66 そして、朝を迎える
少年が望むと望まざるとにかかわらず、朝がやって来た。
彼はベッドの端に背中を丸めて座り、酷く落ち込んだ表情で床に目を向けていた。
(アロ姉はあんな大怪我をしていて、コルヴス兄さんは医務室では一度も目を覚まさなかった……僕は何でこんなに軽傷で済んでいるんだろう?)
もう何度も同じような疑問を浮かべては、頭を悩ませていた。
断罪人の足止めのために魔法を使って以降の記憶は、あやふやだった。
医務室での、姉の痛みに歪む顔や兄の精気のない白い顔を思い出し、頭から被った毛布を両手でさらにきつく引き寄せた。
(断罪人は……きっと殺し屋みたいなものだ。そんな相手と二対三で戦ったんだ……僕は戦いでは何の役にも立たなかった。ううん。きっと人質のようになって足を引っ張ってしまっただろう)
姉の処置が終わったあとで、ノクティスがいないことに気づいて慌てふためいたところに、サンドラが「ノクティスは我が家で預かっているから、心配しないでくれ」とそっと耳打ちしてくれなければ、さらに落ち込んでいたところだった。
ポケットの中のブローチは無事だったが、モノクルはどこかでなくしてしまったらしい。
ノクティスに異常はないだろうか。そもそも事の起こりは、自分がノクティスを外に連れ出したからではないだろうか……
ファルコの部屋は、学園に入学する直前の状態のまま綺麗に保たれていた。
(あのときは……兄さんと姉さんの力になれると思っていたのにな)
仰向けにひっくり返るように、少年は柔らかなベッドに倒れ込んだ。
カーテンの隙間から細くこぼれた朝日に目を細める。
(……兄さんや姉さんと同じ力があったなら、どんなによかっただろう)
それは、「強い魔力で、何かができるようになりたい」という願望ではなく、二人の苦労を分け持てる者でありたいという、渇望のようなものだった。
彼は、どうあがいても、自分が普通の人間でしかないという事実に、打ちひしがれていた。
コン、コン、コンと控えめに扉がノックされる。
ファルコは重たい体を持ち上げて、再びベッドに座り直してから「どうぞ」と答えた。
「おはようございます、ファルコ様。怪我のお痛みはありませんか? ……今朝はとても良い天気ですよ。カーテンを開けますね」
トロリーを押しながら部屋に入ってきた、黒髪に黒い瞳のヴァレットは、ファルコに優しく声をかけた。
美しい木目のトロリーには、透かし彫りのある白いセラミックのブレッドバスケットや磨かれた銀のポットが乗っている。
「……おかげさまで、すっかり調子はいいよ」
昨日のうちに学園に迎えに来た彼は、帰りの道中からファルコが部屋で眠ったフリをするまで、熱心に心身のケアに努めてくれた。
「それは何よりです。今朝は、こちらに朝食を運ばせてもらいました。ファルコ様の好きな、オムレツや焼き立てのパンもありますよ」
「ありがとうサトゥルスさん。あ! ごめんなさい。ガウディーさん……今はあまり食欲がなくて」
ファルコの療養に合わせて、ヴァレットに抜擢されたサトゥルス・ガウディーに、ファルコは気を遣うように呼び直した。
「ふふ。お部屋の中では、好きに呼ばれて結構ですよ。また『さん』付けに戻ってしまいましたね……ですが、懐かしゅうございます。ファルコ様がお好きだったカモミールティーも用意しておりますよ。お飲みになりますか?」
ファルコは少し屈んで話しかけるガウディーに、こくりと頷いた。
ロザリンド家にやって来た当初、ガチガチに緊張していたファルコに、年が近いガウディーはとても親切だった。
ノクティスを怖がらずに最初に可愛がってくれたのも、数々の魔道具開発の失敗をごまかそうとしては、一緒に怒られてくれたのも彼だった。
ガウディーは、陶磁器のポットの蓋を開けてハーブの花を入れた。そして、銀のポットを持ち上げ、高い位置から細く静かに熱湯を注ぎ入れる。
ファルコは、お湯が注がれる心地よい音にしばし耳を傾けた。カタッとポットの蓋を閉める音が小さく響く。
「……私は、ファルコ様がお戻りになられてホッとしました……きっと、恐ろしい目にも遭ったでしょうし、悔しい思いもされたことでしょう。ですが、私の知るファルコ様なら、きっと最後まで知恵と工夫で対処なさろうとしたはずです」
ガウディーは、ポットに視線を落としたまま静かに話しだした。
「ファルコ様には、誰にも真似のできないファルコ様の戦い方があります。サトゥルスは、それを知っております」
昨晩、ロザリンド子爵夫人から直々にヴァレットの任を仰せ付かった場で、同時にガウディーに明かされたのは、「ファルコが、教会の人間に命を狙われて怪我を負った」ということだった。
教会の人間が、なぜこの心優しき主人を狙うのかはわからないが、ガウディーは自分に任された仕事は、この小さき主人の心身の傷を癒すことだと理解していた。
ガウディーは陶磁器のポットの取っ手を握ると、繊細な透かし彫りが施された銀のティーストレーナーを用意した。
「お待たせいたしました、ファルコ様」
金色のお茶が、トトト……と小気味いい音を立てて、温められたカップへと注がれていく。湯気と共に広がったのは、カモミールのフルーティーで優しい爽やかさを感じる香りだった。
ガウディーは最後の一滴まで静かに注ぎ、ティーストレーナーを小さな受け皿へと戻すと、ガラスのトレイの上に用意されたソーサーへとカップを静かに下ろし、トレイをファルコの前まで運んだ。
「……ありがとう」
ファルコはガウディーに視線を合わせて礼を言うと、カップを手に取った。立ち上る湯気が、頬をかすかになでる。
カップの中の金色が美しく、ひとくち飲むとほのかな甘みが広がった。
ガウディーの気持ちのこもった一杯を受け取り、ファルコの焦りがほどけていく。
(僕には僕の戦い方がある……のかな)
「……サトゥルス。ううん。ガウディー、ありがとう」
ファルコはしっかりとした声でお礼を伝えた。そして、ガウディーの顔を見たままカップをソーサーに戻そうとして、カップの底を引っかけてしまった。
カツンと音を立ててトレイの上でカップが横倒しになり、残っていたお茶がトレイに広がる。
ファルコはハッと目を見開いて、その様子を食い入るように見ていた。
朝日を受けた金色のお茶が、透明なガラスの上で光っている。
トレイを戻そうとしたガウディーだったが、それを凝視するファルコのただならぬ様子に、思わず手を止めてそっと声をかける。
「……ファルコ様?」
透明なトレイに走るカット模様、それを侵食する金色……
(兄さんが医務室で一度も目を覚まさなかったのはなぜか、ちゃんと考えれば答えは出たのに! ……きっと、『遍在の檻』が兄さんを侵食しているんだ!)
「ガウディー、ヴィンセント伯爵邸に先触れを出して! それから馬車を手配してほしい。僕は、着替えたらすぐに兄さんのところに行って、確認しなくちゃならないことがある。たぶん、そのまま長い時間兄さんの『処置』に取り掛かることになると思う。義母様には、そう伝えて」
ベッドから飛び降りる勢いで動き出したファルコに戸惑いつつも、「承知いたしました」と応えてガウディーは素早く動き出した。
部屋を出る直前に、ファルコがトロリーに手を伸ばして、パンを掴んで頬張っていたのは見なかったことにした。
続きは、また明日。18:30頃に。




