10.金の卵
マシどころではない。
マティアスは若くて背が高くて、街の自警団よりもたくましい。
広場に飾られた彫刻像のように整った顔で、今までこんなにカッコいい人には会ったことがない。
「アレクシスのお世話をするだけ……?」
マティアスと結婚すれば、ヴェルナー伯爵を探さなくてもランス伯爵と結婚しなくてすむ。
「健康かどうか確認するために定期的に診察を受けてもらう。最低限のマナーは身につけてもらうが一般的な内容だ。覚えて損はないだろう」
マナーまで教えてもらえるの?
フォークとナイフの使い方も教えてもらえる?
「何かつけてほしい条件はあるか?」
「……ロイター男爵に結婚支度金を払ったり、援助をして欲しくないのですが」
「わかった。君が嫌だと思うことはしない」
ランス伯爵と結婚しなくてよくて、ロイター男爵にお金も渡さずにすんで、ここでアレクシスと暮らすだけ……?
そんな好条件なんてある?
騙されている?
でも騙されたとしても、今までの生活よりはずっといい。
「他に心配なことは?」
今すぐ聞きたいことがないフローラは首を小さく横に振った。
初めて会った時は不機嫌そうな顔で怖そうだと思った。
でも私の意見も聞いてくれて、綺麗な服も美味しい食事もふかふかのベッドも与えてくれて、そして叔父からも助けてくれる……?
頼っていいのだろうか、この人を。
本当にいいのだろうか。
でも、ここで断って、ランス伯爵と結婚しなくてはならなくなるのは嫌だ。
「……お願い、します」
どうかこの選択が間違っていませんように。
祈るような気持ちで答えたフローラは、マティアスの嬉しそうな表情に釘付けになった。
「ありがとう、フローラ」
……この人、こんなふうに笑うんだ……。
どうしよう。心臓がバクバクする。
「あぶ~」
手をバタバタさせるアレクシスには私の飛び出しそうな心臓の音がバレているかもしれない。
内緒にしてね、アレクシス。
フローラは真っ赤な顔を隠すことができないまま、アレクシスの手をそっと包み込んだ。
◇
「逃げられただと?」
ランス伯爵邸の応接室にバンッとテーブルを叩く音が響き渡った。
「い、今、手分けして探しております」
ロイター男爵は顔から吹き出る汗をハンカチで必死に押さえながら、鋭い目で睨んでくるランス伯爵にペコペコと頭を下げた。
フローラがいなくなった日、なぜか家令までいなくなったとロイター男爵は言い訳をする。
金庫の鍵の保管場所がわからず、街へ食事に行くこともできず、厨房に残っていた硬いパンを食べただけで、あの日は大変だったと。
翌日、ようやく書斎の机の引き出しから鍵を見つけたが、金庫の中に金はほとんど入っておらず、フローラが持ち逃げしたのではないかとロイター男爵は必死に自分の不幸を語った。
「ランス伯爵、フローラを探しに行きたいのですが資金がなくて追いかけることができないのです。少し援助してもらえないでしょうか?」
「どこへ逃げたのかわかっているのか」
「マイアー街行きの乗合馬車に乗ったところを見た者がいました」
「……必ず見つけてこい」
ランス伯爵は胸元から金貨を取り出し、テーブルに無造作に置く。
金貨を震える手で受け取ったロイター男爵は、逃げるように部屋から出ていった。
「マイアー街……か」
ロイター男爵がいなくなり、静かになった応接室でランス伯爵は窓の外を見つめた。
足がもつれそうになりながら慌てて走り去る無様な男を冷ややかな目で見送る。
「あと少しで手に入ったのに」
薄汚れた姿だったが、白髪に紫眼などそうそういるものではない。
金の卵を手に入れる直前で逃がすとは……!
「おまえたちも探しに行け!」
他の奴らが白髪紫眼の女の価値に気が付く前に見つけ出し、早く自分の物にしなくては。
なぜあんな気持ちが悪い容姿の女を買い取ってくれるのかはわからないが、金に糸目はつけないと若い男は言っていた。
きっと物好きな高位貴族の戯れだろうが、こんな金儲けのチャンスをみすみす逃すわけにはいかない。
「生きてさえいれば、腕の一本くらい折れていてもかまわない」
絶対に見つけてこいと、ランス伯爵は騎士たちに命令した。
◇
契約結婚に合意してからわずか二時間後、マティアスが持ってきた紙にフローラは戸惑った。
「これは……?」
「契約書だ。今回の結婚の条件が書いてある。よく読んでサインしてくれ」
問題があればすぐに書き直させると言いながらマティアスは近くのテーブルに契約書を置く。
フローラはアレクシスを抱きかかえたまま、テーブルの上の契約書をのぞき込んだ。
文字が読めないのにこんなの無理!
「どうかしたか?」
マティアスに尋ねられたフローラは、契約書を見つめながらどうしようと顔面蒼白になった。




