02.どうしろっていうのよ
「この紋章はツヴァイク王国のヴェルナー伯爵家のものだと思います。フローラお嬢様の母上様、ローゼマリー様のご実家でございます」
初めて知る母の名前、母の実家、母の出身国。
「十八歳の誕生日にこの日記帳をお渡しするようにと、お父上様から言われておりました」
家令は父の遺言を守るために今日までこの屋敷に勤めていたこと、王都の貸金庫からこの日記帳を受け取ることができるのは十八歳の誕生日の十日前、つまり今日からだったこと、受け取るためにはこの家の印章が必要だったことをフローラに教えてくれた。
「ずっとお助けできず、申し訳ありませんでした」
フローラの味方をした使用人は、男爵夫人にクビにされてしまう。
自分もクビになってしまったら遺言を叶えることができないと思い、ずっと見て見ぬふりをしてきたと家令は涙ながらにフローラに謝罪した。
「ううん、いつも助けてくれてありがとう」
従妹のシャーロットに熱いスープをかけられた時すぐに冷やすよう助言をくれたり、服が小さくなるとどこからともなく大きいサイズの服を持ってきてくれたり、食事抜きと言われた日の夜中にこっそりパンを持って来てくれたのは全部家令だ。
家令がいてくれなかったら、もっと前に空腹で死んでいた。
「このお金でツヴァイク王国に逃げてください」
この日記帳とローゼマリー様の名前を出せば、ヴェルナー伯爵が助けてくれるかもしれないと家令はお金が入った巾着をフローラの手に握らせた。
「乗合馬車でマイアー街まで行って、トリヒ街行きに乗り換えてください」
「マイヤ?」
「マイアーです。この紙を見せれば大丈夫です」
家令はフローラにメモと手紙を手渡す。
「マイアー街、トリヒ街、ツヴァイク王国に入ったら王都へ」
今から出れば一日一便の乗合馬車に間に合う。
この時間は普段買い物に行く時間。フローラが外出しても怪しまれることはなく、男爵たちは夕食の時間までフローラがいないことにおそらく気づかない。
そして夜になってしまえば探しに行くこともできないのでチャンスは今だと家令はフローラを急がせた。
「すぐ支度をしてください」
いつもの斜め掛けの鞄に母の日記帳とお金を入れ、いつも通り着古したお仕着せにサイズが合っていない靴、ボサボサの白髪に買い物メモを手に持ち、フローラはいつもの買い物と同じように屋敷の裏口から静かに出かけた。
家令が書いてくれたメモの裏は、乗合馬車までの地図と行先だ。
野菜店の前を通過し、従妹のシャーロットに買ってこいと言われたクッキー屋の前を素通りし、乗合馬車の停留所についたフローラはメモを御者に見せた。
「マイアー街行きはあの馬車だ。十五分後に出発するぞ」
家令に教えられたお金を御者に手渡し、フローラは馬車に乗り込む。
「お嬢さんは何をしに?」
「マイアー街なら仕事があるって教えてもらったから」
フローラが家令に教わった通りの回答をすると、馬車の相乗り客は上から下までフローラを眺め「あぁ」と納得したようだった。
田舎でキツイ炭鉱作業でもしろと言われたと勝手に解釈してくれるだろうと家令は言っていたが、これ以上質問されなかったのできっと家令が言ったとおりなのだろうなとフローラは思った。
馬車は走り出し、王都の街を進んでいく。
検問所を通過する頃には日が傾き、初めて出た王都の外の荒地には人の姿はほとんどなかった。
すぐに辺りは暗くなり、真っ暗な道を馬車が進んでいく。
フローラは家令に教わったとおり、荷物をしっかり抱えながら馬車で小さく身を潜めた。
真夜中、少し騒がしくなった馬車の中でフローラはゆっくりと目を開けた。
しっかりと抱えた荷物が無事でホッとする。
「おい御者、どうした?」
「前方で火が上がっていて、馬が怖がって近づけないんだ」
客の一人が重い布を捲ると、隙間から何かが燃えている様子が見える。
風に乗った焦げた臭いと、今まで嗅いだことがない甘ったるい匂いがフローラの鼻に届いた。
「なんだ? この甘い匂いは」
「赤ちゃんの泣き声がしないか?」
「どこからだ?」
ざわざわする乗合い客たち。
火の方向からふらふらと歩いてくる女性に気がついた御者は、恐る恐る馬車を下りた。
「……この子……を」
無理やり赤ちゃんを渡されそうになった御者は、思わず後ずさりする。
馬車の乗客席まで逃げた御者はフローラに気づき、指を刺した。
「おい、そこの女の子!」
「えっ? 私?」
客たちに早く行けと馬車から降ろされ御者に背中を押されたフローラは、どうしたらいいのかわからないまま女性に赤ちゃんを押し付けられる。
赤ちゃんなんて抱っこしたことないのに!
大きな声で泣き叫んでいた赤ちゃんは、フローラに抱きかかえられた瞬間ピタリと泣くのを止めた。
「な、なんで?」
「……ベルンブルグ……に」
女性はドサッと音を立てながら地面に倒れる。
「あの、大丈夫で……」
馬車の先導の明かりに照らされた女性の背中は、まるで獣に襲われたかのように服が引き裂かれ、スカートまで血だらけだった。
「ひっ、ひぃぃ」
御者は急いで馬車に引き返し、馬車をもと来た方向にUターンさせる。
「ま、待って! 置いて行かないで! ねぇ、待ってってば!」
嘘でしょ!
私まだ乗っていないのに!
無情にも走り去る馬車、腕の中には小さな赤ちゃん、足元には倒れた女性。
「……どうしろっていうのよ」
絶望するしかないフローラは、赤ちゃんを抱えたままその場にへたり込んだ。




