座っていることは難しいと悟ったフローラは、マティアスに支えてもらわざるを得なかった。
「君はさっき女性にアレクシスを頼まれたと言っていたけれど、詳しく教えてくれないか?」
「私、王都から乗合馬車で来たんですけど……」
フローラは前方の火事で馬車が止まってしまったこと、赤ちゃんを渡してきた女性が倒れたら、女性の背中の怪我に驚いた御者が乗合馬車で逃げてしまい、一人だけ置いて行かれてしまったことを話した。
「他に人影は?」
「朝まで誰も来ませんでした」
草原を歩く馬が左にガクッと傾き、フローラの身体をマティアスが強く抱きかかえる。
「大丈夫か?」
「は、は、はい。赤ちゃんは大丈夫です」
すやすや眠るアレクシスの寝顔を確認したフローラはマティアスを見上げながら答えた。
「……アレクシスの母親に花が供えてあったが、もしかして君が?」
「すぐ横に咲いていた花でごめんなさい」
「いや、ありがとう。見ず知らずの人に花を供え、押し付けられた赤ん坊を抱きながら歩いて街を目指すなんて、君は優しい人だな」
誘拐犯だと誤解してすまなかったとマティアスが謝罪をしてくれる。
私が優しい?
そんなこと言われたのは初めてだ。
抱っこしたまま歩き続けたのは大変だったが、なんだかその言葉だけで少し報われたような気がした。
「ロイター……だったか? 姓があるということは貴族だろうか?」
「はい。父は男爵でした」
「……でした?」
「父が亡くなって、叔父が男爵を継いでいます」
馬は森に入り、道なき道を進んでいく。
木の枝が当たりそうで当たらないギリギリな感じがヒヤヒヤする。
フローラはキョロキョロと周りを見ながら、ときどき差し込む木漏れ日の眩しさに目を細めた。
「もうすぐ国境を越える」
「こんな森の中でですか?」
「あぁ」
森の中に作られた壁と扉が木々の隙間から急に現れる。
「開扉!」
地面から扉の隙間を炎が駆け抜けたと思った瞬間、重そうな扉が開いた。
「……すごい」
どうして今、開いたの?
誰もいないのに。
扉の横を通過したフローラは初めて超えた国境にドキドキしてしまった。
扉を通過したあとも馬はしばらく森の中を歩いていく。
扉の向こうは道なき道だったが、こちらは整備された道。
それでも上下に動く馬に翻弄されながら、フローラは木々が生い茂る森の景色を眺めた。
「あそこが俺の家だ」
マティアスの視線の先には大きな城のような建物。
日に照らされた建物と森の風景はまるで絵のようで、現実味がない。
湖の横を通過し、だんだん建物に近づいていくにつれ日が傾いていく。
もっと近いと思っていた建物は、実は丘の上。
そして丘を登り終わる頃には、もう夕方だった。
「ようこそ、ベルンブルグへ」
マティアスに馬から降ろしてもらったフローラは、うまく地面に立てなかった。
お腹もお尻も痛くて、足はガクガク。
歩こうとしてもうまく足が出せなかったフローラの顔は、アレクシスを抱きかかえたままマティアスの硬い胸板に激突した。
「す、すみませんっ」
「あぁ、気がつかなくてすまない。馬に乗るのは初めてだったな」
スッと手が出されたと思った瞬間、フローラの足が宙に浮く。
視線は森と空の境目まで飛び、お尻よりも足の方が高いこの状況を理解するまでに、フローラは数秒かかってしまった。
「な、な、なんで」
なんで抱きかかえられているの?
嘘でしょう?
アレクシスを抱きかかえたフローラを横抱きにしたまま歩き出すマティアスにも驚いたが、使用人たちが一斉に頭を下げる姿にフローラは目を見開いた。




