30.魔法
「すぐ終わる」
マティアスが腕を伸ばしたと思った瞬間、チリッと赤い火の粉が見える。
ギャンというシルバーウルフの泣き声が一度聞こえただけで、マティアスはその場を動くことはなかった。
目の前にはマティアスの大きな背中しかなく、何が起きたのかさっぱりわからない。
肉が焦げたような臭いは、まるでアレクシスと会ったあの日のような臭いだった。
「……屋敷に戻ろう」
「あ、あの、魔獣は?」
「大丈夫だ」
倒したってこと? あんな一瞬で?
「見ない方がいい」
マティアスは上着を脱ぐと、フローラの頭から被せて視界を狭くする。
ヒョイとアレクシスを抱き上げると、しっかりつかまれとアレクシスに指示を出した。
マティアスは片手でアレクシスのお尻を支え、もう片方の腕でフローラの肩を抱くと、来た道を戻り始める。
「マティアス様、お怪我は?」
駆けつけた騎士団長のカールの問いに、マティアスは首を横に振った。
「カール、近隣の魔獣被害の報告は?」
「いえ、ありません。いったいどこから……?」
このベルンブルグの森にはC級のホーンラビットやB級のファイアーフォックスが出ることはあるが、A級のシルバーウルフが住んでいるという話は聞いたことがない。
数年前に出たシルバーウルフは隣の領地のある街を壊滅させたあと、餌を求めて偶然たどり着いたのだという調査結果が出ているが、今回はどこから来たのか。
「魔獣の処理を頼む。親個体がいる可能性もあるから気をつけろ」
「はい。街に被害がなかったか情報もすぐに集めます」
駆けつけた騎士たちは、魔獣の方へ向かうグループと屋敷の方に向かうグループに分かれ走っていく。
「処理?」
「魔獣は燃やしたあと土に埋めることになっている」
国のルールでそう決まっているのだとマティアスはフローラに説明した。
「うーう?」
「もう倒したから大丈夫だ」
魔獣の姿は見えなかったけれど、マティアスは簡単に倒してしまった。
魔法ってやっぱりすごい。
初めて見たけれど、いや、背中で全然見えなかったけれど、マティアスは私たちを守ってくれたのだ。
「怖い思いをさせてすまない」
「マティ様が守ってくれたので平気です」
でも、あのシルバーウルフの親がもしかしたら近くにいるかもしれないんだ。
アレクシスがもう少し歩けるようになったら散歩しようと思ったけれど、無理そうだ。
魔獣さえいなければ綺麗な森なのに。
森から屋敷に戻った頃にはアレクシスは眠っていた。
マティアスがアレクシスをベッドに寝かしている間に、フローラは侍女長に連れられてお風呂へ。
すぐにマティアスは魔獣の所へ戻ったと聞かされ、今更だがお礼を言っていないことに気が付いた。
背中で見えなかったけれど、あれが魔法。
火のベルンブルグ。英雄。
ヨハンに聞いた単語がふいに頭に浮かんだフローラは、侍女長に英雄について尋ねた。
「はい。ベルンブルグ公爵家は英雄の末裔で、代々、火魔法を得意とされる一族です」
「私、魔法を見たのは初めてで。今まで身近に魔法を使える人がいなくて」
魔獣は怖かったけれど、なんだかマティアスが不思議だったと話すフローラに侍女長は昔の出来事を教えてくれる。
ベルンブルグ公爵をはじめ、マティアスも、マティアスの兄フェリクスもこの屋敷の周りの森で炎を出し、何度も木を燃やして大変だったと。
「よくアレク坊ちゃまが遊んでいる芝生があるでしょう? あそこは昔、フェリクス様とマティアス様が兄弟喧嘩をして木がなくなってしまった場所なんですよ」
「だいぶ広くないですか?」
「えぇ。二人とも髪まで焦げて大変でした」
大変だと言うわりには、くすくす侍女長が笑っているということは日常茶飯事だったのかもしれない。
従妹のシャーロットが魔法を使えなくて良かったと、フローラはしみじみ思ってしまった。
「んぎゃああああ! うあああああん!」
「アレク!」
ソファーで紅茶を飲みながら侍女長と話していたフローラは、ベッドに激しく腕を叩きつけながら怒っているアレクシスに駆け寄った。
チリッと火花が見えたのと同時に、アレクシスから炎が上がる。
「うわぁぁぁぁん!」
「アレク!」
「ダメです! フローラ様が燃えてしまいます!」
止める侍女長を気にすることなく、フローラはアレクシスがいるベッドの横へ。
炎に包まれながら泣き叫ぶアレクシスにフローラは迷わず手を伸ばした。




