69 戦い方
ファルコは自分を鼓舞しながら、震えを止めるために手首を握っては放す動作を静かに繰り返し、それに合わせてゆっくり呼吸をした。指先は、自分のものとは思えないほど冷たかった。
震えながらも、ファルコは水晶を観察する。
『こういうのは総力戦でやらないとね!』
ファルコは急に、コルヴスの言葉を思い出した。
「総力戦……」
呟いて、ファルコは室内をぐるりと見回した。
室内にいたコルヴスを除く四人が、ファルコの次の動きを期待するように視線を送っていた。そうだ。総力戦だ!
水晶のようなそれは、父が開発した、いわば人工の『器』のための魔道具だった。
水晶内部に残る金色の針のような痕跡の数は、『遍在の檻』が兄の中身を侵食した回数だ。
無数に見えるそれも、水晶というスペースの中では有限だ。
「ガウディー! ヘッドルーペ、スケッチブックとペンを鞄から出して。あと、僕に水分をください」
「御意」
「……飲み物は水で良いかな? 持ってこさせよう」
「水でお願いします!」
声をかけてきたのは伯爵だが、勢い良くファルコは答えた。今はそんなことは気にする余裕がなかった。頼める人に頼めばいいのだ。
「オルドーさん、水晶以外で何か気づいたことはありますか?」
ファルコは、オルドーが水晶の変化に気づいていたことを見込んで、さらに情報収集をすることにした。
「コルヴス様の瞳の色に、金色が混ざっています。あとはときおり、こう……金色の靄のようなものが体の周りにみえることがあります」
「! それは頻繁に?」
ファルコはわずかに声を固くして尋ねる。この水晶型の魔道具に関する父のメモには、『「器」は、壊れる前に金色の霞が漏れ出すと推測される。「人工器」も同様』という件があった。
「いえ、3、4時間に一度程度です」
オルドーは、急いで懐から出したメモを確認して答えた。
思ったよりも間隔が長かったので、ファルコは少しだけ安心した。たぶん、今すぐ崩壊する訳ではない……と信じることにした。
(きっと、兄さんも戦っているんだ――)
ファルコは、兄の顔を見ながらその左腕に触れた。
手のひらから、兄の通常よりも高い体温が伝わった。
アレッシオは、ファルコが恐怖の表情を浮かべてから、最初の一歩を踏み出すまでの変化を見ていた。
(お前の息子だからな。やはり土壇場では強いようだな? クレイグよ)
満足したかのように頷き、彼はコネクティングルームへと戻って行った。
「お水をこちらに置きますね」
ガウディーに上着を脱ぎ渡し、ヘッドルーペを装着するファルコにオルドーが声をかける。
「ありがとう」
ファルコは、水差しとともに置かれたコップの水を、ひと口飲んで喉を湿らせると、ベッドの左側に置かれたアームチェアに、やや深めに腰をかけた。
アームチェアにすっぽり収まったファルコの体は、一層小さく見えた。
椅子の位置を調整するガウディーに、最後の指示を出す。
「ガウディー、僕の魔術の順番と回数をメモしておいて」
「御意」
ファルコは、カチッと音をさせてヘッドルーペを下ろした。
「はじめます」
室内の者たち、あるいは兄に宣言するように、ファルコは言った。
「接続」
コルヴスの左上腕にある水晶型の魔道具を、整備のモードで起動する。
金色に染まった水晶に触れて、装置の奥の体内に伸びた根に沿って、ファルコが指先の感覚で異常のある場所を探る。
(これ以上、進めない……?)
できるだけ、あとで侵食を受けた場所から戻していきたいのだが、先に起きた異常に邪魔されているような感覚があった。
「……」
(内部で通れる場所を探しながら、この水晶の中で動かせそうな金の痕跡を見つけて、一致させて復旧するしかない……のか)
水晶の中で一杯になっている痕跡は、見えるところから除去していくとして、体の内側は複雑に塞がれている状態だった。
消せそうなところから手探りで挑むしかない。
開始早々、手に汗が滲んだ。
「この存在は、あなた自身ではない」
通常のメンテナンスと同様に詠唱するが、手応えはなかった。
(――不発。ここじゃないか。次の場所を探さなくちゃ!)
