20.聖女の末裔
「アレク、パパも呼んでくれ」
「あう~?」
聞き間違いかもしれないけれどママと呼ばれた気がしたフローラは、ニヤニヤする顔を隠すことができなかった。
すぐに目を閉じ、すやすや眠ってしまうアレクシスのほっぺがぷくっとしていて今日も可愛い。
「パパはまだまだ先か」
肩をすくめながらワインのもとへ戻ってしまったマティアスを笑いながら、フローラはアレクシスに布団をかけた。
「ん~な?」
「大丈夫、いるわよ」
ポンポンとお腹を叩くとまた眠りに落ちるアレクシスをマティアスは不思議そうに眺める。
「……君は自分の子ではないのに、そんなに愛情を注ぐんだな」
「小さい子ははじめてで。どうしたらいいのかわからなくて失敗ばかりなんです」
お風呂も入れられないし、結局アレクシスはまだミルクも飲んでいない。
三歳なのにまだ赤ちゃんのような姿なのは何も食べていないからではないかと思い、柔らかくしたパンをあげようとしたが食べてくれなかった。
「あの日、アレクを助けてくれたのが君でよかった」
「私も、マティ様に引き合わせてくれたアレクに感謝しています」
そうでなかったら、今頃はランス伯爵に怯えて逃げ回っていたはずだ。
フローラはそっとベッドから降りると、テーブルの前へ。
マティアスはワインを飲みながら、フローラは紅茶を飲みながら、二人は今更だが自己紹介から始めた――。
肩のあたりで響く振動、「きゃはっ」という赤ちゃんの声……?
「……朝?」
マティアスは自分の肩をペチペチ叩いて遊んでいるアレクシスと、その向こうですやすや眠るフローラの姿に慌てた。
結婚式をして、フローラと話をして眠ったのが午前三時ごろ。
そして今は……。
マティアスは時計の針がもうすぐ十時を指そうとしていることに驚いた。
「……まさか」
熟睡していたというのか、この俺が……?
ベルンブルグ公爵家は『火の一族』。
英雄の一人の末裔として古くからある家柄だ。
代々、男系男児にのみ継承する火の魔力は人よりも多く、そのせいで短命。
魔力の多さによって寿命が決まっていると言っても過言ではない。
火魔法に目覚めた十歳から血液中の魔力塊がだんだん増え、十八歳ごろから夜は痛みで熟睡できなくなった。
それなのに、この俺が七時間も一度も目覚めずに熟睡するなんて……?
「あぶぅ、あぶあぶ、あーう」
肩を叩きながら何かを訴えているアレクシスに、マティアスは「静かに」と人差し指を差し出す。
「ぶぅー」
掴まれたマティアスの指はアレクシスの口の中に吸い込まれ、まるでミルクを欲しているかのようにチュパチュパと吸うアレクシスにマティアスは驚いた。
「腹が減ったのか……?」
そんなことあるはずないか。
アレクシスは生まれてから一度もミルクを飲んだことがないとヨハンから聞いた。
「アレク、おまえ歯が生えているのか?」
チュパチュパされる指に時々固いものが当たる。
マティアスはアレクシスに「あーん」と口を開けて見せた。
アレクシスはきょとんとしたあと、マティアスの指を離し「あーん」の真似をする。
「前から生えていたのか……?」
歯茎にあるうっすら白いものはやはり歯なのかもしれない。
ずっと泣いていたから気にしたことはなかったが。
「あう、あう~」
再びマティアスの人差し指はアレクシスの口の中へ。
「俺の指はうまくないだろ」
フローラが起きるまで続いたため、マティアスの人差し指はしっかりふやけることになった。
今日もおいしそうな料理が並ぶダイニングにアレクシスの可愛い声が響いた。
「……そろそろ説明してもらおうか」
食事に手を付けることなく腕を組みながらマティアスを睨むヨハンと、気まずそうに目を逸らすマティアスの姿をフローラは何もできずにただ眺めた。
「いきなり結婚だなんて」
「時間がなかった」
グラスの水を飲みながらマティアスは、事情を説明する。
「つまり、彼女が無理やり結婚させられることがないように先手を打ったと?」
「あぁ。他の男と結婚させられたらアレクシスの側にいてもらうことができない」
だからこれが最善だったとマティアスは開き直った。
「あうあう、あ~ぶぅ、あ~」
「どうしたの?」
アレクシスがフローラの目の前にあるお皿の食物に興味を持つ。
手を伸ばし、触りたそうな仕草だけれど、これはどうしたらいいの?
今までそんなことなかったのに?
お皿から遠ざけるためにフローラが立ち上がると、アレクシスは「ぶぅ!」と怒った。
「結婚じゃなくても他に方法があるだろ」
結婚なんて一生の問題なのにと肩をすくめながら、ヨハンは小さなトマトの間にチーズが挟まれたカプレーゼを口にする。
「ただの雇用契約では守れない」
「アレクに彼女が必要なのは認めるけれどね、それでもさ」
「……必要?」
マティアスもカプレーゼを口に入れたが、いつもよりも少し酸っぱいレモンの味に顔をしかめた。
「彼女は聖女だ。正確には聖女の末裔」
「聖女?」
ありえないと首を横に振るマティアスを見ながら、フローラは聞きなれない単語に首を傾げた。
「なぜだ?」
「昨日検査したけれど、彼女の魔力塊はゼロだったんだ」
「でもそれだけでは」
魔力がない人と同じだとマティアスは答える。
「うん、だからアレクの血液の中に彼女の血液を入れてみたんだ。そうしたらアレクの魔力塊がゼロになったんだよ」
聖女以外ありえないだろうと笑いながらヨハンは水を飲みほした。




