36.油断
「はい、マティ様」
馬車で本屋に向かい、絵本コーナーに。
アレクシス用と言い訳しつつ、自分用のような文字の絵本をフローラは棚から順番に手に取った。
「この本は?」
「……少し難しいです。覚える順番を変えられると自信がなくて」
マティアスは「そうか」と本を棚に戻す。
次の本を手に取り、うーんと悩むマティアスの手には、可愛らしい猫の絵がついた絵本。
子ども向けの本を真剣に選んでいるマティアスの姿がなんだかおかしかった。
「あの、すみません。領主様のご子息様ですよね?」
「井戸が壊れて困っていて。見てもらえないですかね?」
年配の男性二人に声をかけられたマティアスは「あとで行く」と答える。
「井戸は生活に欠かせないものです。私はここで絵本を選んでいますので見てきてあげてください」
フローラはマティアスが手にした絵本を譲り受けながら微笑んだ。
「だが、護衛が分散すると」
「まだまだ見たい本があるので私はここにいますから」
大丈夫ですよと微笑むフローラにマティアスは溜息をついた。
「絶対にここから動かないように」
「はい」
マティアスはフローラの頭にそっと触れる。
「すぐ戻る」
「いってらっしゃいませ」
お辞儀をしながらマティアスを見送ったフローラは、本棚から次の絵本を取り出し、また順番に眺めた。
どうしよう。良さそうな本が三冊もある。
このままだとマティアスはきっと三冊とも買えばいいと言うだろう。
どれにするか決めておかないと。
こちらは絵が綺麗、これは絵も大きくわかりやすい。こちらのは少し物語になっていて楽しそうだ。
「失礼します。まだ時間がかかりそうなので、奥様を屋敷にお連れするようにと」
「え? お屋敷に?」
「はい」
ここで待っていろって言ったのに?
井戸が壊れていると言っていたけれど、桶や滑車を交換すればすむような簡単な故障じゃなかったのかな。
「そちらの本になさいますか?」
「まだ悩んでいて」
「では、あとで買ってきていただきましょう。候補はこの二つでしょうか?」
「あ、これも入れた三冊です」
ベルンブルグの騎士の服を着ているけれど、この人は見たことがない人 だ。
若い騎士は、三冊のうち一冊の本を手に取った。
「この本は子どもの頃に読んだことがあります」
騎士は物語の本を手に取り「懐かしいな」と呟く。
「有名な本ですか?」
「そうですね。よく読まれる本だと思います。こちらを買いますか?」
「マティ様に決めてもらってもいいでしょうか?」
「かしこまりました」
騎士は三冊まとめて本棚の右端に戻す。
「では、参りましょう」
この時は特に変だとは思わなかった。
ベルンブルグの騎士服の男性で、ここまで乗って来たベルンブルグの馬車で。
買った服や靴も馬車に乗っていて。
マティアスにはここで待つように言われたが、深く考えなかった。
おかしいなと思ったのは、丘の上にあるベルンブルグの屋敷がだんだん遠くなっていると気づいた時だ。
行きとは違う道を回って屋敷に行くのかと思ったが、どんどん遠ざかっている気がする。
街へ行く時には馬に乗った騎士が数人馬車の外に見えたのに、今は誰もいない。
「……どうしよう」
大丈夫……だよね?
だってベルンブルグの馬車だし。
フローラは思わず買ってもらったばかりの真紅のネックレスの宝石を握りしめる。
マティ様、どうしたらいいですか?
フローラは不安な気持を抱えたまま、窓の外の景色を眺めることしかできなかった。




