34.フローラのくせに
「両親を亡くした私をロイター男爵邸に泊めて下さったことは感謝しています」
「そうだろう? だからワシの言うことを」
「でも掃除や洗濯、食事の支度をして宿泊料以上に働いたつもりです。これからはこちらのお屋敷でお世話になりますので、叔父様はお引き取り下さい」
「なんだと! おい、フローラのくせに」
「この男を追い出せ。二度と入れるな」
マティアスの合図で屋敷の外に連行されていく叔父の後ろ姿をフローラはジッと見つめた。
今更だが、叔父に初めて逆らった緊張で手が震える。
ずっと怖いと思っていた叔父に言い返すだけでなく、突き飛ばして転ばせてしまった。
「……大丈夫か?」
震えているなとマティアスはフローラの手を握る。
「あんな男におまえは渡さない。ここにずっといろ」
一年の契約結婚が終わってもここにいてもいいと言ってくれたのではないかと、自分に都合の良い解釈をしてしまいそうなフローラは、精いっぱいの笑顔で「ありがとうございます」と微笑んだ。
夕食の時間。ロイター男爵の後をつけた騎士団長のカールは、ロイター男爵がそのまま乗合馬車で帰って行ったことを報告してくれた。
「トリヒ街行きの乗合馬車に乗りました」
ツヴァイク王国からホルス王国に戻るにはトリヒ街からマイアー街を経由して行く。
これはフローラが家令に教わったルートだ。
「そのまま帰ったということはこの国に仲間がいるわけではないのか」
「ですが、結婚してからまだ一ヶ月も経っていないのに早すぎます。それに、この辺境の方に来たというのもおかしいのでは?」
普通は王都のベルンブルグ邸に行くのではないかとカールは悩む。
マティアスも「そうだな」と悩みながら今日の夕食のビーフシチューを口に運んだ。
「そういえば、あの男を勝手に中へ入れたのは誰だ?」
「門番です。父親だと名乗り、ホルス王国から来たと言ったので入れてしまったと」
申し訳ありませんとカールはマティアスに謝罪する。
「ないない」
ピリピリした雰囲気の中、アレクシスはスプーンをテーブルにポンと置いた。
「えぇっ、どうして?」
ぷくっとほっぺを膨らませるアレクシスにフローラはもう一度握らせようとスプーンを差し出す。
「おいしいよ、アレク。食べよう?」
「やら」
「アレク、これは? たまごやき好きでしょう?」
フローラがフォークに刺したたまごやきを見せてもアレクシスは首を横に振りイヤイヤする。
まだ全然食べていないのに椅子から下りようとするアレクシスをフローラは必死で引き留めた。
「あらあら。アレク坊ちゃまはもうイヤイヤ期のようですね」
「イヤイヤ期?」
一歳半から二歳くらいによくあることだと侍女長に説明されたフローラは、アレクシスの腰を掴んでいた手を離した。
離すとすぐにアレクシスは侍女長を見つめる。
両手をあげながら、アレクシスは侍女長に椅子から降ろせとアピールした。
「この時期は仕方ありませんね」
「誰ならわかってくれるのか、この年でもう把握しているとは」
先が思いやられるとマティアスは溜息をつく。
侍女長が抱き上げ、椅子から下ろすと、アレクシスは満面の笑みで優しそうな男性の使用人のもとへ歩いた。
「あしょぶ」
「えぇっ、俺とですか?」
ズボンを掴まれてしまった使用人は、困った顔でアレクシスとマティアスの顔を交互に確認する。
「世話係に任命する。アレクを頼む」
「は、はいっ! かしこまりました」
アレクシスと世話係は手を繋ぎながら廊下へ。
「なかなか難しいな」
「そうですね」
フローラは溜息をつきながら、アレクシスのためにフォークに刺したたまごやきを自分の口に入れた。
「明日、街へ視察に行く。フローラも一緒に行かないか?」
「いいのですか?」
マティアスはビーフシチューから手を離すとフローラを見つめた。
「結婚指輪を、まだ買っていなかったなと」
今日ロイター男爵が乗り込んできてやっと気づいたと、マティアスは申し訳なさそうな顔をする。
「二人で行こう」
二人きりでお出かけ!
まさか人生初デート?
以前、トマト売りのお姉さんが好意を持っている男性と二人きりで街を歩いたと嬉しそうに教えてくれたあのデートというやつ?
まさか私が体験する日が来るなんて!
数時間ならアレクシスも留守番できるだろうと言われたフローラは真っ赤な顔で頷いた。