ファルコは左手で兄の水晶に触れたまま、右手でヘッドルーペを跳ね上げて手元のノートに線を描き始めた。
いつの間にか、日が傾いていた。コルヴスの寝室は窓が閉じられ、ただファルコの詠唱だけが静かに繰り返し響いていた。
「トゥー・テーメット・ノーン・エス、ハイク・エッセンツィア……トゥー・テーメット・ノーン・エス、ハイク・エッセンツィア……」
何かに気づいたようにファルコの指がぴくりと動く。ファルコが閉じていた目を開くと、ヘッドルーペの視界が金の痕跡の揺れを捉えた。
(一致した!)
「元の位置に戻れ!」
ファルコの詠唱に力が籠る。金の針が水晶の中を滑るように動いた。
「これは適合した器である……器を守れ!」
少し間があって、コルヴスの左上腕の水晶から金色の光がふわりと舞い、空気に溶け込むように消える。
主人の体が回復に向かう合図を見つめ、オルドーは、小さく安堵の息を吐いた。
オルドーは主人の体温を確認し、首筋を冷やしはじめる。
ファルコの口からは、「はぁぁ……」という長く深い吐息が漏れた。
「コルヴス様。ファルコ様が頑張っておられますよ。わかりますか?」
ファルコの邪魔にならないよう、オルドーはコルヴスの耳元で、声をかけ続けていた。
水晶は透明な部分を、じわじわと取り戻しつつあった。
ファルコがスケッチブックに引いた線は美しく枝分かれしながら広がり、ところどころに〇や✕の印が書き加えられていた。それは、コルヴスの体内という見えない迷宮の地図だった。
『遍在の檻』からの侵食の修復は、それを作用させる場所を探すのに最も時間がかかっていた。それでも、ファルコは『遍在の檻』の癖のような法則を掴みはじめ、少しずつ発見の速度が上がってきていた。
詠唱が一区切りしたタイミングで、ガウディーが吸い飲みの吸い口をファルコの唇に軽く当てる。
ファルコは、口を湿らす程度に水を飲んで、再び詠唱に戻る。ガウディーは、あれこれ水を飲みやすいスタイルを工夫していたが、最終的にこのスタイルに落ち着いた。
それからガウディーは、アームチェアに接続するように置かれたテーブルの上で、主人のノートの邪魔にならないよう魔術に関する記録をつけた。
オルドーは、恐ろしく集中力の高いロザリンド令息と、その彼の集中を妨げないよう、主人の動きに完璧に合わせているガウディーの工夫に感心していた。
コンコンコン、と隣室から控えめなノックの音がした。オルドーが扉を開けるとマルクが小声でオルドーに伝える。
「ミスターオルドー、ファルコ様はもう六時間もお座りだ。ウォータークローゼットへは私がご案内差し上げるので、早めにお声がけを」
犯したミスに一瞬眉根を寄せたオルドーは、すぐに表情を戻して小さな声で返事をした。
「――感謝します、ミスターマルク。ただちに」
オルドーは一度扉を閉め、音を立てないようベッドサイドに戻った。
次の処置の場所はすぐにみつかったようで、オルドーが戻ったときには三つ目の詠唱が始まったところだった。
何の用件だったのか? と問うように、ガウディーがちらりとこちらに視線を向けてくる。気づいていない者がここにもいた。
(――うん。これは仕方ない。みな必死だったからな)
オルドーは、自らを納得させるように頷いた。
ふわっとファルコの手元で光が舞うのを見て、オルドーはファルコの斜め後ろの位置からそっと声をかけた。
「ファルコ様……ここで一度お手を洗われ、少しお身体を伸ばされてはいかがでしょうか」
「!」
ガウディーの「しまった!」と聞こえてきそうな表情に笑いそうになりながら、オルドーはにこやかにファルコの返事を待つ。
「へ……う?」
ヘッドルーペを着けたまま振り向いた頭が、ふらりと揺れた。
「「……」」
ファルコはとっくの昔に限界を超えていた。
続きは、また明日。11時頃に。




