70 変わりたい
「申し訳ございません! もっと早くお声がけすべきでしたね……」
「ファルコ様、休憩を挟みましょう! コルヴス様も、きっとそのような無理は望みません」
慌てる従者たちを見て、集中を解いたファルコが、たどたどしくしゃべる。
「……ま、まって。術を閉じないと、離れられない。ええと、なんだっけ……『切断』」
唱えてから一呼吸待って、ゆっくりと左手を装置から離す。それからヘッドルーペをテーブルに置き、ノートにメモを書き込んだあとで、ファルコは悲しそうな声で言った。
「……ガウディー……助けて、立てない」
雨に打たれた子犬のようになってしまった主人に、申し訳なさを覚えながらガウディーは動いた。
「失礼いたします、ファルコ様」
ガウディーは椅子ごとファルコを動かし上着を羽織らせると、椅子の前に屈んでファルコを背負って立ち上がった。
オルドーがコネクティングルームへの扉を叩くと、その先はマルクが案内を引き受けた。
背負われたファルコが通り過ぎるのを見て、アレッシオは軽く目を見張り彼らが部屋の外に出るのを待って呵々大笑ののちに言った。
「若いのだけにしておくと、無茶に気づかないものだな。まさか四半日ぶっ通しで治療していたとは! もっと早く声をかけてやればよかったか」
「何事も経験でしょう……こちらも、ようやく一段落だ」
テーブルに広げられた調査資料を手際よくまとめながら、エドワードは答えた。
「そうだな」
アレッシオは座ったままグッと伸びをした。重厚感のある椅子が、アレッシオの大柄な体躯に負けるようにギシッと音を立てる。
エドワードとアレッシオは、教会が事件の揉み消しに走る前に、昨晩のうちにそれぞれの手が届く範囲で急いで情報をかき集めた。それを持ち寄って共有し、事件の全貌を探ると同時に、教会との交渉の道筋を打ち合わせた。
「答え合わせも済んだことだ。ご丁寧に、パーティーに招待してくださるというなら……お望み通り、ヴァレリウスの顔を拝みに行こうじゃないか」
アレッシオは獰猛な笑みを浮かべると、手にしたヴァレリウスからの手紙を、ピシッと音を立てて弾いた。
手紙には、「広場で騒動を起こした『暴漢』と聖騎士の戦いに、子どもたちが巻き込まれてしまった」ことの謝罪と、賠償についての話し合いを明後日の夕刻、オルティス学園にて行う旨が書かれていた。
エドワードは、難しい顔で黙って頷いた。
いい落としどころは、まだ見えてはいなかった。
アレッシオとて、現状を楽観視しているわけではなかった。だが、子どもたちに対する仕打ちに黙ったまま折衝できるほど、アロエットへの情は薄くはなかった。
「……さて、愛娘たちが帰宅する前に屋敷を整えておきたいので、そろそろ失礼するよ。せっかくの準備を、すまないね。代わりに、ファルコに好きなだけ食べさせてやってくれ」
部屋に軽食が準備されようとしているのを見て、アレッシオはそう言った。
「レディユスティーナにもよろしく伝えてくれ。目が覚めたコルヴスにもな」
立ち上がるアレッシオが確信めいた様子で言うと、エドワードは顔をほころばせた。
「……ありがとう。ユスティーナもコルヴスも、あなたの気遣いを喜ぶだろう。アロエットの傷が早くよくなるよう、私も祈っている」
「ありがとう、エドワード」
アレッシオが差し出した手を、エドワードは力いっぱい握った。
少し驚いた顔をしたアレッシオは、子どものように二ッと笑ってその手を力強く握り返した。エドワードは痛みに眉を寄せながら、それでも口元は笑っていた。
エドワードの見送りを受けながら、アレッシオが二階の大階段に差しかかったところで、ぎこちない小走りでファルコが追いかけてきた。
「アレッシオおじ様!」
「ファルコ! ゆっくりでいい、転ぶぞ」
振り返ったアレッシオは、大きな体を屈めてファルコを待った。
「おじ様。アロ姉さんは、本当に強かったんです。僕をかばいながら、馬に乗った黒い服のやつと戦って! 後ろからも馬に追われて……ごめんなさい。僕がもっと強ければ、こんなことには」
ファルコは、アレッシオのもとにたどり着くや否や、彼の腕にしがみついて一生懸命に姉の昨日の奮闘ぶりを伝えようとしていた。
(……?)
アレッシオの混乱する脳内を、美しいローブをなびかせた娘が、馬と同じ速さで駆け抜けていった。
軽く咳払いをしてから、彼はしっかり首を横に振り、泣きそうな顔をしたファルコの細い肩に大きな手を乗せて言った。
「ありがとう、ファルコ。お前は十分強い。我が娘がお前を守り、そのお前が今こうしてコルヴスを守っている。それだけで、娘の頑張りは報われるというものだ」
アレッシオは、潤んだファルコの目を真っ直ぐに見てそう言うと、太い腕で一度だけギュッと抱きしめた。
「それでも、お前が変わることを望むなら、焦らないことだ。その決意を忘れずにいれば、いずれ変わるときがくる……エドワード、待たせたな」
ファルコの肩をポンポンと軽く叩いて、アレッシオは立ち上がり外套を翻して音もなく階段を降りて行く。
アレッシオは、玄関に待たせてあった愛馬にひらりと跨り、見送りのエドワードに声をかけた。
「では、また二日後だな」
アレッシオが手綱を引いて拍車をあてると、彼の馬は力強く走り出した。砂利を跳ね上げながら、激しい蹄の音があっという間に遠ざかっていった。
ファルコはその音を追うように、玄関扉の先をしばらく見つめていた。
続きは、また明日。18:30頃に。




